なんとも熟された感のあるタイトルだけ見れば
旅の道ずれにスケッチブックと淡い心を抱いて
描きためた作品展...という印象を受けるが、
会場に漠然と置かれた断片たちはそんな読みを
あっさりと裏切る。
旅は孤独を楽しむもの。
つまり孤独と一緒だから寂しくないのさ、
なんていうのはあまりにポエティックだ。
若い時代に時間を旅に費やすことは実は勇断を伴う。
"自分探し"という語彙そのものには
僕自身は抵抗があるが、何にせよ、
そこで何かを探して
ウロウロしている自分が居ることだけははっきりしている。
確かに誰でもセンチメンタルになるものだが、
どこに居ても立ち位置を明解にできる、言えば客観的に
外国に居る自分を観察できると旅は一段と面白くなる。
スケッチする。
初めて視るもの、触った時間、身体が感じる空気、意味を剥奪される外国語、
肌の色の違う人たち、湿度や温度、うろたえや困惑、疑心や落胆。
そして日本という存在と日本人である私。
それらの"自分にまつわる風景"を描きとめる。
当然自分自身も描きとめる。
裏側にブルーのアクリルを塗る。
スケッチは作家の思う線で断裁される。
床にさも無造作に置く。
壁に時系列を貼る。
中央に張り合わされたのは大きな船の帆。
そのブルーは海であり星空である。
海は地球のコップを満たし、空は世界をくるむ。
やがて自転と公転はそれぞれに違う昼と夜を
正確に順番に平等に世界に振り分ける。
旅を一度解体する。
時間も場所も異なる彼の地で作家に起こった出来事が
こうして濾過され、純度が高められていく。
決してパズルを組み合わせようなどとはしない。
このシャッフルされたカードのような断片たちは
一つの竜巻となって吹き上げられるのだ。
作家は法学部で政治行政を学び卒業後、
芸術の方面へと進んだという経歴の持ち主。
記したものを切るという一見破壊的な行為の
理由が旅にあるということに妙に納得する自分がある。
ここにあるのは観念のピースなどではなく、
記録のかけらなのだ。
快感も失意も、ささやかな希望も、果てしない欲望も
人生という旅の中での一片の"記録的なできごと"となり、
その荷物を積んだ"記憶の船"は
やがて沈んでいくのだ。
文責:den 編集:京都で遊ぼうART