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【レポート】開館5周年記念「京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!(略称:若冲激レア展)」(福田美術館)

2024/11/01

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より
伊藤若冲《果蔬図巻》1790年以前 福田美術館蔵

福田美術館の開館5周年記念展「京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!(略称:若冲激レア展)」
2024年春に新発見のニュースが出て話題となっていた、伊藤若冲の知られざる作品《果蔬図巻(かそずかん)》を初めて一般に公開するお披露目展です。

あまりにもぶっ飛んだタイトル(若い方向けに敢えてライトノベル風にしたそうです)に面食らってしまうかもしれませんが、内容はいたってマジメ。
《果蔬図巻》を中心に、福田美術館所蔵の初期~晩年の若冲作品を一挙公開する他、若冲の画風に影響を与えた作品や、若冲と交流のあった同時代の人々にも目を向けた展覧会となっています。

激レア新発見作品《果蔬図巻》から伝わる、新たな伊藤若冲の物語。

伊藤若冲をつくった絵画たち

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より
伊藤若冲《蕪に双鶏図》18世紀 福田美術館蔵

1階ではまず、福田美術館の所蔵する若冲作品と、若冲が影響を受けたとされる画家たちの作品があわせて紹介されています。NHKのドラマ『ライジング若冲』でも登場して話題となった、現在見つかっている若冲作品で最初期のものとされる《蕪に双鶏図》もこちらにあります。

ここで注目したいのは若冲が画家として手本にしていた作品たち。
若冲は土佐派や狩野派などさまざまな流派を学び取り入れており、今回はユーモラスな墨絵で知られる白隠禅師の作品や、中国絵画、それをベースに画風を発展させた長崎の絵師たちの作品が紹介されています。

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より

なかでも中国絵画からは、沈南蘋や宗紫石らの絵画を紹介。彼らは清代の中国から長崎を訪れ、緻密な写生と鮮やかな彩色を特徴とする中国花鳥画の技法を伝えました。特に沈南蘋の画風は、彼に直接絵を学んだ熊代熊斐ら長崎の絵師たちに受け継がれて「南蘋派」となり、狩野派にはない新しい魅力のある画風として江戸中期の日本の絵画に大きな影響を与えました。
若冲も熱心にその画を学んでおり、画風に共通点が多く見られます。

若冲晩年の集大成、新たな側面も伝える《果蔬図巻》

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より
伊藤若冲《果蔬図巻》1790年以前 福田美術館蔵

2階には、いよいよ本展の目玉作品《果蔬図巻》が登場!

《果蔬図巻》は美しい色彩で約50種の果物や野菜を描いた、長さ3m余りにも及ぶ絵巻物。若冲の晩年期に近い70代の頃の作品です。これまで知られている晩年近くの作品は水墨画が中心で、色絵は数が少なく珍しいものだそうです。
若冲の色絵といえば《動植綵絵》のような密度の濃い作品の印象が強いですが、《果蔬図巻》は軽妙な筆致が印象的。どことなく可愛らしい、ユーモラスな形の果物や野菜たちは、実家が錦市場の青物問屋(生鮮食品を扱う問屋)だった若冲が幼いころから親しんだモチーフたちを愛おしむ気持ちも感じられます。

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より
伊藤若冲《果蔬図巻》(部分)1790年以前 福田美術館蔵
署名・落款を冬瓜の中に描いてしまうところも遊び心を感じます。

展示には京都産業大学の先生の監修で推定された果物や野菜の解説もあり、何が描かれているかを確認しながら楽しめるようになっています。柚子、桃、梨、葡萄、茄子、とうもろこしといった現代の私たちにも馴染みのあるものから、パッションフルーツやライチらしき当時珍しかっただろう南国の果物も!一時は家業の青物問屋を継ぎ、町の有力者としても活動していた経験もある若冲には、珍しいものでも手に入れられる伝手があったことがわかります。

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より
伊藤若冲《果蔬図巻》1790年以前 福田美術館蔵
左端が大典禅師の跋文。パネルには現代語訳もあるので安心。

末尾には、若冲の生涯の友として深く親交をもっていた相国寺の僧・大典禅師(梅荘顕常/ばいそう・けんじょう)の跋文(添書)も添えられています。その中で大典は「若冲の技もここまで来たか!」「思わず手に取って口で味わいたくなる」と大絶賛しています。実質、この《果蔬図巻》は若冲にとって晩年期の集大成のひとつ、といえるものだったのかもしれません。

この跋文には、《果蔬図巻》の制作経緯についても書かれており、それによると注文主は以前から若冲や大典とも親しくしていた大坂の商人。芸術に深く関心のある人だったようです。
当時の大坂では、学問や芸術に熱心な商人のもとをさまざまな芸術家たちが訪れて交流を深め、一種の文化サロンを形成する動きがありました。《果蔬図巻》は、京都に住んでいた若冲も、大坂の文化人たちと親しく関わりを持っていた証左ともいえます。
まだ知られざる若冲の人間関係や側面を今に伝える史料としても、大変貴重な作品です。

