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あなたに指差された方向の行く先はどこにあるのか?(Gallery PARC)

投稿:2014年3月21日

3月1日(土)18時開演の回に、Gallery PARCで行われた『今あなたが「わたし」と指差した方向の行く先を探すこと Ⅲ』の「舞台」を観てきました。

私は最近、先入観を持ってしまわないように展示会や舞台、映画等々に行く時にチラシやwebでは事前情報をそんなにチェックしないようにしています。
でも、この日はなぜか勝手にこれはダンス作品なんだろうと思い込んで観始めていました。

実際に踊っている人も何人かいました。
しかし、その他の人はと言えば…

肺気胸手術の記録映像とお話を繰り広げたり(内視鏡手術の映像も見られて興味深かった)、変顔でゲームをし続けている人もいたし(私の席はちょうど彼の横顔が見える位置だったのでその変顔は横から見えたのですが、見えない位置に座った観客には、彼と対面している役者のリアクションから変顔を想像できるという仕掛け)、また別の出演者はほぼ等身大の木製ロボット(のようなもの)を操る自伝を見せてくれ、また別の人は舞台に黒豆をぶちまけたりチョココルネを食べるパフォーマンスを実演後にそのパフォーマンスにおける意義をひとり語り(人前で物を食べる行為が“恥ずかしい”ものだという感覚は共感できた)。

この「舞台」のテーマは『関係』。
こういったパフォーマンスを見てくれる人がいるからこそできあがる「舞台」上での出来事、場の空気。
「舞台」上でなにか事件が起これば、その違和感をも観客は共有できる。
実際、私が観に行った回は出演者のひとりである男性が「舞台」の時間中に姿を見せることがないまま終演してしまったという事件が起こりました。

私も含め、観客は時間が経つにつれて「おや?あとひとり出演者がいるはずなのにまだ舞台に出てきていないぞ」と思い始めていたし、表情に出さなくともパフォーマーの皆さんも何かアクシデントが起きたのだろうかと思いながらも彼なしのパフォーマンスを続行させるしかありませんでした。
終演の挨拶後に観客はこの状況はパフォーマーも予測しない状況だったことを知り、その場にいる全員が「彼は今、いったいどこで何をしているのか?」と、舞台に現れることのなかった人物に思いを馳せる時間を共有しました(私を含め、もう一人の方が開演前に彼が衣装を着たまま「舞台」のある2階から降りていったのを目撃している!)。

終演後30分間「展示」時間が残っていたので、せっかくだし居残って時間を過ごすことに。
「呼吸占い」を見学し複雑な心境に陥ったり、観客に振舞おうとして炊いたはよいけれど味の仕上がりがいまいちになってしまったため鍋に入れて置かれたままになった黒豆をつまみ食いさせてもらったり、パフォーマーの皆さんから物販Tシャツを勧められたりという自由な時間を体験。

出演者の方と立ち話をしていた最中、突然「ぼく、今夜泊まるところがなくて困ってるんですよね」と話を振られた時があって、素直な私は真面目に受け答えしてしまっていたのですが…帰宅してしばらくしてから「あれはセリフだったんじゃないのか」という考えに至り、ちょっと恥ずかしくなっています。

当日配布されたパンフレットから倉田翠さんの文章を抜粋――

それで、公演が終われば、「ありがとうございました。」とか言って、
お客さんと喋ったり、舞台が片付けられたり、その、“関係”が限定された時間が終わるのです。
普通に会話が行われ、見せ物としてではない動きが始まる。
そこで、その切り替わるポイントがあるわけですが、
はたして、じゃ、今この普通っていう「これ」は“見る”と“見られる”が決められている舞台と何が違っているのか。
この企画は、そのあとも作品です。今、私がセリフを喋っているかいないかは、誰にも分からないし、今あなたが「普通」に発した言葉が、本当に、それ、普通なのかって、どうやって判断するのか。
虚構と現実の、スレスレのところ。


まったく、もう!



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