今年の6月に日本の「富士山」が世界文化遺産に登録されたと、テレビや新聞などで大きく報じられ、日本国中の人たちがその快挙を喜びました。
以前、世界自然遺産で登録を却下されたことを受けて再チャレンジしての快挙でした。というよりも、初めから文化遺産として申請すべきを、遠回りしての朗報でした。
何故かというと、静岡の人たちの中でもかなりの人たちは、山がゴミで汚い、山が臭い、無制限の登山者が多すぎるなどから、初めから自然遺産は無理と思っている人が多かったのです。でも今回は結果が嬉しいことになりました。
しかし、問題はこれからです。
案の定、登山者が急に増えたので、以前の対応ではおいつかず後手後手にまわっているところに、夏山シーズンに入り、なんとか入山料は決まったようですが、山梨県側と静岡県側とで意見が合わないこともあったり、また行政側と観光業者側とで意見が折りわなかったりで、今後も紆余曲折が予想されるようです。
ところで我らが京都では、世界文化遺産が17件登録されています。神社が3件、寺院が13件、城が1件です。
そこで今回は下鴨神社を訪ねて、神社とその周辺の地域が世界文化遺産としてふさわしい活動をしているかを、覗いてみたいと思って出かけました。
前回下鴨神社に来たのは今年の5月15日の葵祭の日で、素晴らしく晴れていて暑いほどでした。
10時頃にはすでに人が集まっていて、11時30分頃に行列が到着するとのことで参道や馬場にも緩やかな緊張感が流れていました。
《参道南入口の鳥居》
一方、今日も昼下がり、多くの参詣者が行き来しています。
それにしても、下鴨神社は平成6(1994)年に文化遺産になったとはいえ、今ではずいぶん人の流れが多くなったなと思いながら、高野川にかかる河合橋からほど近い大きな鳥居をくぐりました。ここからまっすぐ北へ進んでご本殿にお参りするつもりです。
左側には長い塀が続いています。どうもこれは家庭判所の塀らしいです。昔この両側には社家の家が立ち並んでいたといいますが、明治の初めに天皇様と一緒に東京へ移って行ったらしいです。でもまだ少しその雰囲気が残っていて、気を付ければ昔の様子が偲ばれます。
《参道より河合神社へ》
まもなくして、参道に立てられている看板に誘われて左へ折れて小さな紅葉橋を渡ると、下鴨神社の境内社のひとつである河合神社の鳥居が建っています。
《河合神社楼門》
この神社は規模は小さいものの大変有名で、あの『方丈記』を書いた鴨長明ゆかりの場所で、長明の父が神職を務めたことがあることから、現在境内に「方丈の庵」が復元されています。
《方丈の庵》
方丈は広さが4畳半くらいでこの方丈で書き上げたので『方丈記』と呼んだそうです。組立可能な移動式型の建物だったとは意外でした。
ここで意外なものをもうひとつ見つけました。
《鏡絵馬》
「鏡絵馬」と言います。3年前に下鴨神社の禰宜(ねぎ)さんのひとりが考案したと新聞に紹介されていました。
女性が持っている手鏡からヒントを得たというのです。神社が用意した木製の手鏡に、自分が所持している化粧道具を使ってメイクして、「美人になれますように…」と願掛けするといいそうです。
《鏡絵馬(拡大)》
最近ではクレヨンや色鉛筆が置いてあって、自由に使えるようですが、やっぱり自前の口紅などできれいに可愛いく仕上げてあるものが一杯奉納されています。
ちなみにこの神社のご祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)といって、あの神武天皇を産んだお母さんということらしいです。美人の神様だったのでそれにあやかろうというのでしょうか。
《瀬見の小川》
《こもれび》
再び参道に戻り北のご本殿に向かいました。
暑い夏の日差しが木漏れ日として足元を照らしています。この時期の木漏れ日は、杜を歩く者にとって大変ありがたいものです。
若いころは考えもしなかったことですが、最近は日影を探しながら歩いている自分がいます。
そうそう「こもれび」で思い出しました。昨年のことですがモンゴルの若い女性と知りあうことがありました。彼女は研究職の仕事をしていて聡明な人でした。
たしか女房と三人で洛北の赤山禅院(神社)に行ったときのこと、「日本の言葉はバリエイションがあって素敵です。」と突然言い出したのです。つまり太陽の表情にもいろいろな表現を試みている日本語は素晴らしいというのです。日本語にはひとことで自然現象を言い当てる言葉があります。
たしかに「あけぼの」、「あかつき」「しののめ」「こもれび」「むらくも」…などは外国語では表現しにくいのかもしれません。
それから京都で最近言い出した言葉で、新緑とは違う「青もみじ」、本当に景色も言葉もきれいですね。
他府県の人に言わせれば、京都のもみじは小ぶりだそうですね。だからもみじの色調に厚みが出るのかな。
《石橋》
そんなことを考えながらふと右側を見ると、そこには泉川に架かる古くてお洒落な石橋が目に入りました。暫しその上で泉川の流れを見ていると、この辺りに小説家の谷崎純一郎や川端康成、京都大学物理学者でノーベル賞の湯川秀樹、また洋画家の鹿子木孟郎らの家があったと聞いたことを思い出しました。
なるほど静かでオゾンが一杯の場所ですね。
ひょっとしたらと思って橋を渡って左側、つまり北側のお屋敷は、庭園に民家としては異常なほどのしつらいがしてあって、ここは誰かのお屋敷跡かと、勝手に覗き穴から確認しました。
