京都国立近代美術館で開催されている「泥象(でいしょう) 鈴木 治 の世界」を見た。
初期から最晩年までの150点余り。
今回の展覧会の特徴は、鈴木氏の言葉を手がかりとして、活動を読み直すものだという。
「使う陶」から「観る陶」そして「詠む陶」へーこのサブタイトルは、彼の個展での言葉を元にしている。
《泥象》1965年
八木一夫、山田光らと前衛陶芸家集団「走泥社(そうでいしゃ)」を結成したのは1948年。
彼らは、用途を持たない造形を追求した。
揶揄気味に「オブジェ焼き」と呼ばれることに抵抗感を持っていた彼は、それに代わる言葉として「泥像(でいぞう)」を用いた。
古代中国稜墓の副葬品や、彫刻家イサム・ ノグチのテラコッタの作品などに大きな影響を受けた。
土偶や埴輪などが持つダイレクトな土の力と、自由な表現を模索し始める。
轆轤(ろくろ)から離れて、立体形や平面的な作品が生み出された。
《馬》 1977年
彼の作品は主に焼締と青白磁で、色ではなく形の作家と言われている。
中でも動物の造形ー特に馬は繰り返し制作している。
形を抽象化するのではなく、手の内で自分の想像力を形にしていく作業の果てに出来たもの。
「(抽象)よりも(象徴)だ」というのが彼の言葉である。
後に「泥像」から「泥象」と言葉を変えた理由は、森羅万象に目を向ける姿勢の表れである。
雲や風、太陽などをテーマにした作品は、軽やかでどこかユーモラス。
《風の十字路》 1982年
中央の十字が印象的な「風の十字路」
わずかな隙間から吹き抜ける風を感じさせる。
《消えた雲》 1982年
「消えた雲」も、物語の中の一場面のよう。
《掌上泥象百種》 1987年
101種の手のひらに乗る程の作品群「掌上泥象(しょうじょうでいしょう)」は、それぞれ名前がついている。
それらを一つ一つ眺めていると、愉快な気持ちになってくる。
さて、90年代には、彼が言う「詠む陶」を制作する。
《主従出發 - 騎士(左)・従者(右)》 1993年
《晩秋 - 泥象 馬 二十五種ノ内》 1996年
「主従出發(しゅじゅうしゅっぱつ)」や「晩秋」など、イメージの世界を形と色に落とし込み、微妙な陰影を表現している。
どの作品にも、斬新さとイメージの豊かさ、そして詩情がある。
物語を創るのは、あなた方ですよと言われているようだ。
※画像の作品は全て京都国立近代美術館蔵
泥象 鈴木治の世界―「使う陶」から「観る陶」、そして「詠む陶」へ―