昨年9月、アメリカ・カンサス州ウィンフィールドで開催される世界規模のギターコンテスト、39th Walnut Valley Festival「International Fingerstyle Guitar Championship」で、アジア人初、日本人初、大会史上最年少でのグランプリを獲得という快挙を果たした田中彬博。
涼しい顔でアコースティックギターを体の一部のように自由自在に弾きこなす田中彬博とはいったいどんな人物なのか。音楽遍歴と、今も拠点とする京都について語ってもらった。
「将来は絶対プロのギタリストになりたい!」
――ギターをはじめられるきっかけは何だったんですか?
田中 ギターは13歳の頃に始めました。3歳からピアノを習っていて、小学校の時から音楽は好きだったのでそれが自分の特技だとも思っていました。でも将来何か音楽に関わっていたいと思った時に、自分はピアノではないなと思うようになって。中学生になって、B'zのCDをお小遣いで買って家のステレオで聴いたらすごい衝撃やったんです。「カッコイイ! 今すぐB'zの松本孝弘さんみたいになりたい!」って思って。エレキギターとか、ロックのサウンドは今まで自分が聴いてきた音楽とはぜんぜん違って聞こえました。そのときはじめて「大人になったらこうなりたい!将来は絶対プロのギタリストになりたい!」という目標が見えたんです。それがギターをはじめたきっかけですね。
――なるほど、B'zがギターをはじめられるきっかけだったということですが、他に影響を受けたミュージシャンや、ジャンルとしての音楽はありますか?
田中 自分が音楽に対して真剣に向き合うきっかけになったのはB'zですが、その後ロックギターを聴き始めて、ヴァン・ヘイレンが好きになったり、スティーブ・ヴァイが好きになったり、人から薦められてメガデスを聴いてみたりしましたね。ヨーロッパのロックバンドよりは、アメリカのロックバンドのほうが好きですね。
――そのへんのギタリストの人は、やたらと上手い人が多いですよね。
田中 確かにたくさん上手い人はいますし、ギタリストにもいろんなスタイルがありますよね。僕はその中でいうと存在感のある音を出すギタリストが好きですね。
――なるほど。これまではエレキギターの話でしたが、そこからアコーステックギターギターになり、またフィンガーピッキングという奏法に辿りつくわけですが、その転換には何があったんですか。
田中 ヴァン・ヘイレンやスティーブ・ヴァイ、イングウェイを聴いているうちにギターを使ってインストをやりたいと思うようになりました。でもその時はまだ中学生で、組んでたバンドにはボーカルもいたし、中学生のコネクションでは他のミュージシャンともなかなか知り合えなくて。どうしようかなと思っていたときに、テレビで押尾コータローさんを見て釘付けになりました。ベース、ドラム、メロディというバンドでやってることをアコギだけで表現しているのを見て「すごい!」と思って。それまではアコギっていうとフォークやポップミュージックで伴奏としてコードを弾くものだと思ってましたから。そこからもう勢いでアコギに持ち替えてましたね。
――なるほど。松本孝弘さんをはじめとしてギタリストの方は国外で活躍されている方も多いですよね。田中さんも海外公演を多く経験されていますが、感触はいかがですか?
田中 国外は、はじめて行ったのがスペインとポルトガルでした。僕はずっとYAMAHAのギターを使ってるんですけど、2007年にYAMAHAさんから海外での楽器のプロモーションの依頼をいただいて、それから10ヶ国以上で演奏しています。ギターをはじめたときに、ギタリストとして世界中を巡れるようになれたらっていう夢があったので、「ギターを持って海外に行けた」ことがすごく嬉しかったです。それまで海外旅行はしたことがなかったので、「僕がギターを選んだことで、ギターが世界に連れていってくれてる」という感じがしました。
海外で演奏するにしても、僕の音楽を待ってくれている人がいるのはほんとに嬉しいことです。国内でもそれは同じで、どこへ行ってもやることは変わらないということが海外に行くことで改めて実感できました。
今までテレビやインターネットでしか知らなかったものに直に触れられるっていうのも、自分自身の成長にとってもすごく大きいものだと思います。