【DWK2019|OPEN FACTORY】見学レポ《3》竹影堂(金属工芸)
DESIGN WEEK KYOTO 2019|工房見学レポート
「京都をよりクリエイティブな街に」をコンセプトに、京都在住の職人やクリエイター有志により開催されているプロジェクト「DEDIGN WEEK KYOTO」。
今年も1週間限定で実際のモノづくりの現場を公開するオープンファクトリー企画を開催されました。
DESIGN WEEK KYOTOに広報協力している「京都で遊ぼうART」では、そのうち4つの工房をスタッフが実際に見学!その様子を改めて、少しですがご紹介します。
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【3】竹影堂(金属工芸)
3件目は「竹影堂」の七代目中村榮真こと中村佳永さんです。
場所は京都市役所から少し歩いた、老舗の旅館や商店が立ち並ぶ麩屋町通沿いにあります。
竹影堂は江戸後期に創業し、約230年続く錺(かざり)金具の老舗。
主に茶道具や香道具のほか、寺社などの釘隠しや急須、湯沸(やかん)、襖の引手、舞妓さんが使う花簪などの装飾品まで、幅広い作品の製作や修繕を手掛けられています。
元々は刀の葉佩(はばき)や目貫などの刀装具を手掛けていたそうですが、明治維新を迎え、廃刀令によって刀装具の需要が激減。そこでそれまでに培った技術を生かして美術工芸品・金工品の製作に転身されたそうです。
現在の場所に移ってきたのはちょうどその頃、明治22年のこと。
建物は禁門の変で京都の中心部が火災に遭ったすぐ後、明治初期頃に建てられた、伝統的な商家タイプの京町家です。ショップスペースとなっている店の間や、おくどさん(台所)、坪庭に奥の間と昔ながらの姿が良く残されています。
美術品や金工品を作るようになったのは四代目・竹次郎の時。
この竹次郎が素晴らしい職人だったそうで、明治28年に京都で開催された内国博覧会では海外向けの美術工芸品で高く評価された他、明治天皇が行幸された際に滞在した小御所では彼の作品が飾られていたそうで、その旨の証書も残されています。
「"竹影堂"の名前もこの竹次郎が由来なんです。有栖川宮様から、竹次郎の"竹"を取って命名され賜ったものなんですよ」という中村さん。
それから祖父・父と代は続き、現在の中村さんで七代を数えます。
それでも、竹影堂の歴史は決して平坦なものではありませんでした。
「金属加工の分野は、機械化を進めて大規模に行うか、手作業で一つ一つ物を作るかに特化しています。うちは後者で、手掛ける品からして作家色が濃かったので、手づくりに拘りました。それでも時代によって求められるものは違いますから、その時々によって作るものも変わっていきました。一時は車のフロントにつける企業ロゴマークも作っていたんですよ」
そのロゴマーク製作も、時代が進むと機械生産にとってかわられてしまいます。それでもこれまで続けていくことができたのは、手仕事によるものづくりが求められてきたからだ、と中村さんは言います。
「お茶道具も手掛けていて、その需要はずっとありましたので、ものづくりとしてやっていくことができました。また、(職人の手による)良い手作りの品が欲しい、と手道具が流行した際には仏具や香道の道具も求められましたので、そちらの需要にも応えてきました」
一つのものにこだわらず、自らの技で作れるものなら求められれば挑戦する、その心がこれまでの中村さん、そして竹影堂を支える力となってきたのです。
「私自身も茶道をしていますが、茶筅以外の道具は金属でもできる、と思っています。お茶の先生方にも「こういう使い方・道具も金属でできるのでは」と新しい金属の茶道具を発信しているんですよ」という中村さん。
見せて頂いたのは風炉や香合、水指など、通常は漆器や陶器など金属以外のものが使われることの多い道具たち。培った技を活かし、金工の可能性を広げていく中村さんの表情は若々しく輝いておられました。
続いて、工房を見学させていただきました!
