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秋の特別拝観 重要文化財 冷泉家住宅|中里楓のアーティスティック探訪 92

投稿:2014年12月 5日

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“The autumn special admission:
Important cultural property  The Reizei Family Residence”

王朝文化の担い手にしてその継承者:公家冷泉家

普段は入ることができないその邸宅を拝観してきました。
そこは同志社大学の正門の西側、今出川通に面した場所にありました。

京都秋季非公開文化財特別公開
秋の特別拝観 2014年度版
重要文化財 冷泉家住宅 公益財団法人冷泉家時雨亭文庫
10月31日(金)~11月4日(火)

「公家冷泉家は歌聖と仰がれる藤原俊成・定家父子を遠祖とする『和歌の家』で、定家の孫・為相を初代とし、以来八百年の長きにわたり和歌の宗家としてその伝統を今日に伝えてきた」

と、表門の受付で頂いた説明書きに書いてあります。
それではその公家の邸宅を観ていきましょう。

nakasato201412-1(2).jpg

順路に従って歩いて行くと最初に着いたのは、邸宅西に位置する土間でした。
邸宅内は撮影NGなので、今回もイラストを描いてみました。
nakasato201412-1(3).jpg

(イラストは「しゃぐま:魔除けとして土間の梁に掛けられています)

土間の奥にパネルを持ったボランティアさんがいて、ここで最初の説明を聞きました。
それを順を追って挙げてみれば、

1 藤原俊成は「千載和歌集」、定家は「新古今和歌集」、為家は「続後撰和歌集」の撰者となり、
2 1263年、為相(ためすけ)が土地の名をとって冷泉家初代を名乗り、
3 冷泉家は御子左家と呼ばれ、他に二条家と京極家があったがこの二家は断絶し、
4 応仁の乱のころの五代為富・六代為広は近江坂本へ疎開し、
5 1606年徳川家康の取りなしで現在の土地に邸宅を構え、
6 1788年天明の大火で邸宅が焼失、1790年に再建し、現在に至る

という旧地に現存する最古の近世公家住宅であるということ。

上のイラストの「しゃぐま」とは藁の束で、祇園祭の長刀鉾にとりつけられたものが祭の後にこの土間の梁に掲げられるというもの、

nakasato201412-1(4).jpg
(おくどさん:かまど)

神事の時に使われる「おくどさん
もありました。おくどさんとは京方言で「かまど」という意味だそうです。

土間を後にして順路を進むと、そこは邸宅の表門です。
そこでもボランティアさんがいて、丁寧な説明をしてくれました。
同様に順を追ってみましょう。

1 冷泉家が御所の北に位置することから表門の屋根に左右二体の玄武が安置されて、
2 当主や身分の高い者が使う大玄関、使いの者が使う内玄関、その内玄関が表門から見えないように立蔀(たてじとみ)、その西側にお供の者が控える供待(ともまち)があって、
3 大玄関の手前に輿の高さに合わせた式台があり。

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(表門の玄武:阿吽のうちの阿)

立蔀に隠れた内玄関を覗いてみると、獅子の屏風に鶴の襖がありました。
風格に風情が漂っています。

やんごとなき方々が通る塀重門をくぐってお庭に入ると、三人目のボランティアさんが説明してくれました。

1 このお庭には中国の故事にならって左近の梅、右近の橘があり、
2 お邸は上の間・中の間・使者の間と分かれていて、襖をはずして大広間としても使うこともでき、そのために欄間がなく、
3 歌を詠むときに四季を感じないようにするため、その襖には無季的な大牡丹唐草の唐紙が貼られ、
4 床の間は中央に配置され、それは床の間をはさんで二列になって歌会を開くためで、
5 中の間手前に置いてある肖像画は20代為理(ためただ)で、4月17日の徳川家康の命日に宮中からお供え物を日光へ届けるお役目:日光例幣使として活躍し、
6 中の間に展示されているのは、冷泉家の家紋「かたばみ」の入った陣笠と冷泉家の物であることを表す立て札、
7 上の間にあるのは、菊に蝶図行器(ほかい)で、行器とは食べ物を入れて持ち運ぶ匣(はこ)のこと、その隣の匣は髷を結う時に使うものを入れるもの、

と十分すぎるほどの内容です。


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(冷泉家陣笠:家紋はかたばみ)

説明パネルを掲げながら丁寧な説明をしてくれたのは、京都工芸繊維大学建築科の学生さんでした。あまりに充実した内容の説明だったので、

「ご自分で調べたりするのですか?」

と聞いてみると、

「一応冷泉家の方から基本的なことは教えてもらって、その他のことは自分で調べて」

とのことでした。次々に入ってくるお客さんに対して、そのたびごとに説明し、質問にも丁寧に答えていて、とっても感心しました。ちなみにこれまで説明してくれていた人たちがボランティアだってことを知ったのは、このおねえさんに聞いてからでした。
ボク自身も堂本印象美術館でボランティアをしているので、親近感をもちました。

邸宅の角を曲がれば上の間の奥には広間があって、そこの床の間には、

1 遠坂文雍(とおさかぶんよう)の掛け軸があり、それは
「雪に牡丹」「芙蓉に吾木香(われもっこう)」のふたつ

「はぁ~…椿椿山(つばきちんざん)みたい…」

透明感のある牡丹の花でした。

そして邸宅の裏側には、「御文庫」と「御新文庫」がありました。
ここでもボランティアさんが説明してくれます。

1 この御文庫には、国宝5点、重要文化財47点、1階には書物、2階には当主の肖像画:御影も安置され、
2 その国宝5点とは、

古今和歌集    後撰和歌集    明月記

で、

「え?古今和歌集って…これって本物?」

とおねえさんに聞いてみると、

「はい、本物です」

「えっ!まじかっ!」

…一瞬言葉を失うほど、感動…

で、気を取り直して、

3 御新文庫は1767年に15代為村が建てたもの。

ちなみに一般に「明月記」は「めいげつき」と読むのですが、冷泉家では「めいげっき」と読み慣わしているのだそうです。

「ほぁ~…冷泉家…今日はこの国の深い文化に触れた~…」

最後は御子左家の三人藤原俊成(1114~1204)・定家(1162~1241)・為家(1198~1275)からそれぞれ一句

「夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里」俊成

「春の夜の ゆめのうき橋 とだえして 峰にわかるる 横雲のそら」定家

「いまも又 くもらぬそらの 月を見て ゆくすゑてらす 光をそしる」為家



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