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北大路魯山人とは

北大路魯山人(きたおおじろさんじん)は20世紀を代表する日本の芸術家。
本名は北大路 房次郎(きたおおじふさじろう)。
書や篆刻(てんこく)にはじまり、その後絵画、陶芸といった様々な芸術分野で才能を発揮しました。
特に、食と器には並々ならぬ興味を示し、「食器は料理の着物」という有名な言葉を残しています。

1883年(明治16年)3月23日生まれ、1959年(昭和34年)12月21日死去。享年76歳。


魯山人の人柄

魯山人の人柄を評す言葉には、常に傍若無人、傲岸不遜、狷介(けんかい/自分の考えにかたくなで、人の考えを素直に聞こうとしないこと)、虚栄などの悪評がつきまとい、その上ひどい毒舌家としても有名でした。
生前、魯山人は「高みを行く人間は、大衆には決して理解されない」と言っており、大衆にちやほやされるものは低級の美に過ぎない、自らの信じる美こそが最高だ、との価値観を持っていたのです。
このある種独りよがりともいえるような言動や性格には、孤独で恵まれなかったその生い立ちが深く関わっていると考えられます。

北大路魯山人は明治16年、京都の上賀茂神社の社家に生を受けました。
しかし母の不貞によって生まれた子であったが故、父はそれを忌み、割腹自殺を遂げます。
魯山人本人もすぐに里子に出され、6歳で京都の竹屋町で木版師を営む福田家に落ち着くまでは、行き場も無く他家を転々とすることとなりました。
この幼少期の鬱屈とした記憶は魯山人に終生付きまとうことになります。
温かい家庭というものに憧れ、飢えていた彼は、ラジオのホームドラマでほほえましい場面を耳にすると、涙を流して嗚咽していたともいいます。


美食家・料理家としての魯山人

魯山人は若い頃から食べ物の味に興味をもっていました。美食に対する見識は食客として資産家の家を転々としていたこともあり、年々深まるばかりでした。


そこで1921年、魯山人は会員制の料亭「美食倶楽部」を創業します。やがてその会員数も増えていき、美食倶楽部では手狭になりました。そこで会員 たちの協力を得て、東京永田町にある料理店「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」を借りて会員制高級料亭を開き、自ら腕を振るいました。

魯山人は料理に関する寄稿も多く、「料理の第一歩」から「フランス料理」についてまで語るほどの美食家、料理研究家でもありました。


料理をおいしくこしらえるコツは実行だと思う。
(略)
考えることも大切だ。聞くことも大切だ。実行することはもっと大切なことだとわたしは思う。 おいしく料理をつくりたいと思う心と、おいしい料理をつくるということは、似ているが同じではない。

わたしたちは、したいと思っても、しようと思うのはなかなかだ。しようと思っても仕上げるまでには時を必要とする。だが、したいと思っている心を、 しようと決心するには一秒とかからない。まず希望を持っていただきたい。やってみたいという希望を持ったら、やりとげようと決心していただきたい。決心し たならば、すみやかに始めていただきたい。むずかしいことはなにもない。やってみない先から、とてもできないと思いあきらめているひとがあまりにも多すぎ はしないだろうか。

-- 料理の第一歩


近年では、人気コミック「美味しんぼ」のキャラクターのモデルとしても取り上げられたことでも良く知られています。魯山人は、現在の私たちの食卓にまで影響を及ぼすほど、料理の世界に革命を起こしているのです。


陶芸家としての魯山人〜名品に学んだ陶芸家〜

自分の美観に合わないと考えたものは例え相手が世界的に有名な人物などであっても例外なく、容赦なく罵倒し、批判した魯山人。
その奔放さと歯に衣着せぬ物言いが災いし、人と衝突することが多かった彼ですが、決して自分以外を全て否定していたというわけではありませんでした。

魯山人は様々な芸術分野に興味を示し、自ら取り組みました。
その芸術活動のなかでも陶芸作品は特に人気があり評価が高く、現在も全国各地にコレクターがおり、魯山人の器のみで料理を供する料理店も存在します。

魯山人自身も美味しいものや珍しいものを食べることが大好きでした。しかしそのうち食べる・作ることだけでは満足が出来なくなってしまった魯山人は、"おいしい食物にはそれにふさわしい美しさのある食器が必要"だと考え、自ら陶器を作るようになります。

作陶を始めた頃は、陶磁器の生地を他人につくらせ自分は絵付けするというスタイルで食器類を作っていました。しかし何から何まで、全ての工程を一通り自分でやらなければ本格的ではない、と思った魯山人は1927年(昭和2年)44歳のとき、自分の窯を築き上げて作陶に励みます。
魯山人の手によって生み出された器は実に20万点ともいわれ、多作な作家であったといえます。しかもどの作品も驚くほど多彩でした。魯山人自身が編み出した技法によって誕生した作品もあり、魯山人はオリジナリティ溢れる独自の器を数多く世に残しました。

どの作品においても貫かれているのは、実際に生活の中で用いることを前提とした「生きた美しさ」でした。
「器は料理の着物」という有名な魯山人のことばがありますが、これも、実際に器は料理を盛ってこそのもの、使うためのもの、という彼の美意識・価値観によるものです。

器に料理を盛って、初めてそれは美しいひとつの作品として完結する。
そのように、魯山人の器は作られています。
決して自己主張しすぎない、あくまで主役の料理があってこそ、の引き立て役としての器。
傲岸不遜、傍若無人...そんな評価とはある意味結びつかないような謙虚さは、魯山人の根底に潜む繊細さや優しさの表れなのかもしれません。

陶器作りに対して、魯山人はこのような言葉を残しています。

教養なき自己流のデタラメ、当てずっぽうの作陶は所詮ものにならぬことを力説したい。要は名器を見て学ぶ態度を修行の第一としなくてはならぬ。これが私の作陶態度であることは言うまでもない。


つまり、魯山人は何も他のものを認めようとしなかったのではなく、先人達の名品に学びながら、焼き物に取り組んでいたのです。実際、彼は自宅に2,000点を超える陶磁器を集め、日々鑑賞し、目と腕を磨いていたといいます。
ただただ、自分の信じる「美しさ」を徹底して求める純粋さ。
他人との衝突や批判は、一途で真っ直ぐな探究心ゆえのものであったのでしょう。

そして彼が追い求めた「美しさ」は、今も色あせることなく多くの人々を魅了しています。




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