ルーヴル美術館に展示されているはずの絵が、今、京都にあるんだ…。
美術館から選び取られて飛んできた名画たち。約80点も来てくれたんだね。
はいー、そんなことで、
今回は2015年9月27日まで開催の「ルーヴル美術館展」のレポートです。
京都では5年ぶりの開催になるんですね!そう!もう5年も経ったのか。
5年前、行けなかった私は、展覧会のチラシを部屋に飾っておりました。
(その時は、フェルメールの「レース編みの女」が載っていました。)
フランス人のお友達が、「ルーブル美術館って日本人の反応がいいけど
僕らの印象では、子供のとき遠足で行くところって感じだよ」
と、慰めてくれた?のですが、惜しい気持ちがしたものです。
(フランスの子供たちよ、何てゴージャスな遠足…。)
いつでも人気なのがフェルメールですが、ルーヴル美術館が持っているのは
2枚のようですね。今回来た「天文学者」と「レース編みの女」。
思っていたよりもサイズ小さいですね。
それより私は、これが見られてよかったなって思いました。
これ↓
フランソワ・プーシェ「オダリスク」 1745年(?)
Photo ©RMN-Grand Plais (musée du Louvre) / Daniel Amaudet / distributed by AMF-DNPartcom
こんなかわいい大人の人、いるかなあ。お尻も涼しそう。
このまま無邪気な気持ちで絵の中に飛び込みたくなります。
思わず「この人、私の友達だったかなあ」って勘違いするような
視線をむけられる。あ、自分の娘のような気もします。(あらー!パンツは?!)
そのくらい絵の彼女がリラックスして見えました。
描かれた当時、「東洋趣味」が高揚していたせいか、東洋っぽいお顔で
なんか、なじむ「彼女」です。
「彼女」は誰か?オダリスクとは後宮(ハーレム)の女奴隷のことらしい。
奴隷…この絵からは明るい健康美を感じます。日常にある天国というか、
不安のない豊かな世界へつれて行ってくれる天使のような。
「はしたない」と批判もあった絵ですが、あまりいやらしく感じない、私は。
「彼女」は画家の妻という説の他に、ポンパドゥール夫人(ルイ15世の愛人)
が画家に注文して描かせた、という説があるそうです。
愛人が別の愛人の絵を描かせる…。
夫人は自分の政治的権力を出し抜くような女性が現れないように、ルイ15世
に「若いだけが取り柄」のあまり賢くない女性をあてがったとか。
この作品は、何もかも得ていた夫人の余裕のあらわれなのでしょうか?
(参考 日経おとなのOFF 2015年1月号)
展覧会は6章仕立てで、「5章 室内の女性」は「オダリスク」も含めて
足を止めてゆっくり見たい作品が数点ありました。
風俗画を見ていると、ついついシンクロして、画面の人物と
同じ空気を吸っているような感覚に陥ります。
大抵、土ぼこりを吸っているようなむせる絵が多かったです。
カビ臭い衣類のにおいとか、硬い地面や冷たい壁の感覚が伝わって
くるようでした。だけど、どこか陽気さがあり、強さがあり、ずるさもあり、
見ていてうなづけるものが多かったです。画家たちがジャーナリストのように
絵で報道していたのかな、と。美の追求ではなくて、報道における美を
みた気がしました。なんというか、絵で事実と心を伝えるというか。
一番感動したのはこれかな。
レンブラント「聖家族」、または「指物師の家族」1640年
Photo ©RMN-Grand Plais (musée du Louvre) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF-DNPartcom
すっごく ぽかあ~って光っていました。
真ん中あたりの黄色い部分です。竹取の翁が、光る竹を見つけた時みたいな、
たくさんの絵画の中で、「ん?何の光だ?!」と惹かれる強さで明るいのです。
で、近付いて見るんですが、霞み目になったみたいに、あんまり細かいところがよく見えませんでした。レンブラントも、実際、細かく描いてなかったのかもしれません。
私の乱視のせいか…わかりません!それはもう、温かくてすごく良い光でした。
あと、衝撃的だったのはシャルル・バロセルの「象狩り」という絵です。
え?どうしたの?って。割とこの展覧会は「ふんふん、こんな感じねー」と、
しめやかに見終える雰囲気でしたが、最後のほうで象さんが暴れているから驚いた!
そもそも、自分に「象を狩る」発想がなかったのと、
ヨーロッパの文化のイメージ(自分の)から「象」が遠いのとで、
この大きな絵は見逃せない感じでした。
(写真のリンクは展覧会HPより。行く前に見ておくのがお勧めです。)
んー。人が多かったですね。閉館後に、絵の中から絵の人物が
みんな出てきたら、何を話すのかなあとか思いました。
ルーヴル美術館に展示されている姿も見てみたいですね。