【レポート】琳派展24「抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―」細見美術館
細見美術館で毎年開催されている「琳派展」シリーズ。
今回は酒井抱一を祖とする江戸琳派、なかでも抱一が晩年に暮らした「雨華庵(うげあん)」と、それを受け継いでいった門下の絵師たちに注目し、「雨華庵」に関連する作品を数多く収集している「うげやんコレクション」の所蔵品を中心に、細見美術館のコレクションを加えて紹介する展覧会です。その様子を内覧会の取材内容を主体にご紹介します。
※本記事は2024年12月時の取材内容を基としています。観覧時期により展示内容が異なる場合がございます。予めご了承ください。
うげやんコレクションとは?
展示の冒頭に掲げられた「雨華庵額」の実物大パネル(原本は江戸東京博物館蔵)
観覧者は展示室=雨華庵を訪ねて来た、という趣向になっています。
「うげやんコレクション」は、琳派研究者である一個人が約30年にわたって収集したコレクション。
江戸琳派自体、特に祖である酒井抱一と、その高弟として活躍した鈴木其一については良く知られるものの、抱一の住まいである「雨華庵」とその名を受け継いだ絵師たちの作品は評価が追いついておらず、研究しようにも機会があまりなかったそうです。そこでうげやん代表が自ら収集したことがコレクションのはじまり。希少な作例を多く含む江戸琳派コレクションとなっています。
細見美術館とは以前から交流があり、本展はその縁もあって開催されたもの。初めてコレクションをまとまった形で公開する機会となったそうです。
これまで陰に隠れていた、ともいえる知られざる江戸琳派の作品を紹介する本展。通常の琳派展ではなかなか出てこない作品も多く、貴重な機会となっています。
抱一の住まい、江戸琳派の聖地「雨華庵」
冒頭ではまず「雨華庵」とは何か、かかわりの深い酒井抱一の作品を中心に紹介されます。
「雨華庵」は抱一が50代のとき、吉原から身請けした元遊女の小鸞女史(出家後は妙華とも称す)とともに暮らした住居兼アトリエ。現在の東京・鶯谷にほど近い根岸のあたりにあったといいます。
抱一は亡くなるまでをこの「雨華庵」で多くの作品を描き、弟子たちの指導も行っていました。抱一門下の絵師たちにとっては師匠との学びの場であり憩いの場、そして聖地でもあったのです。
酒井抱一:画、小鶯:賛《紅梅図》文化7年 細見美術館蔵
当時の抱一と小鸞女史の心境をよく表しているのが、冒頭に展示されている《紅梅図》。抱一が墨でさらりと描いた梅の枝に、漢詩や書を得意とした小鸞が賛を添えたものです。これを描いたのは雨華庵での暮らしを始めて最初の新年を迎えた時期で、二人で新生活を始められた喜びと、ともに生きていく決意表明を込めた、いわば‟書初め"のような作品だそう。「雨華庵」のはじまりと展覧会の趣旨を象徴するような作品となっています。
「雨華庵」継承者の知られざる物語
琳派展24「抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―」展示風景
続いて、第一・第二展示室にまたがり、「雨華庵」の歴代継承者と同時期に活躍した江戸琳派の絵師たちの作品が紹介されます。
抱一の没後に「雨華庵」を受け継ぎ二世雨華庵となったのは酒井鶯蒲。
鶯蒲は市ヶ谷浄栄寺から迎えて養子となった人で、実子のない抱一は鶯蒲を大層かわいがったといいます。
しかし抱一の実家である姫路酒井家では、血縁ではない鶯蒲が抱一を父と呼ぶことを良く思わなかったという話も残っているそう。抱一が雨華庵を鶯蒲に継がせたのは、鶯蒲が自分の後継ぎである証の意味もあったのかもしれません。
