テレビでは、いまだ癒えることのないあの出来事、東北大震災の傷跡を放映している。そういう番組を見るたびに、心が打たれる。
当時の状況、津波が全て飲み込んでいく様子は、テレビの生放送で見て唖然とした。 いまテレビを見て感じるのは、そうした地震、津波への恐怖ももちろんだが、それ以上に、深く傷つきながらも今を懸命に生きている人々の姿への感動である。
この展覧会は、まさにそうした状況、東日本大震災で日本中が大きな衝撃を受けた今を踏まえた上での、人間の「生きる」を題材として催された。
全部で十四の作品に込められた想いは各々であろうが、どの作品にも共通して感じられたのは、どこか儚く、静かで、もの悲しい雰囲気だった。決して、明るい未来のための幸せな生活、といったものはなく、ここでも大震災によって受けた傷が相当に深かったこと、まだ治癒していないことが窺える。
ただし、陰鬱で暗い、という印象は受けない。それは、どの作品にも今展覧会の共通認識である「生きる」意志が、ほのかにも力強く宿っているからであろう。それは、暗闇の中でこそ一条の光が際立つように。
また、あれだけの自然災害に見舞われながらも、自然を美しいと感じるのは、何も完全な自然崇拝の心からではない。
「道端にある、草に苔」や「神様は ― 人が祈っている瞬間 ― 木蓮のまっすぐ咲く姿にその気配を感じる」ように、人間の営みの中にこそ、より強く感じられる。 それはつまり、人間も自然の一部であり、その中で「生かされていることを 実感するのである」。
この、当たり前のようで「当たり前でない」ことを特に鋭敏に感じ取った芸術家たちの、小さく温かい展覧会だった。