名品から珍品まで、豊国神社の見どころ宝物をピックアップ。
重要文化財 《鉄燈籠(てつどうろう)》
宝物館に足を踏み入れて最初に目に入るのは恐らくこの鉄燈籠でしょう。
高さは2.7m以上、思わず見上げてしまう迫力あるこの燈籠は、秀吉の三回忌に奉納されたもの。
灯りを入れる部分(「灯明袋(とうみょうぶくろ)」)には雷文や日月文が透かし彫りされ、支柱に絡みつくように刻まれた雲と龍の文様から、この燈籠は「雲龍燈籠(うんりゅうとうろう)」の名でも呼ばれています。刻まれた文様は今でははっきりと見えない部分も有りますが、どっしりと力強い形や鈍く光る黒金の色合いは独特の気品さえ感じさせます。
普通、このような燈籠に作者の名前は入れないものなのですが、珍しくこの鉄燈籠には手がけた職人の名が銘として刻まれています。その名は「辻与二郎」。わび茶の大成者で秀吉とも親しかった、千利休の茶釜も手がけた人物です。その優れた技量は秀吉にも認められ「天下一」の称号まで得たほどだったといいます。それだけ自分を評価してくれた人に贈るものなのですから、与二郎の気合もひとしおだったことでしょう。
重要文化財 《桐鳳凰紋蒔絵唐櫃(きりほうおうもんまきえからびつ)》
秀吉の日用品などを納めた収納箱。黒漆に金粉を蒔いた平蒔絵―「高台寺蒔絵」の施された豪華なつくりの唐櫃は、秀吉の好みを今に伝えます。
鳳凰は天下人が現れる時に、桐の実を食べに現れるという故事があり、それゆえに昔からおめでたい組み合わせとして桐と鳳凰の文様は用いられました。桐は豊臣家の家紋でもありますし、まさに秀吉にぴったりのデザインと言えます。
これを含め宝物館には三つの蒔絵唐櫃があり、中に入っていたものの目録も現存しているのでどの唐櫃に何が入っていたかも分かっています。因みに、宝物館に展示されている桐に唐草文様の蒔絵唐櫃は、秀吉が生前から使っていたものだそうです。
《豊公御歯》
豊国神社の宝物の中でも珍品中の珍品と思われるものがこちら。
なんと、秀吉本人の「歯」!これは秀吉子飼いの武将で「賤ヶ嶽七本槍(しずがたけしちほんやり)」の一角、加藤嘉明に秀吉自身が贈ったもの。傍には「こいつはお前に預けておくよ」という秀吉からの書も添えられています。専門家の分析によるとこれは左上奥の大臼歯(一番奥から二番目の歯)で、一見してすぐに老人の歯だと分かったそう。また、歯の様子から下の歯・手前・奥の歯もこの歯が抜けた時点では既に無かった様子であるため、恐らくは「秀吉の最後の歯」と考えられるそうです。
とはいっても普通、歯をもらっても困ってしまいそうですが…やはり主君からの形見の品ということで、大切に保管されたのでしょう。きちんと豪華な宝塔(収納ケース。こちらも桃山時代のもの)に収められ、今日までしっかりと神社に伝えられています。因みにこの歯から、秀吉の血液型もO型と判明しているそうです。
重要文化財《薙刀直シ刀 無銘 吉光 名物「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」》
豊国神社所蔵の数ある武具の中でも一番の品。「斬る真似をしただけで相手の骨を砕いた」という言い伝えから『骨喰(ほねばみ)』の名がつけられています。元々は薙刀(なぎなた)だったものを後に刀に直したもので鎌倉時代の作とされています。
源頼朝が九州の大友家に与え、その後足利尊氏に献上され(その間に刀になったとのこと)、その後足利将軍家(室町幕府)の重要な宝物として伝えられていましたが、戦国時代、13代将軍・義輝を暗殺した松永弾正(久秀)に奪われてしまいます。それを元の持ち主である大友家(キリシタン大名として有名な大友宗麟)が買い戻し、その後秀吉の所望に応じて献上されました。大坂夏の陣の後は徳川将軍家の蔵刀となり、明治になってから神社に奉納された、とのこと。伝来だけでも名だたる武将の名前が並ぶ逸品です。
こちらは京都国立博物館に寄託されているそうなので、残念ながら宝物館には現在実物はありません。ご覧になりたい方は京都国立博物館の平常展示館へ展示されることがあるとのことですので、そちらまで足をお運び下さい。(現在は建替工事中のため閉館中。2013年にリニューアルオープン予定です)
なお、今回の取材にあたっては権禰宜・大島大直様にご案内・ご協力を頂きました。
この場をお借りして、改めて厚く御礼を申し上げます。
<取材日:2010年3月31日>
重要文化財《鉄燈籠(てつどうろう)》
重要文化財 《桐鳳凰紋蒔絵唐櫃(きりほうおうもんまきえからびつ)》
《豊公御歯》
宝塔の四角い部分に小さく見える白いものが「秀吉の歯」。奥には加藤嘉明に贈った際に添えられた書状もあります。
重要文化財《薙刀直シ刀 無銘 吉光 名物「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」》
→拡大