建物も貴重な近代建築遺産。豊国神社宝物館
神社の本殿より南側、少し境内奥に進むと、白地に青銅色の屋根の建物が見えます。これが、豊国神社の宝物館です。
開館は大正14年(1925)の12月。全国的に見ても、私設の博物館施設としてはかなり早い時期の設立です。
見た目は桃山時代風、日本の伝統的なデザインを踏襲した建物は、実は鉄筋コンクリート製。今でこそ鉄筋コンクリートはごく当たり前の建築方法ですが、大正時代ではこれはまさに最新鋭の技術でした。日本でも鉄筋コンクリート工法としてはもっとも古い時期の建物といえるでしょう。
実際に、貴重な近代建築の例として、研究者の方が建物自体を調査に訪れることもあるそうです。
また、館内の壁に面して作られた展示ケースには、天井近くまで届く大きな板ガラスがはめ込まれています。これも開館当時からそのまま使われている「大正ガラス」。よく見ると、現在よく見るガラスとは違い、表面が微妙に波打っており、中には小さな気泡が見えます。一枚一枚手作りされていた、当時のガラス故の特徴です。この今にも割れてしまいそうな、脆さを秘めた風合いや、なんともレトロな美しさは大正ガラスならではのものでしょう。
しかも当時は高級品だったガラスが、ここまでの大きさで惜し気もなく使われている。非常に贅をこらして造られた施設であったことがわかります。
開館は大正14年(1925)の12月。全国的に見ても、私設の博物館施設としてはかなり早い時期の設立です。
見た目は桃山時代風、日本の伝統的なデザインを踏襲した建物は、実は鉄筋コンクリート製。今でこそ鉄筋コンクリートはごく当たり前の建築方法ですが、大正時代ではこれはまさに最新鋭の技術でした。日本でも鉄筋コンクリート工法としてはもっとも古い時期の建物といえるでしょう。
実際に、貴重な近代建築の例として、研究者の方が建物自体を調査に訪れることもあるそうです。
また、館内の壁に面して作られた展示ケースには、天井近くまで届く大きな板ガラスがはめ込まれています。これも開館当時からそのまま使われている「大正ガラス」。よく見ると、現在よく見るガラスとは違い、表面が微妙に波打っており、中には小さな気泡が見えます。一枚一枚手作りされていた、当時のガラス故の特徴です。この今にも割れてしまいそうな、脆さを秘めた風合いや、なんともレトロな美しさは大正ガラスならではのものでしょう。
しかも当時は高級品だったガラスが、ここまでの大きさで惜し気もなく使われている。非常に贅をこらして造られた施設であったことがわかります。
豊国神社宝物館。一見白木のように見えますが実はコンクリート建築です。
右奥は京都国立博物館。取材時は工事中だったため、重機の影が見えます。
宝物館の内部はこんな感じ。下の写真、左手のガラスにあたった光が波打っています。昔のガラスの証です。
太閤秀吉ゆかりの品々がずらり。宝物館の収蔵品たち
豊臣秀吉を祀る神社の宝物館故、その収蔵品も秀吉に縁のある品々や、豊臣家や武家に関係するものが中心となっています。
例えば、秀吉といえば瓢箪の馬印が有名ですが、ここには彼が実際に戦場で用いた瓢箪の馬印が展示されています。因みによく言われる「戦で勝つたびに瓢箪を一つずつ増やしていった」という“千成瓢箪”。これは後世の作り話で、実際には瓢箪はひとつだけだったそうです。
また、秀吉が使っていたといわれる獏の形の枕や、身の回りの品を納めた、蒔絵の箱(蒔絵唐櫃)なども見ることができます。
歴史上の有名人が実際に使っていたものを間近で見ることができると、より一層親しみがもてるような気になってきます。
他にも甲冑や弓・太刀といった武具類、息子・秀頼が八歳の頃に書いた書作品…なども展示されており、恐らく歴史が好きな人にはたまらない!品々ばかりです。
