このところの酷暑ですが、またまた京都工芸繊維大学美術工芸資料館へ行ってきました!
オープンキャンパスで一般人も美術工芸資料館ギャラリートークに気楽に行けました。
出たり入ったり・11時からと14時が無料です。
2Fのトーク会場は満席で立ち見客大勢です。
大同マルタのOGの方のお話しが、歴史の生き証人の貴重な技術の伝承だったり、デザインの工夫だったり、あの時代の「外貨獲得」の大変有意義な産業だった事がわかりました。
技術屋さんの立場・図案化・営業・染料の開発技師・それぞれの「僕たちの青春だった!」と、瞳が輝く瞬間の皆さんの表情は素敵でした。
アメリカ軍から払い下げられた「木綿」の生地は日本用と輸出用に二分化され、市場はまず発展途上のアフリカになりました。
365円時代のフランスの植民地だった国や、スペイン・イタリア・イギリスなどヨーロッパからの独立が見込まれて発展するであろうとの狙いだったようです。
その後、ターゲットは東南アジアにも広がってくるのですが、内紛がつづくアフリカもやがて自国でプリント出来ることになったのも、その要因だそうです。
その東南アジアの製品開発のためにコレクションされたのが散逸することなく大量に展示されていて圧巻!
バティック・更紗・モラ・サリーなど現地の習慣や好みを研究し、その上でのファッションリーダーとして斬新な製品を提案をして、注文生産より責める営業に方向転換されていったそうです。
また、14時からのギャラリートークでは「実験・実演」に、もと技師だった方が説明しくださり大変興味が沸きました。
でないと、古めかしい機械としての認識しかないのです。
説明によってマシーンは輝きを増し、その技術の微調整が難解なことも理解できました。
今では、写真フィルムやPCで細かい図案も難なく瞬時に合成できてしまうのですが、説明してくださる技師さんが青春だった1950年代では先端技術だったのです!
廃れて消えていく技術を保存し、後世の方に資料として保管して欲しいと繰り返し話されてました。
銅製の大きなローラーに彫刻する方・そこに味を加える技師・図案家・色を研究する技師と図案家・などなど分業の世界。
工場は3Kで、暑い・強い匂い・騒音などなど、とっても過酷な状態だったようです。
クーラーなどなかった時代のご苦労に頭が下がりました。
ギャラリートークがあって「企画展」に厚みが増し、有意義な完結の日になりました。
「京都からアフリカへ」輸出があったことなど京都人、京都知らずの冴えたる事例ではなりませんか?
ブラボー!
ギャラートークが終了し、先輩たちへ大きな拍手が高い天井に大きく響いておりました。
京都からアフリカへー大同マルタコレクションにみる1960年代京都の捺染産業
文責:京おはるぅ~