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京都の名所と古典レポート:「蜻蛉日記から学ぶ恋の作法」

投稿:2011年6月14日

「なげきつつひとり寝(ぬ)る夜のあくるまはいかに久しきものとかはしる」
――あなたが来ないことを嘆き悲しみながら独りっきりで寝る夜は、明けるまでなんて長いことでしょうか。あなたにはこの苦しみが分からないでしょうね。

小倉百人一首にも採られている有名な一首です。作者は藤原道綱母。愛する夫を待ち続けて、独り寂しく夜を明かした女性の、切なさ、虚しさ、憤りが込められた歌です。道綱母がこの歌を詠んだ時の気持ちは、『蜻蛉日記』の中でより詳しく描かれています。

美人だけどプライドが高く、嫉妬深い女性、というイメージが道綱母にはつきまといますが、日記の中には、一人の恋愛不器用な女性の姿を見つけることができるのです。道綱母はことごとく、男の人の浮気に遭遇した時に、やってはいけないことをしてしまっています。道綱母の「失敗」から私たちはなにかを学び取ることができるのではないでしょうか。

 

その一「嫌味を言わない。」

道綱母が浮気に気がついたのは、別に疑って詮索したからではありません。何の気なしに文箱を明けてみたところ、兼家が他の女のところに書いてだそうとした手紙が出てきたのです。今ならば、メールで発覚、というところでしょうか。しかも自分の文箱からそんな恋文が出てきているのですから、兼家は自分の携帯から浮気相手にメールを書いているようなものです。もしかしてわざと?とも思えるような不用意さです。

さて、肝心なのはここから。浮気に気づいたときに、女はどうすればいいのでしょうか。道綱母は、とにかく自分がその恋文を見つけてしまったということだけでも伝えたい、と思って歌を詠みます。

「うたがはしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならむとすらむ」
――あなたが浮気をしているんだと疑っているんですよ!他の人に渡した手紙を見ました、だから私の家にあまり来なくなったんですね。

といった内容です。

率直な思いをぶつけているようにみえて、実はかなり技巧的。「うたがはし」に「橋」を、「ふみ」は「文」と「踏み」を掛けています。「橋」「踏み」「途絶え」は縁語。道綱母は、歌がうまいことで有名でしたから、自分の技量を見せつけることで、心の余裕を見せようとしたのかもしれません。それにしても、「うたがはし」の初句切れなんかは、かなり強い口ぶりで、なんだか攻撃的です。
こうした技巧も、相手を責める出だしも、歌全体を嫌味っぽく、かわいげのないものにしています。こんな歌をもらっても、離れようとしている男の人の心を留めおくことはできません。
兼家は、この歌を無視。日記には返歌が書かれていないことからも、なかったことにされてしまったようです。
 

その二「詮索しすぎない。」

兼家は浮気のことをハッキリとは言いません。ある日の夕方も、道綱母の家に来たかと思ったら、「内裏にのがるまじかりけり」――仕事があるから職場に戻らなくちゃ、と家を出ていきます。
「心得で」――あやしい!と道綱母の勘が働きます。
今でもよくあるパターンです。早めに会えたと思ったら、20時位に用事があるとか言って彼が仕事に戻ってしまった……こういう時は、浮気している可能性があります。

さて、道綱母はどうしたでしょうか。ためらいなく「人をつけて見すれば」と追跡させます。すると、「町の小路のそこそこになむ、とまりたまひぬる」と報告を受け、「さればよ」――やっぱり……と浮気を確信します。

今だったら後を追っかけなくても、GPSとかで調べることもできるかもしれません。詮索しすぎて、浮気を突き止めたとしても、何も得ることはありません。もちろん、「別れる!」と潔く決意できるのならばいいですが、そうも割り切れない女心。
道綱母は「いはむやうも知らであるほどに」――なにを言ったらいいのか、どうしたらいいのかもう分からない、と絶望を感じ、心を閉ざしていきます。
 

その三「意地を張らない。」

浮気を確信してから二三日後、「つとめて」つまり早朝に門を叩く音があります。道綱母は門を開けず、冒頭の歌を詠み、色あせた菊を添えて送ります。色あせた菊は、兼家が心変わりしたことへの当てこすり。自分の嘆きばかりを押し付けるような歌です。

