先日足を運んだ下御霊神社からしばらく歩くと、お寺がありました。
名前は行願寺です。
この日は拝観料が必要なお寺には参拝しないでおこうと決めていたのですが、こちらはいらないようだったので、山門をくぐることにしました。街の中にひっそりとある小さなお寺だと感じました。1815年に建てられており、京都市指定有形文化財に指定された重厚で立派な建物でした。赤い大きな提灯が印象に残ります。
宗派は天台宗、御本尊は千手観世音菩薩、開基は行円上人です。西国三十三ヶ所観音霊場の第十九番の札所なので、若い女性たちがご朱印を受けるために並んでいて、にぎやかでした。
出家前の行円上人は猟師であったそうです。ある時、射止めた牝鹿の腹の中から小鹿が生まれ、鹿が血まみれの小鹿をなめていましたが、力尽きて死んでしまいました。その様子を見ていた行円上人は今までの殺生を悔いて、仏門に入ったのです。死んだ牝鹿の革を常に身に着けていたことから、「皮聖」「皮聖人」と呼ばれていたそうで、それが行願寺の別名「革堂」の由来となっています。
行円上人が身に着けていたという牝鹿の革衣は、「宝物館」で保管されていて、かわいそうな子守りのお文の逸話がある幽霊絵馬と共に8月22日から24日まで公開されます。どんな衣なのか、気にかかりますね。
境内には、寿老人神堂があり、都七福神のひとつで七福神めぐりの巡礼札所となっていました。もともと神仏習合であった日本なので、中国の道鏡の神様も仲良くお祀りされているわけです。
面白いなあと思ったのは、「愛染堂」と「鎮宅霊符神堂」があったことです。愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っています。また、鎮宅霊符神は十干十二支九星を司る総守護神で陰陽道最高の神、道教において北極星と北斗七星を神格化したもの。仏教だと妙見菩薩、神道では天御中主神だそうです。
街の中にある行願寺には庶民のための神仏がお祀りされていました。
三重県四日市市で生まれ育ち、嫁ぎ先も四日市市内。東海道43番目の宿場町である四日市から、鉄道に乗って京都へ旅をすることがこれからのライフワークの一つです。愛用のミラーレス一眼レフを抱えて、京都を探索していくつもりです。スピリチュアルがテーマのポータルサイト「Wonder times」でコラムを連載中。「All About三重ガイド」