東京都美術館で開催された大規模な「若冲展」もあってか、ここのところ若冲ブームが再燃しているのを感じます。
TVでも、「日曜美術館」、「美の巨人たち」そして「ぶらぶら美術館博物館」(5/21)などなども取り上げており、それらの中で「石峰寺」も映像でもよく見るようになりました。最近もNHKBSで貫地谷しほりさんが出かけておられました。
若冲に関連した特別展も多く、また「若冲がとても好き!」と言う方も多く、若冲に詳しい方もとても多いはずで、ここでは、石峰寺で私が肌で感じた事を綴ります。
伏見稲荷のすぐお隣、深草にある石峰寺へ、それも葵祭の5月15日に行ってきました。しかし、深草の駅を降りても、石峰寺へ向かう人は私だけでした。
よく目にしていた赤い門が見えてきて、やっとやっと念願かなってやってきたという思いでした。
「生誕三百年石峰寺伊藤若冲顕彰会特別展」(4/26-5/5)が禅寺一斉公開の会期中はやっているものと勘違いしておりました。
拝観料は300円也。
若冲のお墓もあるというので、まずはお墓にお参りし、若冲さんにご挨拶しました。
お墓の前は眺望が開けておりました。
さぁ、愈々裏山の羅漢さんに会いに階段を上っていきました。ここにももう一つ赤い門がありました。まるで此岸との結界の様です。
お昼時についたせいか?私が羅漢さんを巡っている間は、だーれも居なくて、甲高い鳥の鳴き声と、風にそよぐ笹の音が聴こえるだけでした。
天明の大火で何もかもなくしてしまった若冲は、ここ石峰寺の古庵に住むことになったそうです。画を描いて米一斗と換え、それで石を買って、それに自分で下絵を描いた羅漢を石工に彫らせたそうです。元は1000体以上も石像があったそうですから、若冲は命の続く限りこれを続けていたのでしょう。
並ぶ?裏山にそこここと思うがまま置かれた羅漢さんたちのお顔は、かの『動植綵絵』の様な濃彩濃密な若冲ではなく、ちょっとお茶目で、柔らかで、優しさに満ちたお顔でした。悲しそうなお顔は見当たらず、みんな微笑んでいるようでした。長年の風雨で苔むし、角も丸くなっていたので、そんな印象を持ったのかもしれません。
現存する石像は500体あまり、(※パンフレットとHPで数が違っていましたので、真ん中をとって500体あまりとしました。)あとの500体は風雨に晒されて、裏山の土となったようです。最晩年の若冲は、何を思いながら、ここで絵を描き、羅漢さんを描き、過ごしていたのでしょうか。
長い人生で見送った多くの人を弔いながら、その成仏も願って、心を込めて1対1体置いていったのではないでしょうか。
そこは、此岸なのか彼岸なのか、私の大好きな「乗輿舟」の様に優しく静かな空間でした。
【ご注意】
・これからの季節、何せ竹藪ですから、やぶ蚊の襲撃があると思われます。虫よけ持参がよろしいかと。(受付で虫よけの団扇は貸してくださいます。)
・羅漢さんたちの、撮影及びスケッチは厳禁です。(大きな注意書きがあります)
帰路でパシャと写メを撮る音を耳にしました。
お寺の方は近くにはおいでになりませんが、ご注意下さい。