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【レポ】「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)

2024/06/24

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1960年代以降のデザイン界で世界的に高く評価され、日本で初めて「インテリアデザイナー」という職業領域を確立させた、倉俣史朗(1934-1991)。そのデザインや思考を振り返る大規模な回顧展「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」が、京都国立近代美術館で開催されています。

世田谷美術館、富山県立美術館と巡回し、京都国立近代美術館は最後の展示会場となります。
実は京都国立近代美術館は、かつて倉俣の没後5年、1999年に開催された最初の回顧展「倉俣史朗の世界」でも最終会場となるなど縁のある場所でもあります。
25年ぶりの京都での倉俣史朗展、その様子をご紹介します。

※この記事は2024年6月の取材内容に基づきます。

夢や記憶から生まれ、心の"小宇宙"に語りかける「倉俣史朗のデザイン」

会場は倉俣がデザイナー活動開始当初に勤めていた三愛株式会社時代の仕事を中心に取り上げたプロローグと、独立後の仕事をテーマごとに紹介する4つのメインパート、そして倉俣の構想や思考を紐解くスケッチ群を中心に紹介するエピローグと、主に6つの章分けで構成。時系列順に、倉俣史朗の活動を辿っていくような流れになっています。

他会場と比べ、京都会場の展示空間はライティングが暗めに設定されています。回廊状の空間デザインとも相まって、「記憶のなかの小宇宙」のタイトル通り、倉俣史朗という人物の記憶という宇宙を回遊するかのような感覚が味わえます。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景

この「記憶のなかの小宇宙」というタイトルは、倉俣が生前に残した言葉に由来しています。
倉俣は幼少時に戦争を体験した世代であり、それもあって全体主義思考を否定し、どこにもとらわれないもの―浮遊感・無重力を自分の表現のキーワードとして度々口にしていたそう。会場には、随所に倉俣が著書や取材記事等に残した言葉が紹介され、作品と併せて倉俣の思考の一端に触れることができるようになっています。

倉俣がデザイナーとして活動を始めた1960年代は、プラスチックが家具に使われるようになり始めた時期でした。今では当たり前にあるプラスチックが、当時は最先端の新素材。倉俣は積極的にプラスチックや、ガラス、アルミといった新しい素材を取り入れた、未来的なイメージのインテリアや家具を生み出し、それまで曖昧だった「インテリアデザイナー」の先駆者として注目を浴びます。

この当時のインテリアデザインやウインドウディスプレイはほぼ現存していないため、図面や当時の写真が中心となっています。倉俣が自ら作品を撮影してまとめていたスクラップブックも紹介。積極的に自分の思考や活動を記録しようとする倉俣の人となりが感じられます。

第1章からは、クラマタデザイン事務所設立後、デザイナーとして独立した時期以降の活動を紹介。倉俣はこの時、横尾忠則や高松次郎といった同世代の、いわゆる「ポストモダン」の時代のアーティストらとも交流を持ち、大いに刺激を受けたといいます。「ポストモダン」のアーティストたちは、それまでの機能性や合理性を重視したモダニズムのスタイルから脱却し、より自由で個性を主張する表現を求めていました。その影響もあってか、この頃から倉俣は自分の思考を自由に表現したオリジナル家具の制作に取り組むようになっていきます。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景

ここで紹介されているのが《プラスチックのかぐ》。透明アクリルで作られたワゴンや洋服ダンスは、空間に溶け込んでしまい、家具でありながら存在感がなくなります。でも中に物を入れれば家具として機能し、そこに「ある」ことがわかる。中に入れたものが宙に浮いて見える面白さもあります。

展示を担当した研究員の宮川智美さんによれば、「倉俣の家具は人間工学といった使いやすさを考慮したものではなく、一種の自己表現。言語にならないものを形として表現している側面があり、どうやって使うか、を考えることも表現の一部と考えられます」とのこと。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景

続いて第2章では「引き出し」に注目した作品を紹介。様々な形のタンスや棚など、ユニークな「引き出し」付の家具が並びます。
人間、引き出しを見るとついつい中に何があるのか開けてみたくなるものですが、倉俣はそれに「家具と人間のコミュニケーション」を見出し、「引き出し」シリーズを生み出したのだとか。どこからどうやって開けるのかわからないようなものも有り、引き出すポイントを探しながら見てしまいます。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
《ランプ(オバQ)》シリーズ。1972年に発表され、現在もロングセラーとなっている倉俣の代表的なデザイン家具です。