今回見せて頂いたのは、湯沸(やかん)の本体づくりの一部。
素材の主体は加工しやすい銀。厚さ0.6㎜程の金属板にしたものを使います。
素材の主体は加工しやすい銀。厚さ0.6㎜程の金属板にしたものを使います。
床には大きな穴があけられているのですが、これも大事な設備。穴に4,50cm程度の木の棒を埋め、形づくりをする際の台座にしているそうです。
ここに「当て金」という金属棒のような道具を挟み、金属板を当てながら木槌や金槌で少しずつ叩き、形を整えていきます。
「金属加工というと叩いて"伸ばす"イメージがありますが、叩いて"縮める"といった方が正しいんです。伸ばすと板が薄くなってしまって使えませんから、厚みを変えずに形を作っていくことが大事です」
また、金属の性質で、縮むと金属粒子の密度が上がって固く締まっていくので、形も崩れなくなっていくのだそうです。
叩いたところは金属特有のキラキラした光沢が生まれ、輝きだします。
各段階のサンプル。段々形が整い、左奥の状態でほぼ湯沸本体部分の形が出来上がっています。ちゃわん状から形が変化していく過程がわかります。
叩いたところは金属特有のキラキラした光沢が生まれ、輝きだします。
各段階のサンプル。段々形が整い、左奥の状態でほぼ湯沸本体部分の形が出来上がっています。ちゃわん状から形が変化していく過程がわかります。
形を整えていくにつれて、平らなところや底など様々な部分ができていきます。その都度場所に合わせて当て金も使い分けられています。上の写真は内側に丸まってきた部分を整える当て金。
当て金は棚一杯にずらりと並んでいます。このほかにも全体の形を整える型や模様をつける型なども用います。道具は全て手作りで、以前の代に作ったものを受け継いだものを用いることもあれば、合うものが見つからなければ新たに自作することもあるそうです。
「以前お客さんがこんなのを作って、とサンプルとして持ってきてくれた品が、家に残っていた型とぴったり合ったので、「うちの作品だ!」とわかったこともありましたね(笑)」という中村さん。
長く道具を受け継いできたモノづくりの家だからこそのエピソードです。
こちらは器の表面を装飾する、模様のついた金槌(これも手作り)。これで表面を叩くと、線や砂目状の細かい模様をつけることができます。
こちらは以前の代で手掛けられた、お寺で使う香炉のサンプル。
左側は下絵に合わせて透かし彫りをした状態、右は細かく表面を彫りこんだ状態。このような絵や模様のデザインも自らされているそうです。
「自分で作る作品はできるだけ全部自分の手をかけてやりたいんですよね。注ぎ口とか取っ手とか装飾パーツも自分で作っています。動物とか具象的なモチーフを作るときは写真や実物を見て作るようにしているんですが、ついついこだわってやりすぎちゃう(笑)」という中村さん。
左側は下絵に合わせて透かし彫りをした状態、右は細かく表面を彫りこんだ状態。このような絵や模様のデザインも自らされているそうです。
「自分で作る作品はできるだけ全部自分の手をかけてやりたいんですよね。注ぎ口とか取っ手とか装飾パーツも自分で作っています。動物とか具象的なモチーフを作るときは写真や実物を見て作るようにしているんですが、ついついこだわってやりすぎちゃう(笑)」という中村さん。
なかにはこんな小さな作品も!
