その痕跡は格別な幻惑を呼ぶ...
© Shinichi-Tohda
これ、何でしょう?
と自分に問いながらギャラリーへ向かう。
この写真をギャラリーのサイトで初めて見た時の、ワクワクするような心の動き。
ああ、これがあるから愉しいのだ。
これがあるから幸せになれる。
さて、ギャラリーで作品の前に立つ。
これは写真の展覧会。
でも僕にはそうは見えない。
とても科学的な"証拠写真の公開"のように思える。
そう、ネイチャーやサイエンスの表紙になってもおかしくない、とても「精度の高い偶然」が生んだアートだと言える。
しかし仕掛けたのは作家自身であるから、この産物は限りなく確信的な想定の上に成り立っている。
だから作品そのものに観客への強制力を働かせる必要もない。
つまり美しいとか、鮮やかとか、楽しいとか、情緒的であるとか、日本的だとか...。
押し付けがましくない分、とてもクールである。
形が形を失うプロセスを仔細に見つめるカメラ、
そして何かが作用して形が出来上がるまでを冷静に見つめるカメラ。
それは形あるものはいつか消滅するという通念をどこかで立ち止まらせる、待ったをかけさせる。
これが水槽の中へ泥をスポイトで落とす時にできる土煙が正体であると聞いても、僕のアタマの中で想像するには相当なタイムラグが生じそうだ。
それは深海に棲息する謎の生物が踊っている軌跡のようにも見えたり、産卵の瞬間にも見える。
音にならない雄叫びのようにも...。
この世の中は見た事もないものであふれている。
人が一生のうちに見る事物など高が知れている。
写真という古典的な媒介は時間や場所を越えて僕たちをさまざまな世界へ連れて行ってくれる。
だが、街中のギャラリーで見るこの奇怪で繊細な現象は、格別な幻惑を見る者に及ぼす。
作家のオフィシャルサイトは確かに静かに語る。
だから見る方も静かに見る。
うーん、これはキレのある着想が印画紙の上で見事に結実した
オリジナルな出来事であり、もしかしたら事件なんだ、と
勝手に考えてみたりする。
是非見ていただきたい。
この世界はいつ見ても僕をとりこにする。
このモノトーンの静かなざわめき、粒立ちと対象的に、日の出直前の風景を撮ったシリーズにまた目が止まる。
サイトでご覧になってもわかるが、万物に平等な光はこうして姿を現し、こうして最初の挨拶をかわす。
その瞬間を待ち構えている作家もまた光の洗礼を受けながら、息を潜めている様子を想像したりする。
なんという崇高な世界だろう。
必見の展覧会である。
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