【速攻ライヴレポ】宇崎竜童『TAKE BLUES TRAIN 京都』@都雅都雅
スタッフ一号です。 予告通り行ってまいりました。宇崎竜童『TAKE BLUES TRAIN 京都』@都雅都雅!速攻ライヴレポしちゃいます!
結論から言おう、宇崎さんは最高にカッコよかった。
私は宇崎さんと言えば「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ」と山口百恵しか知らない世代。正直、どういう心構えで参戦したらいいのかさっぱりわかりませんでした。わからないまま会場についてみると、案の定年齢層が高い!もうホント、アウェー感たっぷり。どうしようどうしようと思うままに、歓声と拍手とともにメンバーが登壇。ままよ!と思い叫んでみました。
結果から言うと、あれよあれよと宇崎さんのペースに乗せられて、終演後は壊れたラジオのように「宇崎さんカッコいい・・・!」と繰り返している自分がいました。
今の宇崎竜童、そして、そこにたどり着くまでの宇崎竜童。宇崎竜童という人生を垣間見たライヴ。
セットリストは、このライヴのバックバンドである御堂筋ブルースバンドとリリースした『ブルースで死にな』の曲を中心に、往年のダウン・タウン・ブギウギ・バンドの名曲や、ゲスト大西ユカリさんによる『身も心も』、盟友・野本有流さんによるアンタッチャブルの楽曲といった構成でした。
図太いギターの音からステージが鳴り響く。「ブルースで死にな」という、圧倒的なシャウトで、都雅都雅というハコいっぱいに、宇崎竜童の存在が満たされる。それはもう、知ってるとか知らないとか関係ない存在感。ああこれが宇崎竜童なのか、とまず理解される。
そして。宇崎さんが訥々と語る、宇崎竜童のこれまでのバックグラウンド。一番印象に残った、というか印象に刻み込まれたのは、やはり『ベースキャンプ・ブルース』の誕生秘話。
秘話は、売れなかった時代の話からはじまります−−どさ回りで家に帰ることもなく寮暮らしで歌い続けたこと、ベトナムに出征するベースキャンプの兵隊相手のステージのこと、そこで知り合った兵士に認められて、言葉の壁を越えて話したこと、そしてその兵士たちがある日ベトナムに行ってしまったこと−−そこから『ベースキャンプ・ブルース』が生まれた。
流暢に語っているわけじゃない。でも、宇崎さんの語りを聞いていると、その言葉の端々に深く刻まれた人生の陰影が見える。私のような若造には知り得ない経験、知り得ない思いが伝わってくる。ライヴを観に行ったわけですが、気づいたらLIVEじゃなくてLIFEを観ていた。そんな感じがしました。
齢60にして、「生きること」を見つめ直す
ステージが終了し、割れんばかりの拍手でアンコール。宇崎さんが一人でステージに上がり、語り始めます。
「ずっと無茶をし続けて生きてきた。でも60になったあたりで、医者から『いつ死んでもおかしくない』と言われ、自分の行く末のことを考えた」
作曲家として山口百恵のプロデュースを手がけ、見事にスターに育て上げた宇崎さんだからこそ、プレーヤーとしてではなく、裏方として生きていくという道もあったわけです。
「でも、御堂筋ブルースバンドに出会って、またいっしょに音楽やりたいと思った」
ここでの出会いが、宇崎さんをの気持ちを変えた。宇崎さんは御歳64歳。多くの人なら、裏方にまわることを選ぶでしょうし、そうしたとしても誰も咎めはしません。しかし、宇崎竜童はブルースを続けることを選んだ。それはどんなにロックンロールな生き方だろうと思うばかりです。
アンコールは『生きてるうちが花なんだぜ』。オーディエンスも含めての大合唱。全員が声をからして叫んだあの場は、間違いなく京都で一番アツい場所でした。
まとめ
宇崎さんのライヴを観て、年代とか、ジャンルとか、そういうものは関係ないのだと思いました。カッコいいものはカッコいいのです。
ブルースな人生を、ロックンロールしながら生きる。そんな宇崎さんの生き方は、誰にとっても糧になるのではないでしょうか。宇崎さん、最高のステージをありがとうございました!
リンク
■宇崎竜童オフィシャルサイト
■都雅都雅