“How did the craftsman engrave these characters minutely in the Meiji era?”
木版画の竹笹堂さんで木版画の制作体験をした数日後、京都の町中のギャラリーにおいてあった一枚のポストカードに目が留まりました。
「これがほんとに木版画なのか?」
と疑問に思うほど、ポストカードには細かい文字が描かれていて、
そのポストカードを片手に、この展覧会に行ってきたのです。
生活あーと空間 ぱるあーと
木版画展 「おまけとわたし」 何某 & a.reiko
2014年3月25日[火]→3月30日[日]
午前11時~午後5時
そのぱるあーとさんは、入り口の石造りの土間と奥に向かって畳の部屋の広がる、とても落ち着ける雰囲気のギャラリーでした。
京都御苑の西、西洞院通を丸太町通から一筋上ったところにあります。
Pear on the old page a.reiko
これが今回の一番の目的の作品です。顔を近づけてみると、これらの文字はすべて鏡文字になっているのがわかります。
「・・・これって・・・ほんとに人が彫ったのか・・・」
その文字の細かさ、緻密さ、そしてなによりその美しさに見惚れて、呼吸するのも忘れるほどです。
「これらはすべて、明治の職人の彫ったものなんですよ」
と説明してくれたのは、作家のa.reiko さん。とても落ち着いた感じのご婦人でした。
「え?でもめちゃ細かいですよ・・・しかも文字が逆ですし・・・」
「えぇ、それが日本の職人の境地ですよね」
人を驚嘆感動させる高みにまでその技術を到達させた職人たちが、かつてこの国にいた、ということ。
身震いするほど、うれしいじゃないですか。
HANA ~on the old page~ a.reiko
「これらは桜や桂の木に彫られているんです」
この文字の緻密さに耐えうる強度を、それらの木は持っているということです。
そして文字の上に摺られている花にも独特の味がにじみ出ています。
それは墨の染み具合によるもので、個々の木の持つ、
『ミクロの呼吸』
と呼べるものでしょうか。
ギャラリーの雰囲気は、こんな感じです。
いいっすね~。
百花千恵 印文 千秋万歳 何某
これは、作家何某さんの作品。木版画なのに書のソフトな筆使いを感じさせ、独特のかすれ具合がなんとも言えない趣をかもし出しています。日本家屋の床の間にとてもよく似合います。
遍 アマネク a.reiko
水墨画のような濃淡を持つ花々に、くくっと曲がった腕の絡み合う作品。
この木版画の前に立って数分、静かに作品と会話する、これはそれにうってつけです。
何が見え、どんな言葉がささやかれる?
魚 a.reiko
これぞ、素朴に木版画、と呼べる作品。
鮭、です。
これら木版画を見て思うことは、
『木の時間軸』
を感じるということ。
木の持つ本質、触れて気持ちよく、彫って気持ちよく、人と木の時間次元の“ズレ”に人は落ち着きを得る、そんな風に思えます。
still wind a.reiko
「これはもう・・・完璧でした」
この作品に対する、a.reiko さんの言葉。
その言葉に、ボクはふんわりとした共感を持ちました。
そして今回の展覧会を見て思うこと・・・
そんな木の持つ人の理解の届かぬ領域と、人の持つ曖昧な才能(それは不可思議とか神秘と呼べるもの)が奇跡的に結びついたものが、木版画の魅力になっていると。
「この日も、誇るべき日本の技を見た!」