【5/14】フジコ・ヘミングが来る。あのラ・カンパネラが京都コンサートホールに鳴り響く。
「軌跡のラ・カンパネラ」のイングリッド・フジ子・ヘミング先生が今週金曜に京都コンサートホールに降臨します。
ここの情報によると、ステージ上のお花はあの假屋崎省吾さんがプロデュースとのこと。花と音という、儚い美しさのコラボレーション。必見&必聴ですぞ。
ところで、フジ子先生のこと。
MUSICを読んでいる層はあまりフジ子先生のことを知らない人が多いんじゃないかと思うので、簡単に略歴をご紹介します。
フジ子・ヘミング(1932年12 月5日 -、本名イングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング Ingrid Fuzjko Von Georgii-Hemming)は、日本で活躍するピアニストである。日本名は大月フジ(おおつきフジ)。ロシア系スウェーデン人の画家・建築家のジョスタ・ジョルジ・ヘミング(Josta Georgii Hemming)と、日本人ピアニストの大月投網子の間にベルリンで生まれる。
フジ子・ヘミング - Wikipedia より引用
フジ子先生は5歳の頃、日本に帰国し、母とレオニード・クロイツァーの薫陶を受けてめきめきと実力をのばし、高等部在学中の17歳の頃、デビューコンサートを果たしました。
順風満帆なキャリアは、留学とともに陰りを帯びていきます。優秀な成績でベルリン音大を卒業しつつも、「外国人」ということで疎外され、やがて貧しさから風邪をこじらせ聴力を失うというピアニストとして致命的な障害を負うことになりました。音楽活動は一時中断し、移住したストックホルムで音楽教師をしながら細々と音楽に関係していました。
95年、母の死去により、日本へ帰国したフジ子先生はテレビに出ます。その番組で語られたこれまでの壮絶な人生に人々の心が動き、アルバム「軌跡のラ・カンパネラ」は30万枚というクラシックではありえない枚数を売り上げます。フジ子先生の生まれが1932年なので、60年という長い時間を経てはじめてフジ子先生はブレイクします。
代表曲・演奏スタイル
デビューアルバムの表題にもある「ラ・カンパネラ」がいわゆる十八番です。「ラ・カンパネラ」の作曲はフランツ・リストですが、リストに加えてショパンの手になる曲が先生のレパートリーです。
面白いのは、プロピアニストでありながら、フジ子先生は超絶技巧の人というわけではありません。言い換えると、現代の若いピアニストよりずっと下手ですが、それでもピアノの巨匠です。なぜでしょうか?
現代はまるで機械のように正確な演奏ができる人は珍しくありませんが、それは幼少児からの英才教育やコンクールによる発掘や芸能事務所のプロデュースなど、大きな手間と労力をかけて音楽家が育てられているからです。しかし、今ほど豊かでなかった時代、金を湯水のように注ぎ込まれて育つ音楽家などおらず、テクニックという点で言うと、現代のピアニストの方が一枚も二枚も上手です。
しかし、好みもありますが現代のピアニストよりも下手なフジ子先生やアルフレッド・コルトーのようなピアニストのほうが好き、という人はたくさんいます。
それは、「情感」とか「センス」の領域に属するものです。彼女らの演奏は、心を揺さぶるのです。テクニックとして上手い・下手というのは結構基準が決まってきますが、フジ子先生やコルトーの演奏は、そういう基準を飛び越えて「いい」と思わせるだけの何かがあるのです。
一号は「縦線の会ったアンサンブルや、どれだけ細かい音をどれだけ速く弾けるか」ということはほとんどスポーツだと思うのです。芸術ってそういうもんだろうか。聖歌という、祈りの心から生まれたはずの音楽が、スポーツになっていいもんだろうか、と思うのです。それはエキサイティングではあっても、アパショナータではないなあと思ってしまいます。
音楽に携わる人間にとって、「いい音楽ってなんだろう」という問いはずっとついてまわってくるものですが、そんな問いにさらっと答えるような、フジ子先生の言葉でこのエントリをしめくくります。
間違えたっていいじゃない、
機械じゃないんだから。
--フジ子・ヘミング