16年前、心理学を学ぶ仲間に、市バスで小さな神社へ連れて行ってもらいました。陰陽師の安倍晴明公(以下晴明公)がご祭神である晴明神社です。まだ映画「陰陽師」が公開される前でした。夕方でしたので、参拝した時は私たちだけしかいなかったような記憶があります。そのとき初めて五芒星の提灯を見ました。これが魔除けの星の形かと感動した記憶があります。
現在の晴明神社は、平成15年に社殿の修造と社務所が新築され、私が初めて参拝した頃よりも立派になりました。しかし、晴明公が生きていた頃はもちろんですが、晴明神社が出来た頃は、一族はもっと広大な土地を所有していました。六代の天皇に側近として仕えたわけですから、お屋敷が広いのは当然ですね。当時のことを知る人がいるならば、ずいぶん小さくなったと思うことでしょう。応仁の乱や豊臣秀吉公の政策の影響もあり、現在ではこじんまりとした神社になっています。
晴明公には不思議な伝説がたくさんあります。一条戻橋の下に式神を隠していた話や白狐であった母親を持つという伝説、今昔物語では百鬼夜行を見たという話もあります。陰陽道を極めた天才としての実績があることから、様々なことが文献で残されているようです。晴明神社のすぐ近くにある一条戻橋を見ただけでは、式神がいるような気配は私には感じられませんが、嫁入り前の娘さんは戻橋に近寄らないそうなので、何かあるのかもしれませんね。
さて、一人の人間の功績が後世の人たちに語り継がれる一つの形として、日本では神として神社にお祭りされます。怨霊の祟りを封じるための神社もありますが、晴明公の役割は鬼などの邪悪なものや怨霊から天皇家を守る、京都を守護するというものでした。目には見えなくても、邪悪なものはあることを誰もが感じています。だからこそ、晴明神社へ参拝する意味があり、人は五芒星を見ることでそのことを思い出すのです。
私は今回初めて晴明神社のお守りを授かることにしました。白地に五芒星が刺繍してあるお守りを選びました。通勤に使うバックの中にいつも入れて大切にしておくつもりです。そしてまた来年、参拝したいと思っています。
■ 晴明神社 http://www.seimeijinja.jp/
三重県四日市市で生まれ育ち、嫁ぎ先も四日市市内。東海道43番目の宿場町である四日市から、鉄道に乗って京都へ旅をすることがこれからのライフワークの一つです。愛用のミラーレス一眼レフを抱えて、京都を探索していくつもりです。スピリチュアルがテーマのポータルサイト「Wonder times」でコラムを連載中。「All About三重ガイド」