「 中比良 真子 展 ~ Transparent room ~ 」
2013. 10/11 → 10/23 【 gallery near 】
僕が得る情報は例えば小さな一枚のDMであったり、
あるいはギャラリーのサイトにアップされた極端に小さい画像です。
その画像はもしかしたら作品の一部であったり、
作品とは似ても似つかぬビジュアルであったりもします。
中比良さんの“情報”は僕のアタマの中で想像され、あるいは増幅され、
この目で見ようと行動させます。
それは複雑なイメージを追うものではなくて、
その明快さを検証させようとする欲望に他なりません。
gallery nearは中々来られないギャラリーでいつも見逃してばかりいます。
前回も前々回も、その前もそうだった記憶がありますが、
どこかで溜まった借りを返したいと思ういやらしい気持ちも無くはありません。
そんな中で知った中比良さんの絵は吸い込まれるようにてして僕を動かします。
やはり思ったとおりの明快さでした。
他の作家さんでも同じ感覚をおぼえた気がします。
作家が一貫した視座を持って美術するのは、
言うは易しで、問題はその“貫いている感性”によるものだと思います。
いくつかのシリーズに通低している中比良さんの捉え方は
常に対象とされる“光景”の抽出に見えます。
感覚的に抽出される光景は、その状況を、シーンを決して見る側におもねない、
つまり景色を描くということの「頼らざる得ないどうしようもない」見せ方について、
中比良さんはシリーズを通してはっきりと自論としての絵を展開しているのです。
自論と言いましたが、これは決してロジカルなものではなく、
絵描きである中比良さんの「見え方と見せ方」のスタンスです。
場面や環境の中から、一つの要素をつまみ出して再構築してみせることは
誰でもやることですが、中比良さんはそこに深い「奥行き」を示します。
通勤電車の中から毎日見る同じ光景の中に一瞬の動体視力を働かせて、
建物の窓の向こうに見える景色を感知するなどということを
絵描きさんはこういう風に具体化するんだなぁと妙に感心したりします。
近景と遠景のはざまにある空間は確かに黒く塗られているのですが、
明らかに空間としてそこに現存するわけです。
中比良さんの言う「はかない空間」です。
その向こうに見える景色は、景色として一連の流れ、
繋がりの中に当たり前にあるはずなのに、
こうした構成と見事なコントラストで、
彼方(かなた)と此方(こなた)にそれぞれの世界をつくるのです。
一目でわかるというのは、まるでアタマからつま先まで
何かがストンと落ちたようでとても気持ちのよいものです。
わかった“つもり”でもいいと思います。
要はストンと落ちて、しみじみと感じ入る…
個人的でなんですが、僕の大好きな展開です。
別の部屋では「On the way home」というシリーズが展示されています。
どれも大きな作品ではありませんが、
小さいからこそ、窓の向こうの生活や慣習、理由、つぶやき、ささやきが
伺えるような、密やかな世界が凝縮されています。
今居る自分と外界との疎であり、密である空気、空間を
こんなにもセンスよく伝えることのできる中比良さんとは
実はお会いしたことがありませんが、いつか、お話したいと思ってます。
ファイルを拝見させていただき、それぞれのシリーズの
それぞれの抜けの良さに感服、感服…
しっかり見る側に提示できる“芯のしっかりした”絵を描かれる、
こういう方がどんどん出てきて欲しいと思います。
では中比良さんの作品、過去のインタビューなどについては↓
http://andart.jp/artist/nakahira_masako/
ギャラリーサイトは↓
http://blow-works.com/gallery/press/131011_1023.html