店のたたずまいが京都の民家風なので、安心してガラスドアを開けて店内に入ると、そこは一種独特の雰囲気を持ったアートでいっぱいの美術画廊だったりで、奥にいるご主人の視線にタジタジになったことはありませんか。
私は今も恐る恐る入ることがあっても、いつも出口を意識している自分が、臆病で小心者だと思うことがあります。
なぜそうなのかというと、決して商品(美術品)が買えるわけでもなく、ただ店を冷やかす目的だけなので、申し訳ないと思っているからなのです。
それでも見せて欲しいのはいろんな美術品に出会えるからです。私の場合は多くの作品と出会うことで、やがて少しは物の見方が解ってくるのを期待してのことなのです。(だったら美術館や博物館へいったらどうなの?って言われそうですね…)
京都市内には美術商つまり画廊やギャラリーがたくさん営業しています。
数えたことはありませんが、寺町三条辺りや祇園、それに大和大路通り古門前・新門前通り辺りには、結構美術商が軒を並べています。
なかでも古美術のジャンルでは、古門前通りと新門前通りに囲まれた地域のお店が個性的ですね。
あるお店は奈良時代の書跡(しょせき)や平安時代の絵巻や、江戸時代の錦絵や屏風などが並べられていたり、またある店は櫛・かんざし・笄(こうがい)など江戸期の女性の装飾品を主に並べていたり、また別のお店では明治・大正期に活躍した富岡鉄斎の作品を扱う店もあったりで、それぞれお店には特徴があって面白いし勉強になります。
美術館や博物館では一か月単位で展覧会が替わるので、じっくり同じテーマで見たいときは、数軒の画廊を数年かけて見るとかなり見ごたえがあります。この習慣は興味がないとすぐに忘れてしまいますが…。
半年ほど前、スイスの女性陶芸家をひょんなことで女房が知り合いになり、二人して一日だけ京都観光のボランティアガイドをすることになったのですが、彼女は京都が今回初めてで、当然この地域は全く知らなかったのです。
大変興味をそそられた様子で、数軒のお店では展示品をしらみつぶしに眺めていました。そして言ったのです。
「この町は、アーティストにとってパラダイスです」
…わたし達は普通この町をそんな目で見ていなくて、ただ美術品を扱う少し格調の高い(庶民には縁遠い)お金持ち専用のお店という印象でした。東洋の芸術文化に興味を抱いている彼女にとっては、京都が、そしてこの地域が特別に見えたようです。
なるほど、この辺りのお店では国立や県立の美術館・博物館が展覧会のために、作品を借りに来るほどだと聞いたことがありました。きっと目利きのご主人やスタッフが大勢いるのでしょう。そんな人たちがこの地域を盛り上げてきたのでしょう。
そうそう、この町の一角には白川が流れているのをご存知ですね。
今年も六月には少ないながらも蛍が淡い小さな光を放っていました。
お気付きになった方もおられたと思いますが、円山公園内の小川や、東山通りから下流の白川の石垣伝いに延々と蛍が見られたのです。
あの有名な巽橋付近にも期待に違わずいましたし、少し離れたところでは父親らしい若者と幼い兄弟が、虫かごを使って静かに蛍を捕っていました。
絵になるな~と、不意に上村松園の絶筆と言われている名作『初夏の夕』を思い出しました。
どんな絵かというと、飛び去っていく一匹の蛍を愛しそうに見送る日本髪の女性を描いた余韻のある作品です。
昼間の白川辺りの表情は、夜のとばりが降りだすと明りが灯り、一段と絵画の世界に引きずり込まれるような気分になります。
そんな時、気の合う連れと行きつけのお店で、創作料理など楽しんで帰れば、ますますアートに触れてご満悦の一日になること請け合いです。