また、他にも秀吉を題材にした富岡鉄斎による文人画や、秀吉も好んだ茶道に関係する品々、茶碗や茶釜といった道具類も収められています。中には野村美術館のコレクションを蒐集した野村徳七(得庵)氏から奉納されたものも。
神社内にも茶室があり、茶道具のいくつかは、現在も毎年9月(旧暦8月。秀吉の命日が旧暦の8月18日であるため)に開催される例祭の茶道・藪内流家元による献茶式(9月19日)などで実際に用いられています。
※例祭(9月18,19日)は通常参列できるのは招待者のみですが、舞楽奉納などは唐門の下、賽銭箱前から見ることができます。
実は昔は、神社にはもっと数多くの品々、それも秀吉縁の品々の大半が収められていたのだそうです。しかし神社が廃されてしまった際、その多くは妙法院や高台寺など、他の寺社に分けられるなどしてバラバラに保管されることになりました。
その後明治になり、神社が復興されることになった際、幾つかの品々が返還されています。
つまり、当初に比べると現在宝物館で見られるのはほんの一部ということ。一体、当初はどれだけの品がここにあったのでしょうか。想像するだけでもわくわくしてきます。
<次回に続く(次回は宝物館収蔵品から、特に見逃せない作品をご紹介!)>
例えば、秀吉といえば瓢箪の馬印が有名ですが、ここには彼が実際に戦場で用いた瓢箪の馬印が展示されています。因みによく言われる「戦で勝つたびに瓢箪を一つずつ増やしていった」という“千成瓢箪”。これは後世の作り話で、実際には瓢箪はひとつだけだったそうです。
また、秀吉が使っていたといわれる獏の形の枕や、身の回りの品を納めた、蒔絵の箱(蒔絵唐櫃)なども見ることができます。
歴史上の有名人が実際に使っていたものを間近で見ることができると、より一層親しみがもてるような気になってきます。
他にも甲冑や弓・太刀といった武具類、息子・秀頼が八歳の頃に書いた書作品…なども展示されており、恐らく歴史が好きな人にはたまらない!品々ばかりです。
また、他にも秀吉を題材にした富岡鉄斎による文人画や、秀吉も好んだ茶道に関係する品々、茶碗や茶釜といった道具類も収められています。中には野村美術館のコレクションを蒐集した野村徳七(得庵)氏から奉納されたものも。
神社内にも茶室があり、茶道具のいくつかは、現在も毎年9月(旧暦8月。秀吉の命日が旧暦の8月18日であるため)に開催される例祭の茶道・藪内流家元による献茶式(9月19日)などで実際に用いられています。
※例祭(9月18,19日)は通常参列できるのは招待者のみですが、舞楽奉納などは唐門の下、賽銭箱前から見ることができます。
実は昔は、神社にはもっと数多くの品々、それも秀吉縁の品々の大半が収められていたのだそうです。しかし神社が廃されてしまった際、その多くは妙法院や高台寺など、他の寺社に分けられるなどしてバラバラに保管されることになりました。
その後明治になり、神社が復興されることになった際、幾つかの品々が返還されています。
つまり、当初に比べると現在宝物館で見られるのはほんの一部ということ。一体、当初はどれだけの品がここにあったのでしょうか。想像するだけでもわくわくしてきます。
<次回に続く(次回は宝物館収蔵品から、特に見逃せない作品をご紹介!)>
奥に甲冑が見えます。中には有名な真田家のものもあってびっくり。武具は他に弓や馬の鞍、刀なども。蒔絵の施された品が多いのも特徴です。
『豊公馬印之瓢』
(ほうこううまじるしのひょう)
秀吉が戦場で実際に用いた馬印。「千成瓢箪」の言い伝えとは違い、とてもシンプル。
『獏御枕』
秀吉使用と伝えられる枕。悪夢を食べると言われる「獏(ばく)」を象ったデザインになっています。背中は革に綿を詰め、頭を乗せても痛くないような工夫も。