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【レポ】文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 (龍谷ミュージアム)

2024/05/29

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中央アジア・アフガニスタンは、ユーラシア大陸の東西を結ぶシルクロードの途中にあり、「文明の十字路」とも呼ばれる地域です。その象徴的な遺跡として知られたバーミヤン遺跡は、崖の岩肌をくり抜いて作られた二体の大仏と多くの石窟で知られ、その周辺は「太陽神」や「弥勒仏」などを描いた美しい壁画で彩られていました。

残念ながら遺跡は2001年にイスラム原理主義組織・タリバンによって破壊されてしまいましたが、破壊以前に遺跡を訪れた日本の調査隊が写真や詳細な資料を残していました。
これをもとに制作された描き起こし図が、龍谷ミュージアムの「バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰-ガンダーラから日本へ-」展で公開されています。

この展覧会では、現代に描き起こし図として蘇った壁画を起点に、壁画に描かれていた「太陽神」「弥勒」、その文化が中央アジアから東アジア、日本へ至るつながりを、関連する仏像や彫刻作品、各種資料をもとに紹介しています。今回は、その見どころや展示の様子をご紹介します!

※本記事の内容は、取材時(2024年4月時)の展示に基づきます。時期によっては展示品が異なる場合がございます。予めご了承ください。

中央アジアから日本へ
太陽神と弥勒信仰がつないだ文化の路を辿る旅

玄奘三蔵も訪れた、バーミヤン遺跡とは?

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景

展覧会の冒頭はバーミヤン遺跡の紹介から。展示室に入ると、バーミヤン遺跡の写真を背景にかつてバーミヤンを訪れた一人、玄奘三蔵の坐像が迎えてくれます。「西遊記」の三蔵法師のモデルとしても知られる玄奘三蔵は、7世紀前半、仏教経典の原典を学び、中国(当時は唐王朝)へ持ち帰るべく、仏教発祥の地・天竺(インド)へ向かう旅をしました。その途中でバーミヤンを訪れたのです。
玄奘の坐像は奈良・薬師寺が所蔵しているものです。薬師寺は玄奘をルーツとする法相宗のお寺。玄奘を通じたバーミヤンと現代の日本のつながりを示しています。

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展示では、玄奘の旅行記『大唐西域記』の中でバーミヤンについて書かれた部分も紹介されています。バーミヤンの大仏は6~7世紀ごろに作られたもので、玄奘が訪れたころには既にありました。玄奘は大仏を目にした感想も『大唐西域記』に書き残しています。

現代に蘇る、バーミヤン大仏の壁画

いよいよバーミヤン大仏の壁画描き起こし図とご対面!
実際の壁画は損傷が激しく、素人目には何が描かれているのかよくわからない部分も多いそうですが、この描き起こし図は、展覧会の監修者でバーミヤン遺跡の調査にも何度も携わった宮治昭先生が丁寧な考証・検証を行い、仏画やアジアの壁画に造詣の深い正垣雅子先生が制作されたもの。壁画を撮影した写真では見えにくい部分も線描で描き起こされ、とても分かりやすくなっています。

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景
《バーミヤン東大仏龕壁画 描き起こし図》宮治昭 監修・正垣雅子 筆、2022年
近くには何が描かれているか解説したパネルもあって安心。

こちらが東大仏の頭上に描かれていた天井壁画の描き起こし図。円形の枠の中に長槍を持った人物が描かれていますが、一見して「仏さまではないな?」という印象を受けます。最近の研究で、これは中東で古くから信仰されてきたゾロアスター教の太陽神・ミスラであると考えられているそうです。
また、周辺にはギリシャのアテナ神を思わせる「顔が描かれた盾を持つ女神」や、翼の生えた馬(ペガサス)、日本でもおなじみの風神らしき姿も見られます。東大仏の周りは、さまざまな宗教の神様・幻獣で彩られていたのです。

玄奘は『大唐西域記』のなかで「バーミヤンの人々は、仏はもちろん他の宗教の神々に至るまで敬っている」と記しているそう。東大仏の壁画は玄奘が見た通り、多彩な文化を持つ人が集いさまざまな神様を大切にしていた、バーミヤンの地域性が象徴されているようです。

ちなみに東大仏は玄奘曰く「釈迦仏(仏教の開祖・シャカ)」なのだそう。釈迦仏は仏教においてその偉大さを太陽になぞらえて讃えられていたため、ミスラ神も釈迦の頭上に輝く太陽を表現するために描かれたのかもしれません。

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景

ミスラのように、太陽と釈迦仏の結びつきの表現に取り入れられたインドの太陽神スーリヤの例も展示では紹介されています。スーリヤは太陽を表す円を背負い、馬に乗った正面向きの姿で表されることが多いそう。
若い釈迦が出家のために城から出ていく場面を表したレリーフを見ると、釈迦もスーリヤ神と同じような姿で表現されています。そういえばよく仏像や仏画で見る仏様は頭の後ろに円(頭光)や背後に光背があしらわれていますが、そのルーツもここにあったんですね!

