ソウルフラワーユニオンの中川敬がソロアルバム『街道筋の着地しないブルース』をリリースした。2010年末から2011年の5月までの制作期間を経て完成した本作は、中川自身が構想を持ち続けていた待望のソロアルバムである。カバーあり、セルフカバーありの本作を聴くと、中川敬がギターを携え歌っている様が自ずと浮かび上がってくる。『街道筋の着地しないブルース』の制作秘話、そしてレコーディング期間中に生じた東日本大震災、被災地に赴いて感じた音楽の力…中川敬の言葉ひとつひとつに注目して欲しい。
——ソロでのリリースは以前から考えていたのでしょうか?
中川 数年前から制作の構想はあったんよね。昔からニューエスト・モデル、ソウル・フラワー・ユニオン、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットと、常に集団で人と音楽を作ってきてるから、一度ひとりでやってみたいっていう気持ちはあった。ただ、ソウル・フラワー・ユニオンの活動もあってなかなかできなくて。自分の中だけで完結してる作品が作りたかった。プライベート・スタジオで、手元にある三線・アコギ・ブズーキ・パーカッション等と、自分の喉を使って、徹底的にこもって作ってみたいなと。
去年の10月にソウル・フラワー・ユニオンの『キャンプ・パンゲア』の制作が終わって、制作後はいつも1〜2ヶ月はゆっくりするもんなんやけど、このままソロ・プロジェクトに流れこんでみようかなと思って。
——やはり「ひとりで完結した作品」というのが、バンドでの制作との大きな違いになるんでしょうか。
中川 もう、30年弱バンドやってるし、バンドの面白みは誰よりも知ってるつもりやけど、たまに解放されたくもなる。一人にしてくれ!(笑)。アコースティック作品をリリースしてるミュージシャンも周りにいっぱいいるし、いつかはやりたいなってのはあって、今回ようやく実現。
——本作には14曲収録されていますが、特に印象に残ってるなあという曲はありますか。
中川 11月、12月にセルフ・カバーをがんがん録っていって、12月末の段階で、疲れてんね、俺は(笑)。なんで俺はセルフ・カバーばかりやってんねん!みたいな(笑)。そんな停滞期に、浅川マキさんの「少年」を録り始めて、楽しくなってきた(笑)。「少年録ってるやん、俺!」みたいな(笑)。好きなカヴァー曲の録音って、ある意味無責任に、気楽に盛り上がっていられる。「少年」を年始に録ったことによって、このアルバムは一気に完成に向かった感があるな。
あとは、3・11の後。4月にレコーディングを再開して、「風来恋歌」「男はつらいよのテーマ」「いちばんぼし」「日高見」の4曲を録った。この時期は、やっぱり言語化にするのは難しいけど、何とも言えん日々を送ってたから、印象深いよ、この4曲のレコーディングは。まあ、今回の作品は一生忘れられないレコーディングになったよ、きっと。
——カバー曲も豊富な今作ですが、最後の寅さんが特に印象に残りました。ちなみに寅さんを入れようと思われたきっかけは?
中川 今回の3・11の時点で、アルバム制作の三分の二は進んでたんやけど、3・11以降は正直作業ができなくなってね。連日、被災地や原発の情報収集。そうこうしてるうちに3月末に『闇鍋音楽祭』が東京・大阪・横浜で五回あって、三週間くらいソロの制作が止まっちゃってね。5月の頭にミックスは決まってたから、4月に再開して。まず、アルタンが演ってるアイリッシュ・トラッドの名曲「プリティ・ヤング・ガール」を「風来恋歌」っていうタイトルにして、自作詞で一曲録った。
で、さあ、次何録ろうかなって時、毎日毎日被災地にボランティアで入ってる仲間達と電話で話をしたりしている頃で、次第に俺ん中の東北のイメージが、寅さんに映り込んでる北の風景と重なったというか。実際のところ、あのシリーズでは三陸あたりは少ないんやけど、寅さんで描かれている東北の、貧しいながらも尊厳を失わない人々の営みが重なってね、俺の中で。
もともと、このレコーディングには明快なコンセプトなんてなくて、その日の気分で録っていくっていうのがコンセプトといえばコンセプトやったのね。新曲であろうが、セルフ・カバーであろうが、カバーであろうが、一曲片付けたら、さあ次は何を録ろうかなって感じで進めてきたから、「男はつらいよのテーマ」を入れることも、不自然な流れではなかった。確か4月10日くらいやったかな。
——お話にも出てきましたが、今回の震災でも被災地にも足を運ばれていますが、実際に足を運ばれてみていかがでしたか。
