冬になると、木々が葉を落とす。
それまで葉に隠れて見えなかった、それぞれに個性的な枝ぶりが姿を現す。
すらりとまっすぐに伸びた枝。意外な方向へ折れる枝分かれ。
バルテュスの描く少女に似ている。
バルテュスは少女の絵をたくさん描いた。
少女たちの多くは、不自然なポーズをとっている。
大人の女性のように、まるみを帯びる前の、まっすぐな腕や足。
その腕や足を、不自然に曲げたり不自然に伸ばしたりしている。
その姿が、木々の枝ぶりに似ているように見えた。
来るべき春のために、芽をだしぐんぐん成長する春のために、エネルギーを蓄える冬。
女性になる前の、しかし女性の気配を感じさせる少女という時間。
美しさの予感。
バルテュスが描いたのは少女という美しさではなく、女という美しさの予感、ではないだろうか。
バルテュスの絵には、スキャンダラスな話題がつきまとったそうだ。
少女の絵を多く描き、年齢差のあるパートナーを持ったからかもしれない。
しかしなにより、バルテュス自身がとても美しかったからではないか。
美しい人は、男性でも女性でも、ドラマチックな想像を呼び起こしてしまうのだ。
バルテュスが自身の美しさについて、語ったことはあるのだろうか。
自身が美しいからこそ、完成された美よりも美の予感に惹かれたのではないか。
これもまた、美しい人に呼び起こされてしまったただの想像だろうか。