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【連載コラム】白沙村荘の庭から|第十九回「橋本関雪の周辺〜小説家たちとの関わり」

2020/10/05

京都には大小さまざまなミュージアムがありますが、 中には嘗て作家自身が暮らした家や、現在も人が暮らす住居を公開している施設もあります。 「白沙村荘の庭から」は、そんなミュージアムのひとつ、白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長・橋本眞次様に、ミュージアムの日々を徒然と綴っていただくコラムです。


現代において日本画を描く人の事をよくは知らないと云う人でも、小説という物を読んだり、それらを執筆した小説家たちについてほとんど知らないと云う人は割に少ないのではないかと思います。その理由は幾つかあると思うのですが、戦後に入った時点から画家たちと小説家たちの在り様が入れ替わっている印象を受ける事があります。

当時の小説家たちは、文壇で活躍する一部の先駆的な存在を除いては、新聞や雑誌の記者を務めていたりして、めぼしい画家たちと小説家たちは少なからず交流がありました。橋本関雪の周辺にも何名かの小説家たちがいたので、少しその辺りの紹介を。

夏目漱石
1867-1916

東京時代に、古書画の縁があったとされるが詳細は不明。また、大山崎山荘の命名にまつわる加賀正太郎の「漱石書簡」が、1935年の漱石忌の折に白沙村荘で初公開されている。

谷崎潤一郎
1886-1965

関雪の縁戚にある女性と結婚している。また、関雪の所有であった家屋をいくつか譲り受けていると言われている。
随筆「老後の春」の中では、関雪の3回忌法要に出席して別邸「走井居」を訪ねている記述がある。

芥川龍之介
1892-1927

関雪の東京時代(1909-1913)に、古書画仏像などの蒐集品持ち寄り鑑賞会を共催していたと伝えられているが詳細は不明。

吉川英治
1892-1962

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吉川英治と橋本関雪 1942年 タイ・アユタヤ 日本人町旧跡 山段神社にて

朝日新聞記者時代に関雪の番記者をしていた。また、1942年には朝日新聞社の依頼で関雪とともに南方旅行を行い、2人同時に旅行記の連載を行っている。

井伏鱒二
1898-1993

1912年の中学校卒業旅行の折に、橋本関雪にスケッチを持参して弟子入りを望むが断られる。

川端康成
1899-1972

芥川龍之介を介して関雪と知り合い、その後親交を結んだという。戦後の白沙村荘保存の際には、発起人の一人に名を連ねている。

井上 靖
1907-1991

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【左】井上靖【右】井上靖『美しきものたちとの出会い-忘れえぬ芸術家たち-』(上)表紙(下)記事

毎日新聞記者時代に関雪の番記者をしていた。「ある偽作家の生涯」「孤猿」など関雪の周辺をモデルとした作品も存在している。

***

これらの中で、関雪にまつわる話や回顧録、または展覧会に関係したり、白沙村荘の保存に関わったりしていたのは井上 靖と川端康成の二人。特に井上 靖は亡くなる直前まで、関雪の命日に白沙村荘を訪れてゆっくりと庭を眺めて帰ることをされていました。

他には、菊池 寛(1888-1948)のご祖先が関雪の祖父あたりからの懇意であったとか、江戸川乱歩 (1894-1965)が東京の橋本宅のご近所さんで関雪の息子である節哉と懇意になったり、司馬遼太郎 (1923-1996)が新聞記者時代に白沙村荘の保存活動に協力したりした...と伝えられています。それらのことも今は昔の物語。

画壇の遥か遠くに見える煌めきとともに、これらの人間模様も彼方へと消え去ってしまったのかもしれません。

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