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【連載コラム】白沙村荘の庭から|第二十一回「ふくろうのアンフォラ」

2021/02/15

京都には大小さまざまなミュージアムがありますが、 中には嘗て作家自身が暮らした家や、現在も人が暮らす住居を公開している施設もあります。
「白沙村荘の庭から」は、そんなミュージアムのひとつ、白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長・橋本眞次様に、ミュージアムの日々を徒然と綴っていただくコラムです。


橋本関雪が生涯止む事なく蒐集を行った、海の彼方の美術品たち。白沙村荘には今もその大部分が遺されており、時に展示がされている事もあります。
画伯の青年時代であった1903年から、没するまでの1945年までに集められたそれらを「関雪コレクション」と呼びます。

今回は、そのコレクションの一角を占める外邦陶器コレクションの中から、「ふくろうのアンフォラ」と呼ばれるギリシアローマ陶器の大壺をご紹介致します。

フクロウのアンフォラ2021a.JPG
ふくろうのアンフォラ
(紀元前5世紀頃/赤像式/H60.5×W39.5/白沙村荘 橋本関雪記念館蔵)



白沙村荘へご来館下さったことのある方ならばご覧頂いた事もあろうかとは思うのですが、白沙村荘の展示室を入った目の前に丸みを帯びた胴部に細い線でふくろうが描かれた壺が置かれています。
これは、橋本関雪が欧州外遊時に蒐集した外邦陶器の中でも、画伯随一のお気に入りであったと言われる紀元前5世紀頃のアンフォラと呼ばれる水瓶のようなものです。



フクロウのアンフォラ2021b.JPG
ふくろうのアンフォラ(部分)
(紀元前5世紀頃/赤像式/H60.5×W39.5/白沙村荘 橋本関雪記念館蔵)



壺全体は黒釉で染められており、絵の部分だけ胎土を透かすように赤く抜かれた形で強調されています。このような形式を「赤像式」と呼び、紀元前の中でも比較的後半の時代によく見られる描画手法で、古いものは「幾何学式」というパターン描写や、「黒像式」と呼ばれる対象を黒釉で描いて部分を掻き落として細部を表現するものがあります。


フクロウのスキュフォス.JPG
【参考画像】ふくろうののスキュフォス
(紀元前5世紀頃/赤像式/大原美術館蔵)



P1010064.JPG
【参考画像】ミネルウァ図スキュフォスに描かれたふくろう
(赤像式/大英博物館蔵)



ふくろうはギリシャではアテーナーの、ローマではミネルウァのシンボルであり、その事からこのアンフォラはミネルウァを祀る場所に置かれていたのではないかと推測されています。

***

さて、画伯は100いくつものギリシアローマ陶器を蒐集しましたが、これらの大半は当時パリで古美術商を営んでいた「タバグ兄弟」という、大英博物館やメトロポリタン美術館にも古美術を納めるなど手広く商いをしている店舗からの購入が大きいと言われています。

関雪はフランス語は話せず、子息の節哉が先んじてパリ留学をしていたので通訳はできたようですが、不在の際に美術商が訪ねてきたりすると現物や写真を見て、挨拶のほかは「Oui」「Non」「Combien」だけで商談をしていたそうです。

良いものを見つけると値段を気にせずに買ってしまうこの性癖は、東京での赤貧時代から変わらない関雪の宿業のようなものなのでしょう。度肝を抜く買いつけっぷりに自然と「ムッシュ橋本という日本人」は噂になり、滞在中のホテルには多くの骨董やその写真を携えた美術商が次々と訪ねて来たそうです。

そうして日本へ渡ったこのフクロウのアンフォラは実は大層貴重なものであったようで、後日パリのタバグ商会へ訪れた石黒氏という古美術商の方が、タバグの御子息に

「2、30年前に父が日本から来たムッシュ橋本に、たくさんのギリシアの壺などを売った。これはその台帳だが、このアンフォラやクラテルはまだあるか?できればフクロウの描かれたアンフォラを買い戻したい」

と言われたことがあると言います。

どうも話を聞くと、売った直後にギリシア陶器画研究の世界的な権威であったJ.D.ビアズリー卿が、アメリカでこのアンフォラについての小論文を発表したことで一躍注目が集まった...のだけれど、その時にはすでに白沙村荘に去った後で研究家たちが探し回っていた、ということらしいのです。

実際、その後も買いたいとの打診が何度かはあったようですが、当時通訳をした節哉がそれらを断り、その後の歸一の頃にも、そして私の時にも海外の美術館などからも何度か買い取りたいとの打診がありましたが、それらを断り続けて今もなお白沙村荘 橋本関雪記念館のシンボル的な存在として展示され続けています。

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