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アートを生み出すひとたちのことば ~KYOTO CREATORS INTERVIEW~

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渡邊佳織(わたなべ・かおり)さん(日本画家)

June 20 Tue, 2017

子供のころは、大人の世界への憧れや想像をマンガにしていました。

―― 絵を描き始めたのはいつごろからでしたか?

元々絵は好きで、物心ついたころから絵は描いていたと思います。小中学生のころは、当時流行っていたマンガのキャラクターを真似して描いたりしていましたね。自分なりに物語を考えたりもして、大学ノートにひたすら描いていました。

watanabekaori08.JPGかといってマンガばかり読んでいたわけではなくて、影響を受けていたのは大人が見るメロドラマでした。不倫や浮気を絡めた愛憎劇とか。特に、たまに休日のお昼に再放送しているような、90年代くらいからもう少し前の古い作品が好きでしたね。今に比べると昔の作品って表現規制が緩かったので、結構過激なシーンがあったんですが、それが子供心にとても刺激的だったんです。子供の自分が持っていないものへの憧れとか、大人の成熟した世界を垣間見るドキドキ感がありました。将来、自分もこうなるのだろうか、みたいに想像を巡らせたりしていましたね。恐ろしくも面白い、ホラー映画を見ている感覚に近いかもしれません。

そういう大人の世界のイメージや憧れに、ファンタジー要素を加えた感じのお話を妄想してマンガにしていました。基本はメロドラマ風の日常生活の中に突然魔法が登場してバトルものになるようなこともありましたね(笑)

でも私、「思い浮かんだストーリーに絵をつける」ことはできても、「ストーリーを完結させる」ということが苦手で。好きなキャラクターや描きたい場面だけを抜き出して描いていたので、話がつながらなくて、いつまでもオチがつけられなかったんです。とにかく自由に頭の中に思い浮かんだ妄想をひたすら自動書記みたいに描いている感じで。話を終わらせる、という発想がなかった。一時はマンガ家になりたいと思っていたこともあるんですが、これは向かないなぁ、と思って諦めました。

代わりに、ストーリー全てを絵にするのが無理なら、思い浮かんだところだけを一枚ずつ描けばいいんじゃないかと思って。つまり挿絵方式にすればいい、と考えるようになりました。それで絵を学べる美術科のある高校に進んだんです。

――なるほど、逆転の発想ですね。その当時から画家になろう、とは考えていらっしゃったのですか?

いえ、まだそのときは将来のことは何も考えていなくて。それどころか、絵を描いて生活していくことが全く思いつかなかったですね。なんとなく、「この先もずっと絵を描いていけたらいいなぁ」とぼんやりと思っていたくらいでした。私、基本的に面倒くさがりな性分なので…絵を描くこと自体は好きなんですけど、その準備段階のことまでなかなか頭がいってなかったんです。
絵を仕事にすることを意識するようになったのは、大学に入ってからです。大学でお会いした先生や卒業生の作家さんからお話を聞いて、アーティストという生き方に具体的なイメージができるようになったので、やっと職業として考えられるようになりました。

――渡邊さんが進学された大学は京都の美術大学でしたね。地元の静岡ではなく京都の学校に進まれたのには何か理由があったのですか?

ずばり、京都に住みたかったからです!
京都には一度修学旅行で来る機会があったのですが、街の空気がすごく気に入っていたんです。それともうひとつ、高校時代に京都市美術館で見たコレクション展の影響がとても大きかったですね。高校の先生に勧められて行った展覧会だったのですが、そこで見た中村大三郎とか、梶原緋佐子、上村松園の絵がとても好きになりました。京都画壇、関西の画家の作品が好きなんですよね、雰囲気というか空気感が。それで「この絵の生まれた土地に住みたい」と思うようになって。大学は京都の学校に行くと決めていたんです。

京都って、毎月何かしらお祭りやイベント、催しがあるじゃないですか。そこも好きなんですよね。暮らしていて日々なにかがあるので飽きないんです。そういうところもあって、京都に住んでよかったなと思っています。
 

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スイートスポット|2017

 

自分の描きたいものと日本画が、文字通り「肌に合っていた」んだと思います。

―― 渡邊さんが日本画を始められたきっかけは何だったのでしょうか。

watanabekaori12.JPG実は私、日本画というジャンル自体、高校まで知らなかったんですよ。高校1年生のとき、授業のひとつで日本画を教えてもらったのが最初でした。それまでは油絵とかイラストしか見たことがなかったので、日本画はとても新鮮に感じた記憶があります。日本画の艶がなく光を吸収したように発色する風合いなどは油絵などにはないものですから。それでどうやって描いているのだろう、と興味を持って、日本画を教えている先生によく聞きに行っていました。