本展では通期展示かつ撮影も可能!今後ここまでじっくり見られる機会は多くはないかもしれないので、この機会にぜひ見ておきたい作品です。

京都の若冲と大阪の絵師たち

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より
伊藤若冲 下絵・梅荘顕常(大典禅師)賛《乗興舟》1767年 福田美術館蔵

京都の若冲と大坂の文化人たちとの交流を伝えるもう一つの作品が、《果蔬図巻》の隣に展示されている《乗興舟》です。

《乗興舟》は《果蔬図巻》を描く20年ほど前(《動植綵絵》を描いた時期)の作品で、若冲と大典がともに船で淀川下りをした旅の体験を題材にした版画の絵巻物。京都の伏見から大坂の天満橋までの風景を若冲が下絵として描き、大典がその時々の出来事や感想を得意の漢詩で書き添えています。
若冲のモノクロームの版画といえば草や虫をモチーフにしたシリーズ作品《玄圃瑤華(げんぽようか)》が知られますが、《乗興舟》もそれと同じ石摺(いしずり)の拓版(拓本と同じ技法)です。現在確認されている範囲では20冊ほど摺られたそうで、恐らく周囲の友人知人に配っていたのでしょう。

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より
伊藤若冲 下絵・梅荘顕常(大典禅師)賛《乗興舟》1767年 福田美術館蔵
現在も三十石舟が出る伏見の港から宇治川に出て淀川へと向かうところ。
かつての京都-大阪間の様子を今に伝える意味でも貴重な作品。

《乗興舟》もパネルに描かれている場所や大典の漢詩の訳や解説、わかりやすいイラストも添えられ、二人の小旅行を追体験するように楽しむことができます。ここが福田美術館さんの展示の嬉しいところ。

この船旅の目的は、大坂の絵師や文化人たちのもとを訪れ、交流するためでした。その際に会っていたとされるのが、当時の大坂を代表する文化人、木村蒹葭堂(きむら・けんかどう)。
蒹葭堂自身も絵を嗜み、同時に学問にも熱心で外国語を学んだり多くの本や資料を収集・コレクションしていたことから、彼のもとには多くの文化人たちが訪れていました。彼が来訪者を記録していた『蒹葭堂日記』には延べ人数で9万人もの名前があるそう。
若冲が蒹葭堂と会ったことが確認されているのは数回と多くはないそうですが、そのネットワークの一端にいたことは確かです。

華やかなりし、江戸時代の京都・大坂画壇

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より
右端が木村蒹葭堂の作品。

同じ展示室には、蒹葭堂の絵画作品や、若冲と交流があったと考えられる大坂画壇の絵師の作品も紹介されています。なかには、若冲との交流や影響が考えられるものも。

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より

上写真左は、鶴亭浄光(かくていじょうこう)という人の作品《蕃椒(ばんしょう)図》。蕃椒とは唐辛子のことで、家のお守りとしても好まれたモチーフです。縦長の画面とぐんぐん伸びる植物の構図、どことなく若冲の草虫図の構図と近いものがあります。
浄光は元々長崎生まれの黄檗宗の画僧で、先に登場した南蘋派の熊斐に絵を学び、その後大坂に移って南蘋派の画風を伝えた人物。木村蒹葭堂にも絵を教えていたほか、池大雅などとも親交があったといいます。南蘋派は若冲が強く影響を受けた流派であり、それを直に学んだ浄光の存在を若冲が知らないはずがありません。互いに交流をもっていたことは想像に難くありません。
江戸時代の大坂画壇は近年注目が集まり、展覧会も開催されるようになってきたテーマ。こちらも今後の研究成果や展開が楽しみなところです。

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福田美術館「若冲激レア展」展示風景より
円山応挙《海辺群鶴図》1784年 福田美術館蔵
本来海辺にいない鶴を海辺に描いたユニークな作品。
応挙も中国絵画、南蘋派を学んでいたようで、鶴の描写にはその影響も考えられます。

また、パノラマギャラリーでは、同時代に活躍した画家として円山応挙や曾我蕭白の作品も紹介されています。
彼らと若冲が同じ時代、同じ街の中で生き、暮らしていたことを考えると、当時の京都や大阪の文化芸術の機運の高さは相当のものだったことがうかがい知れます。
つい最近(2024年10月)、若冲と応挙の合作ともいえる屏風が新発見されたというニュースが話題となりましたが、互いに何かしら交流を持っていた可能性も十分に考えられます。


今ではすっかり有名になった伊藤若冲ですが、まだまだその実像には謎の部分も多いそう。今回《果蔬図巻》のように、存在が知られていない作品がひょっこり現れる可能性はまだありそうです。
また、大坂画壇と若冲の繋がりや交流についても、詳細はまだ研究段階とのこと。また新たな若冲の側面に出会える機会があるかもしれません。
絵の向こうに見える伊藤若冲の人となり、そして周囲の人々の息遣いを感じられる機会でした。

秋の嵐山、周囲の喧騒からひと時離れて、知られざる若冲の世界に浸ってみてはいかがでしょうか?

開催は1月19日まで。

開館5周年記念「京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!(略称:若冲激レア展)」(福田美術館)

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