堀 健さんの向かっていく方向に興味津々。
有機的な動きへ置換させることで、ユーモラスで“開かれた遊び”を作品に反映させてこられた感じが印象深かったのですが、今回はちょっと違います。
僕は見た瞬間(と言ってもスイッチを入れて動いた瞬間ですが…)パッとアタマん中にはじけました。
物事が動く、あるいは意志が働く、運動するといった最初のきっかけは確かに小さいのですが、それが共鳴する時に大きな振れとして反映されるということでした。
果たしてこの長さのバーが動きそのもののエネルギーをどこまで担保できるかは、年中動いているわけではないことでわかりますが、動きの根源である「ささやかな危惧」という思いは以後、さまざまなリスク(市井の人々にとっての!)についてそれこそ危機的であるということの感情をバーの端に感じたりして、またもや勝手にシッタカぶって、高ぶっている次第なのです。
堀さんの意図とは充分にかけ離れているであろうことも配慮しながら、ギャラリストとも色々なお話ができました。一点ものならではの、僕にとっては直球な作品でした。ぜひ!
※動きとしては中央の二本の垂直に伸びるバーが上下する至ってシンプルなギミックです。その何度かは、しかし端に至ると大きな動きとなる、的な僕の勝手な解釈でござる。
GALLERY SUZUKI
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