何必館 京都現代美術館は記帳を筆で書く。
筆に墨をつけて和紙に書くのだが、今回はあまり名前がきれいに書けなくて、その印象が強く残った。
きっと、作家のエリオットが外国人だからと、展示作品がモノクロだからで、
個々の印象が、フラッシュのように連続して脳裏をよぎる。ヒトの脳は面白い。
エリオットの写真は、墨が和紙ににじむように点で落ちて広がる何かだった。
「一瞬と永遠の劇場」とはよく名づけたものだ。
名づけは何必館の館長だろうか…、このかたが展覧会に寄せる文章を読むのがいつも楽しい。今回は割愛。
とりあえず、エリオットと知り合いだということだった。
今回注目したのは、タイトルで、(実は私は自作の写真を展示することになっていて、作品のタイトルに非常に悩んでいた。)エリオットは、どうとも名づけられる写真の作品にどうタイトルをつけるのだろうか…と、そっと見ると、そこには撮影場所の名前が
ついているのだった。
「パリ」とかそんなタイトルで、犬や人が瞬間的な動きをとどめている。
犬が飛び跳ねていたら、「ジャンプ」でも「犬」でもいい、いっそロマンチックだったり示唆的な表現をしてもいい。
それなのにエリオットの作品名はその「場所の名前」なのだ。
それを確認したとき、私はとても報道的な「写真」を感じた。「事実」だけ、ということだった。
写真も素敵だったが、そんなエリオットのスタイルがかっこよかった。
見る側に、見る自由をわたす正しいやり方だと思った。