2017年12月に、京都国立近代美術館の新たな取り組み、
「感覚をひらく―新たな美術鑑賞プログラム創造推進事業(注①)」の第2回フォーラムに参加してきました。(注②)
点字にもなっているこのチラシがとっても素敵ですね。
見える人と見えない人が同じ場所で、見えない人は見えないという立場で、見える人は見えているという事実も含めて、一緒に同じ作品を鑑賞体験し、その感想を語り合うフォーラムでした。これまでも兵庫県立美術館での「手で見る造形」などの経験はありましたが、それは見える人が見えない状態で作品を体験するという面が多かったように思います。兵庫県美での取り組みにも、「県美プレミアム」の動線の流れで、積極的に体験に参加した方ではありませんでした。
コーディネーターは、「無視覚流鑑賞」を実践され、「ユニバーサル・ミュージアム」の実践的研究に取り組んでおられる国立民族学博物館(みんぱく)准教授広瀬浩二郎先生でした。
”みんぱく”では、確かオープン当初から展示作品を触ってOKの博物館であった記憶があります。このフォーラムを前に予習がてら”みんぱく”も訪問した次第です。
2名のアーティストの作品をみんなで鑑賞しました。
お一人は、京都市立芸術大学油画専攻教授石原友明さん(注③)ともうお一人は、鈴木康広さん(注④)でした。鈴木康広さんは、私が個人的に大好きな絵本『ぼくのにゃんた』(注⑤)の生みの親、それ以来すっかりファンになりTwitterもフォローし、現在箱根彫刻の森美術館で開催中の『始まりの庭』(注⑥)も気になっていました。正直、私は、鈴木さんご本人に会えるならって参加したところも大いにありました。
石原さんの作品は、点字を用いた作品が額に入っていました。そう触ると固い作品です。最初の作品は、額ごとプラスチックの箱に覆われ作品に手が届かないちょっと意地悪な作品でした。見えない方が鑑賞します。初めはそろそろと表面を触り、そして手を伸ばして周辺を追って、全体の形を確認されているようでした。石原さんの2番目と3番目の作品には点字が表記されていて、見えない方にはそれが読めるのです。次に見える人が、見てそして触って鑑賞します。しかし、見える人には点字があることは分かりますが、その点字が何を意味しているのか分からないもどかしさが残ります。キャプションを覗いても《Untitled》となっており、もやもやは解消しません。
鈴木さんの作品は、鈴木さんの代表作《空気の人》、6mもある大きな大きな無色透明、そして柔らかな触感の作品でした。
まずは、広瀬先生が意気込み満々な感じで、体全体を使って《空気の人》を鑑賞されました。グイグイ行かれる広瀬先生におぉ~となりながら、それに続いて見えない方も、若い盲学校の女子学生さんたちはきゃきゃと楽しそうなのです。見える人には目からの情報はありましたが、見えない方には、鈴木さんの作品はどうも大きいらしいという情報だけだったと思います。大きいといってもどれほど大きいのかわかりません。みなさん、空気が入ってぼにょぼにょしている感覚を楽しんだり、空気を入れるところから音が出る感じを楽しんだり、《空気の人》の外周を回り、作品の下に手を回したり、縫い目を確かめ、一回りしてようやっと手を頭の下に置いて上を向いて寝ている《空気の人》のイメージが組み立てられ、ご自身でその恰好をなさる方もいます。とっても楽しそうでした。見えない人は、手からの情報で作品のイメージを組み立てていかれることになります。
続いて見える人が鑑賞、見える人は見えていることで、見えていないものがあるように感じました。私自身もいつも展覧会へ出かけては見えていない、見ていない自分に気づかされていました。大きさが分かっている分、ちょっと目の前の作家さんへの遠慮もあってグイグイとは楽しめません。そっと撫でている感じです。
10人の協力者の方の鑑賞体験のディスカッションがありました。見えている人は目の前で見えている事に引っ張られて、手で感じることは少し鈍くなっているかもしれません。