虫の足や犬の毛並み、肉球(!)まで丁寧に作り込まれていて、その技術と手掛ける範囲の広さに脱帽です。
虫の足や犬の毛並み、肉球(!)まで丁寧に作り込まれていて、その技術と手掛ける範囲の広さに脱帽です。
「金属は加工技術が非常に多く、何でもできる。その分色々なことを知っていないと、お客さんにこんなことはできるか、ああしてほしい、と聞かれても対応できないんです。なので、技術はもちろんですが、絵や文化的なことなど色々なことを学ぶことが大事だと思います」
その点に置いて、中村さんは京都の地で生まれ育ったことは大きいと言います。
「京都に生まれ育ったことで、年中行事などの歳時記や、昔の優れた美術工芸品などに触れる機会が多かったことは本当に良かったと思います。私たちはそういう文化の下地があるものを作っているわけです」
中村さんはここで、ある言葉を挙げられました。
"文化は無駄なことである。だがその無駄があるからこそ文化がある"
生活する上では必要のないことかもしれないが、普通より少し良いものを、ただ使うだけでなく自分が気に入るものを、見ていて楽しいものを...そんな気持ちから文化が生まれるのだ、と。
「その"ちょっといいものを"という気持ちに応えることができるのが、手づくりなのだと思います。私たちのような手仕事の職人は、文化があるからこそ求められているのです」
中村さんはここ数年、年末にお題を決めて、それをイメージした新しい作品を作るという試みを続けているそうです。その中でよくお題に用いるのが、源氏物語だそう。
そう話す中村さんの表情は穏やかながら、職人としての誇り高さと、今後もモノづくりの歴史を連ねて行こうとする力強さに満ちていました。
ものづくりのまちとしての京都を支えてきた人たちの積み重ねてきたものの一端に触れることができたように感じるひとときでした。
中村さんは自ら作品を制作する傍らで、伝統技術工芸学校(KASD)の講師としても教鞭をとられるなど、若い職人さんの育成にも尽力されています。
表にある店舗「かざりや」のスペースを作ったのも、若い職人さんたちのためだったとか。
こちらには、小さなアクセサリーや根付などを中心に、若い職人さんの手掛けた作品も多く並んでいます。
その点に置いて、中村さんは京都の地で生まれ育ったことは大きいと言います。
「京都に生まれ育ったことで、年中行事などの歳時記や、昔の優れた美術工芸品などに触れる機会が多かったことは本当に良かったと思います。私たちはそういう文化の下地があるものを作っているわけです」
中村さんはここで、ある言葉を挙げられました。
"文化は無駄なことである。だがその無駄があるからこそ文化がある"
生活する上では必要のないことかもしれないが、普通より少し良いものを、ただ使うだけでなく自分が気に入るものを、見ていて楽しいものを...そんな気持ちから文化が生まれるのだ、と。
「その"ちょっといいものを"という気持ちに応えることができるのが、手づくりなのだと思います。私たちのような手仕事の職人は、文化があるからこそ求められているのです」
中村さんはここ数年、年末にお題を決めて、それをイメージした新しい作品を作るという試みを続けているそうです。その中でよくお題に用いるのが、源氏物語だそう。
「形やモチーフの組合せなどで連想してもらうようにしているのですが、作品を渡したお客さん側から、元ネタを当てられたうえで実はこんな意味もあるんだよ、と自分の知らない知識を教えてもらうこともあります。これも長く読み継がれてきた古典文学という文化があってこそのもの。そんな風に、長く続いていくものをこれからも作っていきたいですね」
ものづくりのまちとしての京都を支えてきた人たちの積み重ねてきたものの一端に触れることができたように感じるひとときでした。
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中村さんは自ら作品を制作する傍らで、伝統技術工芸学校(KASD)の講師としても教鞭をとられるなど、若い職人さんの育成にも尽力されています。
表にある店舗「かざりや」のスペースを作ったのも、若い職人さんたちのためだったとか。
こちらには、小さなアクセサリーや根付などを中心に、若い職人さんの手掛けた作品も多く並んでいます。
「若い人の作品を常に見てもらえる、活躍できる場所を作りたいと思ったんです。15年ほど前でしょうか。もっと生活の中で身近に使っていけるようなものを提案していければと思っています」
中村さん、お忙しい中ほんとうにありがとうございました!
(撮影:浜中悠樹/文:そめかわゆみこ)
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■ 株式会社 竹影堂 http://www.designweek-kyoto.com/jp/store/detail/?id=29