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景
《バーミヤン西大仏龕壁画 描き起こし図》宮治昭 監修・正垣雅子 筆、2022年

こちらは西大仏の天井壁画描き起こし図。西大仏の壁画は広範囲にわたって残っているため、全5枚に分けて制作されています。
東大仏の壁画よりも剥落した部分が多く、メインの部分は空白が目立ちます。しかし、他の石窟に描かれていた壁画との比較検討の結果、周囲にはさまざまな菩薩や楽器を奏でる天人たちがいたり、宮殿の柱や垂れ幕のような装飾模様は弥勒菩薩が住むとされる世界「兜率天(とそつてん)」の描き方であることから、壁画には弥勒菩薩が描かれていたと推測されているそうです。

弥勒菩薩は、釈迦の後を継ぎ、遥か未来に仏(ブッダ)となって人々を救う、とされる仏様。その信仰は2,3世紀にはガンダーラ地方で既に行われており、その後バーミヤンのある中央アジア周辺で発展しました。バーミヤン遺跡には西大仏の壁画以外も弥勒菩薩を描いた壁画が石窟に多数遺されていたそうで、弥勒信仰が盛んだった様子がうかがえます。

西大仏の壁画は大仏と合わせることで「遥か未来、兜率天から下界に人々を救いに弥勒菩薩が仏(大仏)となって降りてくる」場面、弥勒信仰のひとつ「下生信仰」を表現しているそう。いわば巨大なジオラマです。

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景

壁画の描き起こし図は実際の壁画の1/10ほどの大きさに縮小されています。会場には、日本画家の方の手で原寸大で模写されたバーミヤン遺跡の復元壁画も展示されています。実際に壁画に描かれた仏様の大きさは、おおよそ人間の等身大!その迫力が体感できますよ。

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景
こちらは東大仏壁画の検討資料。

また、周辺には宮治先生の貴重な現地での壁画のスケッチや調査ノートなどの研究資料、描き起こし図制作の過程がわかる検討途中の図面なども紹介されています。生の研究資料を拝見できる貴重な機会、こちらも注目したいところです。

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景
バーミヤン遺跡の様々な石窟壁画をスケッチした宮治先生の研究ノート。

日本の「弥勒菩薩」が「半跏思惟像」になったわけ

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景

展示の後半は、日本へ伝わった弥勒信仰がどのような形になったか、に注目。ここではガンダーラ、中国、朝鮮、そして日本のさまざまな弥勒菩薩像が紹介され、その変遷を見ることができます。古今東西の「弥勒菩薩」を見比べて味わえます。

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景
ガンダーラの弥勒菩薩たち。

ガンダーラはバーミヤンの少し南側にあります。仏像の造形スタイルはガンダーラとバーミヤンは似ているそうで、ここにも文化的交流があったことを伺わせます。ガンダーラの弥勒菩薩は、髪を結い上げ装飾品を身に着け髭を蓄えた男性像で表現されています。そして姿勢は両足をクロスさせた「交脚」。ガンダーラや中央アジア、中国など大陸では弥勒菩薩像といえばこの姿勢で作られたものが主流だといいます。

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景

一方、日本で弥勒菩薩の坐像といえば、片足をのばしもう一方の足は曲げて座る「半跏思惟」の姿が多くなります。この姿勢はもともとガンダーラでは観音菩薩を表す場合が多く、弥勒菩薩のものではありませんでした。それが中国に伝わると弥勒菩薩の脇侍の菩薩が「半跏思惟」になったり、兜率天に思いを馳せる様子を表す姿勢として「半跏思惟」像が作られ、弥勒菩薩と次第に結びついていきました。

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景

他にも、密教では大日如来が弥勒菩薩と同じ存在と考えられ、弥勒菩薩を描いた曼荼羅も作られました。大日如来は太陽の化身とされているので、これはガンダーラやバーミヤンの太陽神との繋がりにも似ていますね。

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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景

また、阿弥陀如来が亡くなった人を迎えに来る様子を描いた「来迎図」を弥勒菩薩で描いた作品も!これは平安時代に極楽浄土を願う阿弥陀信仰と弥勒信仰が同時に流行ったことで生まれたものだとか。こんなに弥勒信仰はバラエティ豊かになったことに驚かされます。
中央アジアから長い旅路を経て伝わり、日本でさらに独自の進化を遂げた弥勒信仰。しかし、有難いものを次々に合体・習合させていく流れは東西共通。遥かシルクロードからのつながりが確かに感じられ、仏さまを通して、遥かなるシルクロードの旅路を体感できたような心地になりました。


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「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」(龍谷ミュージアム)展示風景

存在は知っていても、はるか遠い存在のようだった、バーミヤンの遺跡。しかし展示を通してルーツをたどっていくと、西と東の文化の血脈が同じ歴史の流れの中にあること、今を生きる自分達もそれを目にし、その流れの中に生きていることを感じられ、バーミヤンの遺跡が、精神的にずっと近い存在になったような気がします。
そのバーミヤン大仏は現在は喪われ、その姿を直に見ることは叶いません。しかし会期中には映像展示で現在の遺跡の姿を記録したドローン映像の上映も行われています。展示を見た後に改めて遺跡全体の姿を目にしてみてはいかがでしょうか。

展示は6/16まで。

■ 文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 ―ガンダーラから日本へ―(龍谷ミュージアム)

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