子どもらに現代美術を、との思いから
夏休み企画として、子どもを対象とした展覧会を2008年度から開催している京都芸術センター。
今回は4名の作家によるグループ展。
今回は謝琳(Chelin)さんの回。
謝琳≪Growing≫ 2006年 (卵、砂糖、発泡スチロール)
それにしても、なんとフォトジェニックな作品。
砂糖の砂漠に見えるのは蜃気楼…。
んー、こういうのは言葉が邪魔になる…。
僕は目線を砂漠すれずれに持って来て、
さまよう果てに見たゆらゆらとした幻影を半ば薄らぐ意識の中で追いかけているような
そんなちっちゃなサイズになって歩く。
作家へのインタビューがアップされているサイトを見る。
「まずお伝えしたいのは、私の仕事、
つまり私の作品には“デザイン”と“アート”の二つがあることです」との
謝琳さんの一言に共感。
謝琳さんは雑誌やテレビから依頼を受けてデザインケーキを制作する
ケーキ・アーティストでもある。そこは職人だ。
だから「デザイン」とはメディアを通すもの、つまり“見手”の感度をいかに刺激し、極端に言えばクライアントに納得してもらうかがカギとなる。
しかし、はっきり仰っているのは「アート」は己の主義・主張の賜物であるから必然的にアプローチの仕方はそれぞれ異なるということ。
んー、業界の端くれに居た者にとっては確かに…
今回展示されている「Growing」のバックグラウンドは
ウェディングケーキと宗教的建造物。
より高くより豪華に鎮座するこのウェディングケーキとは
入刀という儀式を滞り無く進めるために必須の、しかもある権威的なその様相がここでしか意味を成さない“張りぼて”のようなものであろう。
現在ではこれ見よがしのウェディングケーキは陰を潜めたようだが、結構な金額が張る「お幸せ」のシンボルであることに変わりはない。
ウェディングケーキの歴史を辿れば、もっと分かるはずだ…。
さて、このケーキに作家が連想したものが宗教的建造物と共通する
“自己顕示欲”であったというのが
この作品を単なる“甘くてカワイイ”だけにとどめない理由。
ここでキーワードとなるのは僕なりに考えてみると
「尖塔」ということになる。
遠くからでも認識できる尖塔はそれ自体が顕示の象徴であり、人々が畏敬の念をもって眺めるアイコンである。
高ければ高いほど、その念は増し、街を見下ろす丘にある教会はどの建築物よりも内実ともに優位に立つ。
かつて贅沢品だった砂糖をふんだんに使い、豪華にデコレーションされ、尖塔のようにそびえ立つウェディングケーキもまた、
両家の権威、威厳を表すわかりやすい表現だったのかも知れない。
この含みは一見、僕たちをそれこそおとぎの王国へさまよい込んだ子どもにしてしまう魔力と共に、
歴史に潜む人の権威的欲求を満たす一つのフォルムとしての巨大建造物≒甘いケーキという“気付き”に他ならない。
作品のベースの材は発泡スチロール。
最初はこの軽みにいぶかしんだりしたが、
よく考えてみるとケーキも発泡スチロールも製造工程は似てる(ような気がする)
入刀の部分だけ本物で残り98%(この数字は勿論定かではない)はニセモノと考えると、これもまた…
それにしても…妖しいカワイさだ。
※以後4名が続きます。
文責:den 編集:京都で遊ぼうART