鶯蒲は抱一の薫陶を受け、その画風を引き継いだ作品を数多く描いています。抱一との合作も多いそうで、名実ともに「抱一画風の継承者」という力量を感じさせます。
琳派展24「抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―」展示風景
左:酒井鶯蒲《筑波山之図》江戸後期
右:酒井鶯蒲 画/石田敬起 賛《大根花に蝶図》天保3年(1832)
鶯蒲の人間関係を感じる作品が、こちら写真右の《大根花に蝶図》。
寒天商を営んでいた石田敬起という人の注文品だそうで、彼の店の屋号が「大根屋」だったことにちなんで大根の花が描かれ、敬起による賛も添えられています。敬起は抱一も懇意にしていた西本願寺の財政再建に尽力した人で、その伝手もあって鶯蒲に声がかかったのでしょう。抱一の後継としての鶯蒲の姿が垣間見えます。
鶯蒲はその後34歳の若さで世を去り、これまた養子の鶯一が「雨華庵」の三世となります。しかし鶯一の作品はあまり現存数がなく、詳細はわからないそう。他にも抱一の弟子たちは数はいるものの、作品に名前は残るが詳細不明の人が多くいるそうです。
そのなかで今回注目されているのが、山本素堂と、その息子である山本光一・道一の兄弟。素堂は抱一の弟子の一人で、息子たちも鶯一の門人として江戸琳派を学びました。
山本素堂《朱楓図屏風》江戸後期
こちらは素堂の朱楓図屏風。抱一が描いた《青楓朱楓図屏風》(個人蔵)を弟子の素堂が自分のアレンジを加えて写したものとされます。(今回展示されているのは朱楓図のみですが、もしかしたら青楓図もあったのかも?とのこと)紅葉の細やかさと、背後の大胆にデフォルメされた土坡の対比が印象的。大胆さと繊細さを併せ持つ江戸琳派らしい作品とのこと。素堂は現存する作品が少なく謎の多い絵師のため、貴重な作品です。
山本光一《歌仙図屏風》江戸末期~明治期
その息子である光一・道一の時代は、幕末から明治へ世が移り変わった時期。兄の光一は明治政府が設立した起立工商会社に所属し、主に海外輸出向けの美術工芸品デザインや図案作成などで幅広く活躍しました。明治24年に会社が閉鎖された後は北陸に移り、美術学校で絵を教えたり、画塾を開くなどして後継の育成に尽力しています。
その中の一人が、2024年に大回顧展が開催され話題となった、あの石崎光瑶。光瑶は後に竹内栖鳳門下にはいり近代京都画壇を支える日本画家となりますが、光一を通じて江戸琳派が近代日本画へ受け継がれていたともいえます。
→ 石崎光瑶展のレポートはこちら
今回展示されている光一の作品は、六歌仙図のような人物画から草花や動物まで幅広く、どんなものでも描ける技量の高さや引き出しの多さを伺うことができます。
山本光一《春浪土筆図屏風》江戸末期~明治期
こちらの《春浪土筆図屏風》は土坡の上にリズミカルなパターン調に土筆を配した意欲作。本来は一双だった可能性があり、江戸琳派では土筆にはすみれを取り合わせることが多かったため、光一がそれを踏まえていればすみれ図が横に並んでいたと考えられるそうです。
光一は単独で展覧会を開けるほど数多くの作品を手がけており、近年注目も高まっているそう。いつかまとまった形での展覧会も見てみたいものです。
一方、弟の道一は、師匠・鶯一の没後にその娘と結婚して「雨華庵」の4世酒井道一となります。彼が跡を継いだ時期、「雨華庵」の建物は火災で焼失したばかりという波乱の状況(後に道一が建て直した)。その中で道一は、抱一の画風を継承しつつ、鈴木其一の先進的なセンスにも影響を受けた新しい作品を生み出していきました。
琳派展24「抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―」展示風景
左:酒井道一《蓬莱図》明治期、右:酒井道一《蓬莱山図》明治期
