楕円形の絵はがきがわたしのポストに届きました。
以前寺町にある町のギャラリーで知り合った作家さんからのお便りでした。
Gallery morning Kyoto
児玉 彩 Ayaka Codama solo exhibition
花のような人
2015.3.31 tue.- 4.5 sun.
三条通と岡崎広道との交差点に位置するそのギャラリーのなかには、
左右の壁に水彩、真正面の壁には油彩が掲げられています。
「あ~、こんにちは」
児玉彩さんです。
久しぶりにお会いできました。
やさしそうな雰囲気はそのままでした。
児玉彩さんの絵は、オリジナリティーが確立しています。
人気のあるアニメのキャラクターのように「ばっちり」と上手というわけではないけれど、
「なんだろ?この身近に感じるやすらぎは・・・」
これらの絵に囲まれていると、そう感じるのです。
水彩・油彩で描かれ、にじみ・ぼかし・たらし込みで、
「その描いている瞬間を大事にしたい」
という児玉彩さんの言葉に納得です。
それらは、筆の質感を十分に堪能できる絵なのです。
その児玉彩さんの周りには、日本人はもとより、外国の人もいます。
聞こえてくる話を聞いていると、ニュージーランドのお友達でしょうか。
児玉彩さんの流暢な英語、それに笑顔で答える外国のお友達、美しい絵をバックに記念撮影・・・
「なんて・・・うらやましい・・・」
児玉彩さんを中心に、親しい人たちの和(輪)がそこにありました。
「これらの絵のモデルは、身近なひとたちです」
その言葉のとおり、絵を観ていると児玉彩さんは身近なひとたちをとても大切にしているというのがひしひしと伝わってくるのです。
紙・筆・絵の具・・・
これら単純なアイテムによって、ひとのこころの襞に触れる・・・
児玉彩さんの個展では、それが実現されていました。
「写真、撮ってもいいですか」
との問いに快諾をいただき、焦点を絵に合わせてシャッターを切ろうとしたら、
「はっ!電源が切れる!」
・・・電池切れでした・・・
なのでデジカメで1枚も写真撮れずじまいで。
今までなら、ただただ悔しがっていたでしょうが、今回もそんなことはありません。
その前にちゃんとスケッチしていましたから。
写真に撮らなくても、児玉彩さんの作品ときちんと向き合うことができるのです。