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何を手にして創るのか~棟方志功 幻の肉筆画展@美術館「えき」KYOTO

投稿:2013年9月24日

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芸術家は、その創作のすべをどうやって選択するのだろう。
画家は筆を、作家は言葉を、ダンサーは身体を、選ぶ。これしかできない、と答える芸術家もいるだろう。
しかしミケランジェロが彫刻にも絵画にも秀でていたように、複数の技に秀でた芸術家もたくさんいるように思う。

棟方志功は後者のようだ。

彼が世界的に知られるようになったのは版画による作品であったが、本展覧会では主に肉筆画が展示されている。
版画ではなく、肉筆画を選んだ理由はなんだろう。版画と肉筆画の違いはなんだろう。考えながら観ていた。

見つけた違いは二つ。「まるみ」と「にじみ」だ。

棟方の版画では、例えば仏の輪郭が、力強い彫り跡をそのまま感じさせる直線の連なりによって表現される。肉筆画では、柔らかな筆運びによってふくよかにまるく、自然な輪郭が描かれる。そしてにじみは、凹凸により面が明確に分割される版画では現れ得ないものだ。淡い色彩あるいは墨で描かれたものがやがて、画面に溶け込むようなにじみは、筆ならではの表現に違いない。

そして、共通点が一つ。「創作する姿」だ。
 
展覧会の冒頭、会場に入るとすぐに、版木を彫る棟方の姿が撮影された土門拳の写真に遭遇する。版木からほんの数センチのところにまで顔を近づけ、彫刻刀を握る。会場の中ほどでは、やはり画面に顔を接近させて筆を握り、絵を描く棟方の映像を見ることができる。

実際、棟方はかなり視力が落ちていたらしい。しかし、画面に接近しながら創作するその姿には、創作に対する強烈な衝動が現れているように思えた。
写真には顔と手だけしか写っていないのに、彫刻刀と木の接点、その一点を支えるために、全身が緊張しているのが分かる。画面に接近し、身体の内にある何かを直接画面に移しとろうとしているようだ。空気に触れて放散し、希釈されるのを恐れるかのように、少しでも近づいて、注ぎ込む。相手が木であっても、紙であっても。手にしているのが彫刻刀であっても、筆であっても。

己の内にある表現したいものが、手段を選ばせる。そう思わせる姿だった。

パラミタミュージアム所蔵 棟方志功 幻の肉筆画展



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