今回展示されている道一の作品で特にユニークなものが《蓬莱図》。
蓬莱図自体は元々お正月向けの昔ながらの吉祥図(縁起物)の画題で、本来は海の上に浮かぶ山を描きます。しかし上写真左の《蓬莱図》は、技法は江戸琳派らしさをしっかりと受け継ぎながら、岩山を空中に浮かせてしまうという大胆な構図が特徴で、うげやん代表いわく「まるで天空の城」。現代のグラフィックアートや抽象画にも通じるセンスを感じさせます。伝統に根ざしつつも新時代に相応しい表現を模索した様子がうかがえます。
酒井抱祝《十二ヶ月花鳥図屏風》(左隻)大正期~昭和前期
【展示期間:12/7~12/25(1月からは右隻に展示替)】
そして、道一の後継として5世「雨華庵」を担ったのが、息子の唯一こと抱祝。彼は大正から昭和の中期、戦後まで活躍した画家で、つまり近代まで江戸琳派の本流を継承した人でした。江戸琳派ときくと江戸時代まで、近世絵画のイメージが強くなりがちですが、実は本当につい最近まで受け継がれ守られてきたものであるということを感じさせます。
受け継がれる「光琳派」のこころ
琳派展24「抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―」展示風景
手前は山本光一《熱海楳園之圖》明治21年(1888)。各地の名所図も手掛けていた。
第三展示室では雨華庵の絵師たちをはじめ、抱一門下の残した絵手本や、画帖、画巻といった小品を中心に紹介されています。これらは鑑賞用でもありつつ、江戸琳派、抱一の画風を次の世代へと伝える一種の教科書的な役割を満たすものでもありました。季節の草花や鳥たち、縁起物、人物など描かれたモチーフの幅広さも魅力です。
変わったものが、鈴木其一の流れを汲む中野其明が編集した『尾形流百図』。
ここでは光悦が手掛けたとされる歌仙図を抱一が写したもののページを紹介。その手前には抱一が模写した『光琳自画賛三十六歌仙』をさらに写したものがあわせて展示されています。双方を比較してみるのも面白いでしょう。
展覧会の締めくくりには、5代雨華庵・抱祝の描いた寿老人図が掲げられています。
この絵に添えられた讃には「光琳派」という文字が見えます。そもそも「江戸琳派」は抱一やその門人たちが名乗ったものではなく、光琳以降京都で受け継がれた琳派(京琳派)と江戸で抱一以降に隆盛した琳派(江戸琳派)を区別した呼称。抱一やその弟子たちは尾形光琳やそれ以前の本阿弥光悦、俵屋宗達からの流れの継承者を自負していました。その名が近代の抱祝まで受け継がれていたということに、彼らの誇りや脈々と受け継がれてきた信念のようなものを感じずにいられません。
山本光一《四季草花図屏風》明治期 細見美術館蔵
酒井抱一の直系といえる存在だったはずが、歴史の中に埋もれかけていたともいえる「雨華庵」の絵師たち。江戸琳派の絵はいろいろ見る機会がこれまでもありましたが、こんなにまだ面白い絵師がいるのかと新鮮な気持ちで楽しめる展覧会でした。
また、昨年京都でも展覧会が行われ話題となった石崎光瑶と、その最初の師匠・山本光一の繋がりを改めて見ることができたことも感動的。近い時期の開催になったのは本当に偶然だったそうですが、別の展覧会で得た経験が思わぬ形でリンクした瞬間はたまらないものがあります。
数百年の時を超え、絵画のスタイルが受け継がれていく流れは感慨深いもの。見て心から良かったと思える展覧会でした。
基本的に個人コレクションのため、まとまった数で今回紹介されている「うげやんコレクション」の作品を見る機会は貴重。興味のある方は、ぜひ会場へ。
■ 琳派展24「抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―」細見美術館(~2025/2/2)