《参道の大木》
参道の左側に大きな広場と森があります。広場は500メートルほどの細長い馬場になっていて、森は「糺(ただす)の森」という古代の森の面影を残している由緒のある森です。平安時代頃にはこの40倍ほどの森であったといわれています。
《馬場》
また、馬場は20 年前には蒼空が見えたのですが、今では殆ど両側の大木の枝が伸びて緑の葉が空を覆っています。
普段観光バスが停まっていたりしますが、50年ほど前には映画の撮影がよくあって、私もたまたま高田浩吉や左卜全を見かけたことがあります。でも本番までの長いこと長いこと、その時は晩秋の寒い日だったので、彼らは小さな一斗缶でたき火をして、じっと出番を待っていました。それを見て「俳優残酷物語」って誰かが言っていましたね。
《楼門前の鳥居》
楼門前の鳥居をくぐると、左手に大きなさざれ石が飾ってあります。
《さざれ石》
「君が代」のさざれ石は各地で見られるのでそれ程珍しいものではないのですが、ここのは大きすぎず小さすぎず、そしてとっても上品です(この表現では理解し難いですね)。
《連理の賢木》
そして、やや行くと売店横に相生社(あいおいしゃ)という小さなお社があって、その左手に榊の木が3本、なんの造作もなく立っています。よーく見ると、1本の木の枝がもう1本の木の幹に刺さっています。つまり結合しているのです。
これを連理の賢木(れんりのさかき)と呼びます。不思議なことにこの木が枯れても、必ず近くの木にこの現象が現れるそうです。そんなわけで良縁のご神体として信仰されています。
《楼門》
さて、いよいよ楼門を入ります。
たしか夏は朝の5時半に開門され、夕方は6時に閉門するとのこと。夜は特別な日以外は一般の人は入れません。
葵祭の行列も下鴨神社に到着すると、この門が閉じられて儀式が始まります。社頭の儀と呼びます。
御所から下鴨神社までのいわゆるパレードのことを、路頭の儀と呼んでいますので、これらは儀式という意味においてセレモニーなのです。だから葵祭をフェスティバルと訳すとちょっと意味が違うようです。
《舞殿》
楼門を入るとすぐに舞殿があります。この建物はご本殿(神殿)の神様へ思いを届ける場所で、社頭の儀もこの建物を中心に行われます。
《本殿入口》
《本殿と言社》
私達は通常ご本殿まで進んでお願いをしますが、この神社にはご本殿の前に言社(ことしゃ)と言って干支(えと)の神様が小さなお社に祭られていますので、自分の干支の前でお参りしましょう。きっとご利益があります。
ところで、下鴨神社のご本殿は平成27年(2015)4月に式年遷宮(正遷宮)が行われます。
だからでしょう。時折来てみると色々な建物が徐々に綺麗になっています。(式年遷宮は伊勢が20年、上賀茂・下鴨が21年に1回行うことになっていて、その他の神社は規定されていないと聞いたことがあります。)
ご本殿にはご祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)の二神が祀られています。この玉依媛命の子供が上賀茂の別雷神社の神様になるようです。少しこんがらがりますが、先ほどの河合神社のご祭神の玉依姫命とは別の神様のようです。
いずれにしても天孫降臨の神話の世界に触れる歴史を持つ、伝統のある神社ということのようです。
《太鼓橋》
ご本殿の右側、つまり東へ回ると小さな太鼓橋と、御手洗池(みたらしいけ)があります。
今は太鼓橋の片方のみ梅の木がありますが、その昔には橋の両側に紅白の梅が咲いていたという伝説が残っています。これは、あの尾形光琳の「紅白梅図屏風」のモデルになった場所だというのです。ほんとかウソか判りませんが、あってもおかしくない話で話題づくりには面白いでしょう。
また御手洗池は、昔大正生まれの人から聞いた話ですが、鴨川の川底を低くする浚渫工事をするまでは、この池からこんこんと泉がわいていたそうです。そこに泡が一つ、二つ浮かび上がり、五つくっついたのを見て団子を作ったのが、今の「みたらし団子」になったとか。
その話も面白いですが、わたし的には人型(ひとがた)の団子の話の方が、人の穢れを流すという意味において、風情があって面白いと思いますがどうでしょうか。
(団子が4個とか、5個つながりのモノや醤油味のたれを時々見かけることがありますが、あれはいけませんね。やっぱり頭が一個少し離れている人型でないとみたらしではありません。単なる団子です。)
《西入口》
他にも境内で訪ねたいところがまだまだありますが、『今日はこの位にして最後はあの「みたらし団子」を食べにいこう。』ということで、躊躇することもなく混雑する店の客人になっていました。
《西入口の「世界文化遺産」石碑》
ところで、団子を頬張りながら考えました。下鴨神社には日本の神話にも由来する、黎明期のいろいろな物語やエピソードが詰まっていて本当に面白い。だけど京都に限っても、世界文化遺産に指定されていない多くの神社や仏閣にも楽しい歴史やエピソードが沢山あるだろう。それを私レベルが云々するだけの知識はそれ程持ち合わせていない。
ここはユネスコや、文化庁が係っていることからその価値を認めて、せいぜい各地の世界文化遺産を訪ねて、まだまだ知らないそれぞれの価値を見つけに行かねばという謙虚な気持ちにさせられたのでした。
世界遺産 下鴨神社