京都文化博物館では、どっかーんと湧く展示をすることもあり、そうなると
いつもとガラリと雰囲気が変わりますね。博物館は、美術館より扱うものが幅広いので、
展示によって来訪者の数も変わってくるんやね。けど印象派は人気やなあ。
ちなみに美術館は博物館の一種です。植物園や動物園も博物館に含まれます。
ふーん。じゃあ、文化博物館は文化の博物館なんですね。
(京都文化博物館は、京文化の博物館でもあるのでしょう)
なので、「光の賛歌 印象派展」ですが、本展が市立美術館ではなくて文化博物館での開催なのは「文化」の視点で鑑賞する、というテーマがあるのかも。
この展示は構成がよくできていて、きっと多くの方が、「あの作家がどう」とか「あの有名な作品がどう」とかを超えて、水辺や光や風と暮らす文化を感じられたのではないでしょうか。自然とともに生きる文化と言っても、国によって、雰囲気が変わります。
農耕や海や山、といった日本の自然とは違う、それゆえなのか憧れる、「森」の文化が今回の展示では知れたかなと思います。この展示には竹林は出てこないですものね。森は林とは違うんでしょうね。人の手が入っていないのが森なんだそうですよ。確かに、不思議の森 というけれど 不思議の林 ってあんまりピンとこないですもんね。魔の森 とかね。森はちょっとなんか出てきそうな神秘性があります。この展示でも、そんなおとぎの雰囲気に現実がつつまれて暮らしている様子を垣間見れたのではないでしょうか。
私の思う印象派の不思議は、近くで見ると汚いのに、離れてみると美しいことです。
どうやって描いているのか、第六勘みたいなものが必須な気がします。
もし、モネは2メートル近い長さの筆で描いたんだよー と誰かが言ってくれたら
あーやっぱりー(^^) となりそうですけど。それとか、 ちょんって描いたらびゅんって
遠ざかって確認しながら描いたのさ とかでもわかる気がするのですけど。
普通の距離で普通に描いたとしたら、一筆置きながらどうやって全体像を把握できたのか不思議です。絶妙だと思います。
モネの絵を見て、人としてのモネに出会うような感じがします。
ほかの作家もそうですが、鑑賞の時に、作家と同じ距離に立つことが出来るのです。実物の画面の広いことに私はいつも驚きます。本で見かけて、何cm×何cmとか書いていても気づかないところです。
なんでこれをこのサイズで描きたくなっちゃったんだろう?
とか、どんな部屋に住んでいて描いて、どんな場所に飾るつもりだったのかな、とか。
依頼を受けて描いたり、そうじゃなかったり…絵を見ていると様々な背景が ぐるっとこちらをとりまいてくるような気がします。なんにしても、これだけの作品を飽きずに完成させるなんて、「しつこい!」と思うのです。印象派の作家はしつこい!しつこくしつこくしつこく描いて、だからもうしつこくしつこくしつこく人に見られるんだろうと思います。
長い年月、世界のあちこちでいろんな人間の前にあった絵が、目の前にあるのはもうそれだけで、さらりとした世界だとは言えない。現実の風景が、印象へと昇華するその面白さが人を喜ばせるのでしょうか。子供が同じ遊びをせがむようにわたしたちも見ても見ても、見たくなるのでしょうか。
ルノワールは人を幸せな気分にさせる絵を描きたいと言っていたそうで、そんな気持ちが作家と鑑賞者とをリンクさせているのだと思います。それから、印象派の絵はいつも、研究発表の展示のように感じます。人間が神がかり的なものへどのくらい挑戦できるんだろう…というのを発表されているような気がするのです。そこに興味のない人は少ないんじゃないかなとかも思います。なので印象派展は人気なんかなあ。
さて、展示作品についてですが、京都に巡回する前に福岡市立博物館で鑑賞しました。
一応、ブログにざっくりメモしています。結構クールベとか面白くて熱かったですね!(クールベは写実主義ですが)