こちらは、倉俣の代表的な作品である、光と空間の関係性に注目して設計されたランプたち。乳白色のプラスチックの下からふわりと光が空けて浮かび上がる姿は、白いハンカチをつまみ上げた形からイメージしたものだそうで、光を布に包んで閉じ込めたかのようにも見えます。《プラスチックのかぐ》とは逆に、こちらは触れられないもの、かたちのないものに「家具」という形を与えて存在感を生み出しています。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
手前が《硝子の椅子》。
向こう側の風景が透け、うっかり見逃してしまいそうなほど
空間に溶け込んでいます。

第3章では、倉俣の作品にみられる「無重力への願望」に注目。その象徴として、冒頭には倉俣の代表作《硝子の椅子》が展示されています。

一般的に、倉俣は1980年代にデザイナー集団『メンフィス』(*1)へ参加したことがデザイン変化の契機と言われます。しかし、今回の展覧会では《硝子の椅子》が生まれた1976年をターニングポイントと位置付け、ちょうど展覧会の前半と後半の境に《硝子の椅子》を配置したのだそうです。

*1)『メンフィス』イタリアの建築家/デザイナー、エットレ・ソットサスを中心に1981年に結成された多国籍デザイナー集団。日本からは倉俣史郎の他、磯崎新、梅田正徳なども参加している。
モダニズム時代に削がれた装飾性や、ユーモア、人間の個性の要素を回復させることを掲げ、明るく鮮やかな色彩を多用したり、複雑で有機的、遊び心のある形のデザインを生み出しデザインにおけるポストモダンの代表として一世を風靡した。また、生活と公共、個人の関係を含めたデザインを求め積極的に企業とのコラボレーションも行った。1988年に解散。

《硝子の椅子》は、板ガラスを切って貼り合わせただけという非常にシンプルな椅子で、最小限の構造を突き詰めた、まさにミニマルデザインといった作品。発表当時、森の中に展示した《硝子の椅子》を見た子供たちは「見えない椅子」と称したそうです。そこに確かにあるはずなのに、透明故に周囲の景色や空間に溶け込んで、人の目にはどこにあるのかわからなくなってしまう。また、ガラスという素材自体は重量があるのに、見た目にはそれを感じさせません。
人間の認識を利用した軽さや浮遊感の表現は、倉俣デザインの柱といえるもの。それがスタイルとして確立したのが、《硝子の椅子》でした。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
手前は1984年作の《椅子の椅子》(富山県美術館蔵)黒い台に黄色い椅子を重ねた構造の作品。
台の黒と床の黒が溶け合って、黄色い椅子が浮いているように見えます。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
手前が《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》1986年(富山美術館蔵)。
こちらも現在も販売されているベストセラー家具です。

第3章では、その他にも《トワイライトタイム》《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》など、1980年代に倉俣が制作した名作椅子・家具が並びます。ガラスやスチールといった素材の質感や特性を活かしたデザインは、シンプルながら軽やかで洗練された雰囲気を感じさせます。床に映るシルエットも素敵。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
手前が《ミス・ブランチ》。

そして第4章では1988年以降、さらに華やかで遊び心のあるデザインの作品が登場します。
この頃倉俣は「ガラスがプラスチックを真似る時代に入った」と言い、再び初期に使っていた透明アクリルを家具の素材にするようになります。

倉俣の代名詞的作品のひとつ《ミス・ブランチ》も、透明アクリルを活かした作品。バラの造花をアクリルの中に閉じ込めた表現は、可愛らしさと同時にまるで標本を見せられているような、「時間を止めて閉じ込めている」ような感覚を与えます。
アクリルの色や空気、オブジェクトはアクリルという素材を通じてそこに封じられている、形が定まらぬ何かの象徴にも思えてきます。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景

もう家具のデザインというよりは家具の形のアートなのでは?
このデザインとアートの表現の境界について、倉俣自身は「区別はない」としながらも「ガラス(アーティスト)とプラスチック(デザイナー)の関係に似ている」と述べているそう。似ているけど、非なるもの。非なるけど、似ているもの。どちらも言葉とは違う人の思考の表現であって、見る人に何かを伝え語りかけるもの...ということなのかもしれません。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
倉俣のイメージスケッチや夢日記。