石原さんの《Untitled》3作品に書かれた点字は
『かたち。いろ。うごき。おくゆき。せかい。わたし。』
『いちばんみにくいものがいちばんみたいもの。』
『わたしをみて!わたしをさわって!』
それぞれに意味深な点字です。
私はこの種明かしの前に盲学校高等部の女子生徒さんにこっそり教えて頂きました。石原さんは、これまでも点字の作品をたくさん発表されてきています。見えない方にとっての拠り所である点字を作品にすることに抵抗のある方もいらっしゃる一方で、点字を神聖化するのではなく、それもアート表現の一つと考えておられる方もいらっしゃいました。
鈴木さんの作品が「生きているようだった」と感じられた方がいらっしゃいました。人の肌の様に弾力がある触感で、《空気の人》を膨らませ続けるために空気を入れている音がまるで息をしているようだったのでしょうか。とても素敵な感想でした。見えている人には、《空気の人》の縫い目は縫い目でしかないのですが、見えていない人にとっては、「あれは何?どうしてあのように接いであるのか」?との指摘もあました。《空気の人》にあったフックに気づかれた方が質問されました「あれは何のためのフックなのか?」と。イギリスでは天井から吊るして展示されその時のフックだそうです。「フック」と見えていてもそのままスルーしてしまっていた私ですが、そうだったのか!と、はっとしました。目に写っていてもそれは何?っと、疑問に思わない自分がいました。
直に鑑賞者とのディスカッションを通して、アーティストの方の次の作品に何かしら変化があるかもしれません。《空気の人》の表面にブツブツがあったり、パーツがもっと分かれて、縫い目がもっと複雑になったりして《空気の人》の進化系が出来上がっていると面白いかもしれません。そうしてこれからの作品も触って感じる事が出来る作品で、今回参加した鑑賞者が前回とここが違っているねと一緒に話し合える場があるといいなぁと思いました。
【配布された資料】
広瀬先生の「無視覚流鑑賞の極意六箇条」です。
美術館や博物館では静かに見なくてもいいよとのこと。今晩のおかずやご近所話は困りますが、作品に関する感想などを共有しようということだと受け止めています。あまりに静かな展示室は、鑑賞する方も緊張しますね。小さなお子さんと一緒に作品を見ながらお話してもいいはずです。お子さんが退屈してぐずったらお休みしてください。小さなお子さんも見ていないようでもちゃんと見ています。
協力者の京都府視覚障害者協会の小島さんがこのような機会は本当に少ないとお話しされました。ユニバーサルな鑑賞会の機会増えることを今回参加して初めて思った次第です。
京都国立近代美術館の代表的な所蔵品、『キュレトリアル・スタディズ12: 泉/Fountain 1917-2017』の主役《泉》も触ってもいいとのことでした。これを触る機会はなかなかないですから。
視覚に頼らず、五感を駆使したアート体験、2月にもワークショップ『美術館ってどんな音-つくって鳴らそう建築楽器』が開催されます。
お子さんと参加なさってはいかがでしょう。詳しくは⇒
http://www.momak.go.jp/senses/workshop01.html
【注】
⦁ 京都国立近代美術館>感覚をひらく―新たな美術鑑賞プログラム創造推進事業
⦁ 第2回フォーラム 「伝える・感じる・考える――制作者と鑑賞者の対話」
⦁ 京都市立芸術大学>石原友明:http://www.kcua.ac.jp/professors/ishihara-tomoaki/
⦁ 鈴木康広HP:http://www.mabataki.com/
⦁ 『ぼくのにゃんた』http://www.bronze.co.jp/books/post-130/
⦁ 彫刻の森美術館>始まりの庭:
http://www.hakone-oam.or.jp/specials/2017/spontaneousgarden/
⦁ 鈴木康広さんTwitter:https://twitter.com/mabataku