【ライヴレポ】宇崎竜童『TAKE THE BLUES TRAIN 京都』@都雅都雅~2号の視点~
4月9日に宇崎竜童さんのライヴに行ってきました。
既にスタッフ1号が熱くレポートを書いていますが、2号の視点からも述べていきます!
会場を包んだ空気感、それが全てでした。
会場の都雅都雅に着いたのは18時30分を過ぎた頃。
場内は多くの観衆が熱気を帯びて集まり、立ち見が出るほどの大入りでした。
我々はステージ上手側の前方にスタンバイし、開演を待ちます。
宇崎さんの演奏を勤める御堂筋バンドの入場に続き、宇崎さんが登場。熱気はさらなる高まりを見せます。
遠くを見つめ強い声で歌う宇崎さんは、時に半生を語り、時にバンドメンバーに冗談を飛ばして会場を盛り上げていきます。
この空気感に対して、私は最も感じるものがありました。
宇崎竜童の人間性によって作られる会場の一体感
ライブ、それも著名なアーティストのものとなるとどうしても見るという意識が強くなります。
別の言い方で例えるならば、テレビ番組のロケに遭遇した時でしょうか。
多くの人だかりができるように、有名人(それも自分が大好きな人であったら)凝視してしまうものです。
この日の観衆の多くは宇崎さんを見て育った世代。宇崎さんは憧れの人の一人だと思います。
事実、相席していた方々は口を揃えて「宇崎さんは大スターなんやで」と私たちに教えてくれました。
そのため、「宇崎竜童を見る」ことに終始するのではと片隅で思っていました。
しかし宇崎さんのライブは会場全体がひとつのステージであり、私たちもライヴを作る一員なのだという意識が芽生えるのです。
それはツアーの表題である"TAKE THE BLUES TRAIN"そのもの。都雅都雅に足を踏み入れた時から、宇崎竜童の操るブルースの列車に私たちも乗車していたのです。
オーディエンスは声援を飛ばし、MCに答え、共に空気を作っていきます。
その背景には半生を語りつつも、ユーモアを挟んでいく彼のMCがありました。
包み隠すことなく宇崎竜童の人間性を見ることができます。
彼の人間性が空間を共有している意識を与え、私たちもライブを作っているのだという認識に繋がったのだと思います。
生きてるうちが花なのだ!
時に私たちはある時代を築いてきた歌や物事を古臭い、懐メロと称します。
では宇崎さんのライブはどうだったのか?
もちろん答えはノーです。
一度は表舞台を去る事も考えながらも、最前線で音を鳴らし続ける男の生き様は今も輝きを放っています。
アンコールで歌われた『生きてるうちが花なんだぜ』を体現するかのように。
その『生きてるうちが花なんだぜ』では会場全体がひとつになり大合唱。当日の空気を象徴するシーン。
椅子に腰掛け歌っていた宇崎さんは立ち上がり、ギターを掻き鳴らします。
それはまさしくロックな光景。今も目に焼き付いています。
リンク
■宇崎竜童オフィシャルサイト
■都雅都雅