仕事で銀行へ行った時のことです。ロビーの椅子に座って待っていましたら、50代からを対象にした旅行雑誌が置いてあるのに気が付きました。開いてみると、見たことも聞いたこともない神社の写真が目に入りました。それは、京都にあるという大将軍八神社でした。お守りには北斗七星が刺繍されていて、色も黄色と色鮮やかです。一目で気に入ってしまいました。
大将軍八神社は794年の平安京建設時、王城鎮護のため都の方除け守護として造営され、当初は大将軍堂と呼ばれていたそうです。江戸時代に大将軍社と改称、明治に現名称へと変更されました。大将軍は陰陽道の方位神で、とくに建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神ですが、明治の神仏分離令で祭神が素盞嗚尊となりました。社号の「八神社」は、陰陽道の暦神(八将神)と素盞嗚尊の御子神八柱の意が重なっているようです。
調べてわかったことですが、大将軍は魔王天王とも呼ばれる大鬼神、大凶神でした。そんな神様を桓武天皇は、鬼門封じ、怨霊封じとして東西南北に配していたとは驚きです。風水だけではなく、様々な寺社の力を使って都は守られてきたのですね。
さて、晴明神社を参拝してから大将軍八神社へは、一条通を歩きました。今出川通をバスに乗って、北野白梅町で下車すれば時間的には早く着きますが、妖怪ストリートも歩いてみようと思ったのです。
妖怪ストリートは大将軍商店街のことです。その昔、「百鬼夜行」という伝説が生まれた一条通にある大将軍商店街は、2005年より妖怪によるまちおこしをしています。お店の前でユーモラスな顔をした妖怪たちが立っていました。「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ 天神さまの 細道じゃ」と口ずさみながら歩いてみましたよ。天神さまである北野天満宮から近い細道である一条通は、電燈がなかった頃は怖かったでしょうね。
そして、妖怪ストリートを歩き大将軍八神社を参拝した私は、念願の北斗七星が刺繍されたお守りを授かったのでした。これでどの方位を旅行しても安心です。
【特集】京都宝物館探訪記「大将軍八神社」
三重県四日市市で生まれ育ち、嫁ぎ先も四日市市内。東海道43番目の宿場町である四日市から、鉄道に乗って京都へ旅をすることがこれからのライフワークの一つです。愛用のミラーレス一眼レフを抱えて、京都を探索していくつもりです。スピリチュアルがテーマのポータルサイト「Wonder times」でコラムを連載中。「All About三重ガイド」