Report&Reviewレポート・レビュー

【投稿レポート】金 理有(きむ・りゆ) 展 「麒麟幽」(neutron kyoto)

2010/10/22

実際の展覧会の様子をご紹介している展覧会レポート。
今回は、こちらの展覧会に関して、投稿いただきましたご感想をご紹介致します。
投稿してくださったdenさん、どうもありがとうございます!

金 理有(きむ・りゆ) 展 「麒麟幽」 @neutron kyoto
(2010/10/11-10/24)

射抜く眼の内側に潜むもの...「 金 理有 - 麒麟幽 - 」

Riyo-Kim.jpg『醜鶩発起』(2010)© RIYOO KIM
未知の星に降り立つ。
砂塵舞う彼方にうすぼんやりと見えるものは
スフィンクスのように鎮座する要塞。
大きく突き出た角のような土台の中央に
こちらをじっと見る目がある。
それ自体が巨大な生き物として機能しているような
艶かしいディテール。
ここはいつの時代なのか...
これは永遠に朽ちることのない過去の造形か、
それとも我々が想像もし得ない未来からの警告か...
などと思いを巡らしてみる。

「たじろがせる陶芸」、
そんな言い表し方もまたふさわしい作品である。

その成り立ちがなんであるかは
当然会場に来る前に承知しているはずなのだが
こと、これらの作品について言えばそれすら考える余地を
与えないほどに重く、険しく、鋭く、シビアである。
陶芸というプロセスを経たという想像を
吹っ飛ばしてしまう一撃の力がある。
それというのもこんな陶芸は見たことがないからだ。
しかし、この力は内に向かっている。
威圧的な外観は、まるで触ると身を頑に守るアルマジロか
ハリネズミのように厚い甲冑のようである。
僕などはそう、ウィッシュボーン・アッシュの
1972年発表のアルバム「アーガス」のジャケットを
思い出してしまった。
アーガスはギリシャ神話に出て来る
これとは全く逆の"百の目を持つ巨人"だが、逆もまた真なり。
堅牢な外側とそして"何もないが有る"内側。
陶芸の持つ宿命的な構造が
内的なものへの作家の強い思いのために意味を成してくる。

作家にとっての一親等(法律用語で言う)が
日本人の父であり、韓国人の母であることを受け入れ、
それを自分の中で撹拌する。
すると分離するものが内包されている...これが
インタビューで作家が言う「自我とは幅広く分散した、目には見えない
量感のような、たっぷりとした存在感」なのではないかと
勝手ながら憶測したりするのである。

美的なるものへの憧憬や、それを作り出そうとする情熱とは
また別の強い欲望が、このような一見厳しく、突き放したような
風采の作品となるのではないかとも思う。

この独特の文様は作家によれば陶芸を始める以前に影響を受けていた
ストリートカルチャーであるグラフティやタトゥー、
あるいはSFアニメや映画に現れるモチーフとシンクロしている。
それは古代と未来のどちらにも通用する
時を超えた配列記号なのかも知れない。

この作風をすでに20代で確立した作家の向かうところへ目が話せない。


文責:den 編集:京都で遊ぼうART


金 理有(きむ・りゆ) 展 「麒麟幽」は、今週末10/24(日)までneutron kyotoで開催されています。 残り期間はあとわずか、気になった方は是非足を運んでみて下さい。 denさん、素敵なレポートをどうもありがとうございました!


★「京都で遊ぼうART」に参加してみませんか?
京都で遊ぼうARTでは展覧会や施設の感想や、京都のアート情報の紹介を随時募集しています。
展覧会や施設に行ってみた方、生の感想を是非お寄せ下さい!
また、アートイベントや展覧会の開催情報など、アーティストさんや主催者さんなどからの掲載依頼も随時受け付け中です!

ボランティアライターに関する詳細はこちら
お問合せについてはこちら

関連リンク

金 理有(きむ・りゆ) 展 「麒麟幽」
neutron kyoto

最近の記事