中川 5月に五ヵ所、6月に六ヵ所、石巻・女川・南三陸・気仙沼・陸前高田・大船渡の避難所で演奏してきてね。演奏してるときのヴァイヴレーションみたいなのは、神戸のときと同じで、素晴らしい時間を過ごさせてもらってる。みんな音楽好きやしね。あまり「慰問ライブ」をやってる意識はなくて、後方支援をするにしても、今回は間違いなく長期戦になるから、まず人の繋がりが作りたくて。そのためにも、音楽! センスや選曲も大事やねんけど、音楽は、演り手,聴き手を越えて、一緒に平等にその空間を作れるんやね。
——本作に収録されている「満月の夕(ゆうべ)」ですが、この曲を聴いて涙が出たという声を様々な場で見かけました。
中川 被災地では、民謡や古い流行歌を中心に演ってる中で、この曲は必ず演ってる。「一曲オリジナルやりますわ。95年の阪神淡路大震災の時に〜」って解説しながら。泣く人もいるから、確かに辛い気持ちになりながら歌ってるところもあるけど、あの曲は、単に「鎮魂」だけではなくて、「命の祝い」の要素が大きいんよね、俺にとって。
——張り詰めていた気持ちが、歌を聴いて涙を流すことで気が楽になったという声もありましたね。
中川 やっぱり泣くことも大事なことやからね。みんな我慢しちゃうから。とくに男性やね。人前で泣けない。
——震災後には、音楽で何ができるのかと多くの人が悩んだのではと思いますが、中川さんはどう思われますか。
中川 音楽はやるべきやね、とにかく。
——その音楽が持っている力って何でしょうか。
中川 音楽には力があるよ。ケからハレの場へ、みんなを連れて行く。今回も避難所に演奏しに行ってると、終わった後に声をかけてもらえるんよね。おじいちゃんやおばあちゃんに。本当に、有難い言葉を沢山いただく。音楽は、嫌なことを一時忘れさせてくれるだけではなく、ちゃんと、次へ行くための高揚も与えてくれる。音楽を侮るな!やね。
それと、三陸海岸の方に行ってみてわかってんけど、意外とニューエスト・モデルのファンが多くて。30代、40代のね。ちょっとびっくりして、「やっと気仙沼に来てくれた!中川さん!」って声をかけられたり。
——ニューエスト・モデルからのファン!それは嬉しいですね。
中川 仙台で、80年代後半から90年代前半に『ロックンロールオリンピック』というロック・フェスがあって、ニューエスト・モデルもメスカリン・ドライヴも数年間連続で出てたんよね。そこで観てくれた人が多くて、しかもテレビで何回も再放送してたらしい。色んな避難所で、俺よりちょっと年下の連中が「やっと会えました!」って声をかけてくれる。
日常では、音楽はどこにでも流れてて、あって当たり前みたいに思えてくるけど、避難所に行くと、やっぱり音楽の重要性を感じるよ。俺らが「お富さん」とか演って、終わった後に、おばあちゃんが「初恋の頃を思い出した」って。避難所にずっといるおばあちゃんが、一瞬でも初恋の頃のことを思い出したって、ぐっと来るよね。家も家族もなくしたっていう人がたくさんいる。そういう人たちが声を掛けてくれる、「(演奏をしている)今の一時間、ほんと、辛いことを忘れれた。ありがとうね」っていう言葉の重みは、ずっと残ってる。
——その他に、何かエピソードはありますか。
中川 女川町の避難所で5月に演ったとき、終わった後、あるおじいちゃんが近づいてきて「ありがとうね」って言葉をくれて、握手をしたら、そのまま俺の手を握りしめたまま「音楽ってほんとにいいねえ、いいねえ」って言いながら、そのまま崩れ落ちて号泣し始めて…。辛かったけど…、これは、続けなあかんよね。俺らは、アクションを起こしていくしかないんよね。
——お話を伺うだけでも、ぐっと来るものがあります。
中川 単純に人間同士の出逢いから、無数に学ぶものがある。
——それでは最後の質問ですが、一生忘れないレコーディングから生まれた本作をこれから聴くぞという方にメッセージをいただけますか。
中川 手にとってくれてありがとうやね(笑)。音楽を愛してる人やったら、みんな、気に入るよ、このアルバム。ていうのも、俺が気に入って連日聴いてるという珍しいことが起こってる。いつもはね、制作中に聴きまくってるから、制作が終わったら聴く気がせえへんのよ。このアルバムはリリースした今も聴いてる、という、中川敬にしては珍しい現象が起こっているので、ほんといいアルバムやと思うよ(笑)。ソウル・フラワー・ユニオンやモノノケ・サミットとはまた違う、新しいアウトプットの作品として、中川敬アコースティック作のリリースは続けたいと思ってるので、ぜひ買って聴いて欲しいね。
——本日はありがとうございました。
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