エピローグでは、そんな倉俣の思考を、イメージスケッチや夢日記といった資料を通じてたどります。倉俣は自身の見た様々な夢を文章やイラストで記録し、そこを起点にして作品を生み出していたそう。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
倉俣のイメージスケッチや夢日記。

描かれているのは、何かの欠片をまぶされた椅子やテーブルだったり、どこかの不思議な建物空間だったりとさまざま。夢の内容をメモしたものやこれを見せた知人に説明した文章も書き添えられています。なかには、《ミス・ブランチ》を思わせる花で埋め尽くされた部屋など、展示作品のアイデアを感じさせるものも、《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》に群がったり、鳥を捕まえようとする猫たちなどなど、イラスト作品として成立する様なユーモラスなものも多数見られます。まるで倉俣のデザインの源泉、頭の中をを覗かせてもらっているかのようで、夢の中から送られた絵葉書のようにも感じられました。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
「倉俣史朗の私空間」のコーナー。

他にも、「倉俣史朗の私空間」のコーナーでは倉俣の愛蔵書やレコード等が展示されています。倉俣はSF映画や小説、音楽も好きで、インタビューでもよく話をしていたといいます。どんなものが好きだったか、もその人の思考の一部。倉俣のデザインのもうひとつの背景が見えてくるようです。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
《硝子の椅子》《ミス・ブランチ》が一緒に並んでいる、エピローグ~プロローグ間の展示室。
こちらは撮影OK。《硝子の椅子》が「見えない椅子」と言われた理由がわかる写真パネルも。

エピローグを抜けると、展示室は再びプロローグへと繋がっています。これは倉俣の生涯を一巡りしてまた原点に還ってくる、その思考の流れを味わってほしいという意図だそう。
展示の冒頭に掲げられている展覧会のタイトル「記憶のなかの小宇宙」の由来となった倉俣の言葉―「私にとっては見た夢の体験も含めて記憶は無限の宇宙を構成してくれる」これがエピローグを見た後だとより強く実感できました。
ここからもう一度展示を見てみると、最初と印象が違って見えるかもしれません。

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「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館)展示風景
展覧会入口近くのフォトスポット。
ここに置かれた《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》は実際に座ることも可能です。

今回、展覧会で倉俣史郎を取り上げた理由について、宮川研究員は記者発表にて次のようにお話されていました。

「倉俣の活躍した時代は、現代から見るとある人は懐古的に、ある人は新鮮に語る、ちょうどライン上にあたります。倉俣の作品は今見ても魅力的に感じられるけれど、当時の感覚とは異なっているかもしれない。同時に、作品の完成度の高さなど不変のものもあるし、倉俣の問題定義や言葉には今でも共感する人もいるでしょう。デザインと表現について、今のデザイナーが、今の人が倉俣作品を通して考えるきっかけになればと思います」

倉俣の生み出した家具やデザインの数々は、誰もが子どもの頃に思い描いていた不思議なものや未来感といったものに対するワクワク感、遊び心、といったものを形にして留めているようです。それが倉俣の「記憶のなかの小宇宙」であり、それは作品を見る私たちの中にもあるもので、それを作品を通じて呼び起こされているのかもしれません。
見る人の夢や記憶、心の中に「かたち」で語りかけてくる倉俣の作品たち。この機会に出会いにいってみてはいかがでしょうか。

■ 「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」(京都国立近代美術館/2024/8/18まで)


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「印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957-1979」(京都国立近代美術館)展示風景

倉俣史朗が没してから約30年を経た現在、奇しくも彼が活躍した1960年代~1990年代の文化が見直され、一種のブームとなっています。
京都国立近代美術館の建物自体も、ポストモダン時代を代表する建築家で、先日惜しまれつつ亡くなった槇文彦が1985年に手掛けた作品です。

また、コレクション・ギャラリーでは、倉俣の活動と同時期に開催されていた東京国際版画ビエンナーレ展を特集した「印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957-1979」展をはじめ、倉俣と同時期に活躍したポストモダン時代の作家作品や、横尾忠則ら交流を持ったアーティストの特集展示も行われています。併せて見れば、倉俣の生きた時代の空気をより感じられますよ。

■ 「印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957-1979」(2024/5/30-8/25)

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