これに対しては、さすがの兼家も返歌をします。

「げにやげに冬の戸ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり」

――ほんとほんと、なかなか戸が開かないのって辛いよねえ、と軽い感じで、しかも戸を明けなかった道綱母を責めることも忘れない。道綱母の嘆きには、まったく応じていません。

兼家は律儀に三日と明けないように訪問してくるわけですが、しかしおそらく、浮気に気づいている道綱母と一緒に過ごすのは、居心地が悪いのでしょう。だから夕方には出ていってしまったり、来たと思ったら早朝だったり。夜は浮気相手のところで過ごしていたに違いありません。

意地を張って追い返したり、嫌味な歌を送ったり。兼家の心は離れるばかりです。
 

その四「男の言い訳を信じてあげる」

兼家は、はじめは浮気を隠そうとしていました。

「うたがはし」の歌も相手にしなかったし、すこし訪れる日が空いてしまったときには、
「しばしこころみるほどに」――しばらく会っていないうちに、君が心変わりしないかどうかを試してみたんだよ、なんて言ったりします。この台詞をさらりと言ってのける兼家は、すごいです。さすがあの藤原道長のお父さんだけはあります。

しかし「嘆きつつ」の一件の後は、「ことなしびたる」と開き直って、隠そうともせずに浮気相手のもとに通うようになってしまいます。
言い訳すらしてくれなくなった兼家に、道綱母は思います。

「しばしは、忍びたるさまに、内裏になど言ひつつぞあるべき」
――浮気がバレたからといっても、しばらくの間は私に隠れるようにして、職場に行くとか言い訳をするべきなんじゃないの?

兼家はちゃんと隠していたよ!「内裏に」という言い訳もしていたよ!と突っ込みたくなる部分ですが、道綱母は多分真剣です。堂々とされると、隠してほしくなる(跡をつけさせちゃうけど)。言い訳もしてくれなくなると、言い訳ぐらいしてほしいと思う(信じないけど)。どれもこれも、女心です。

隠したり、言い訳をしてくれるというのは、その浮気を申し訳なく思っている証拠。そう考えてみれば、ただ相手を責めるだけではなく、自分のもとに来てくれるような居心地のいい場所を作ったり、楽しい時間を過ごせるように心配りをしてみたり、前向きな再構築ができるのではないでしょうか。
 



ところで、兼家の邸宅は東三条院といい、「東三条院跡」として、現在説明板が烏丸三条のあたり、新風館の脇に建てられています。
『京都源氏物語地図』(角田文衞監修・思文閣出版)などでは、東三条院は西洞院通り沿い、道綱母の邸宅は堀河か西洞院の一条あたりとされています。浮気相手の「町の小路」とは、現在の新町通のことをいい、岩波書店の旧大系の注などから、現在の勘解由小路(かでのこうじ)町あたりかと思われます。
どの邸宅もほぼ一直線で結ばれ、距離としてもほぼ1キロの間におさまります。これだったら、わざわざ跡をつけさせなくても、浮気はすぐさまバレてしまうような気が……。
ちなみに、兼家の正妻の時姫の邸も、道綱母の屋敷のすぐ南にあったとされています。
いくら平安京が狭いとはいえ、よくこんな近所で浮気したものです。さすが、兼家。
 



道綱母が浮気に気づいたときは、実は息子である道綱を産んだ直後。たのみの父親は東北地方に赴任してしまっており、母子で頼るべき人は兼家ただひとりです。最後に、ここのところは強調しておきたいのですが、道綱母は産後の不安定な体と心で、このような事態に直面していたのです。それを思うと、道綱母があわれでなりません。

道綱母の言動は、誰しもが陥りがちなものです。浮気が分かっても相手を責めないとか、嫌味を言わないというのは、なかなか難しい。反面教師に、なんて思ってみても、自分も気づけば、同じことをしているものです。だからこそ『蜻蛉日記』は、多くの女性に共感をもって読み継がれているのでしょう。

文責:此糸 編集:京都で遊ぼうART

 

関連リンク

蜻蛉日記(Wikipedia)

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