その後、たまたま地元の静岡に巡回してきていた院展や、東京の山種美術館のコレクション展を鑑賞しました。先ほどお話した京都市美術館のコレクション展を見に行ったのもこの頃で、すごく感銘を受けました。そのとき見た絵が、院展で見たものとは絵の具の色合いも雰囲気も違って見えて。あとで先生にそれが絹の布地に絵を描く「絹本着色」という技法だと教えてもらいました。それまでは絵は紙に描くものと思っていたので、紙以外にも描けるんだ!と驚いた記憶があります。

絹本着色だと、紙よりも中間色、色のボカシとかグラデーションの発色がとてもきれいに出るんです。特に人物の肌の色のふわっとした感じをうまく描きたいので、その点、絹本着色はとても相性が良かった。文字通り、私の描きたいものと日本画が、すごく“肌に合った”んだなあ、と思っています。高校のときの卒業制作で描いた作品は絹本を使いましたし、今の作品も絹本が中心です。

 

―― 人物は渡邊さんのメインモチーフですね。

もともと絵を描き始めたのがマンガのキャラクターからでしたからね。特に女性や子供は絵になりやすいのでつい描いてしまうんです。女性や子供って体全体の形が丸みを帯びていてやわらかさがありますし、自分なりの美人画を描きたかったということもあります。男性は私が描くとどうしても角がとれたような印象になってしまいがちなので今までは避けていたのですが、最近はそれもどうかなと思って、挑戦していきたいなと思っています。描いたことがないわけではなくて、昔の肖像画の模写などではよく描いているんですけどね。

watanabekaori10.JPG模写は高校の日本画の授業で一度やったのが最初で、その後大学の3回生から本格的に始めました。模写や絵の素材研究などを行う古画研究コースに入ったのですが、そこでは分析器を使って絵具の成分調査や、文化財の調査保存方法、古典絵画の表現研究なども学びました。模写もその一環でしたね。大学の卒業制作では『伝源頼朝像』(神護寺蔵)の模写をしたのですが、その際に裏彩色などの表現技法やどこに何色の絵具を使っているかをしっかり調査しました。今も文化財修復の仕事は続けていて、最近だとお寺の天井画制作や、仏像の彩色修復のお手伝いをさせて頂いています。

―― 文化財修復の経験は今の作品に生きている部分はありますか。

文化財修復を通じて学んだ古典絵画の技法の知識や経験が、今の作品の基礎になっていると思います。仕事のときは仕事に集中してしまうので、ゆっくり鑑賞するという感じにはならないのですが、造形の仕方などは自分だけでは思いつかない部分も多いので学ぶことが多いです。私の中で自分の作品作りと修復作業などの仕事は半々。描くものは違うけれど、明確に分かれたものではなくてボーダーレスなんです。仕事で触れたものや展覧会などで見た作品のことを思い出して、そこから得たものを自作に還元している感じですね。

watanabekaori11.JPGそれに、絵のアイディアを思いつくための発想力とか観察眼はそのときの精神状態にも左右されるものですし、仕事と自分の作品を両方手がけることで、その辺のバランスを取っている気がします。どんな風に仕上げれば美しいのか、といったことは色々クリエイティブなものを見て得て感覚を磨くことが大事だと思うので、それを常に研ぎ澄ませることを心がけて日々取り組んでいます。

日本画って、後から絵の具を塗り重ねて修正することが難しいので、大きな路線変更がきかないんです。だからこそ描くまでの下準備は納得いくまでみっちりつきつめて考えます。早くて一月、長くて半年かかることもある。予期せず感情に突き動かされて筆を取ったこともあるのですが、基本的にすぐ描き始められるものではないので、アイディアからイメージを膨らませていく過程は大事にしていきたいと思っています。
 

どんな小さなことも、ポジティブなことでもネガティブなもことでも。
森羅万象、生活のすべてが絵を描くことに結びついていると思います。

―― ちょうど絵のアイディアのお話が出ましたが、渡邊さんはどのようなところから思いつくことが多いのですか。

それはもう、森羅万象です。生活の中で触れたもの、出会ったものすべてが絵を描くということに結びついていると思うので。常に、何か面白いものはないか、どんな小さなことでも拾えるように、色々な方面にアンテナを張るようにしています。それで引っかかったものは、ポジティブなものでもネガティブなものでも、何でもストックする。自分が嫌だな、と感じたものであっても「それはどうして嫌だと思ったのか」というところから絵が生まれたりもしますから。それこそ、テレビでニュースを見ていてたまたま見かけた暗い話題とか、バラエティ番組で芸人さんが発した何気ない一言とか。そこから発展していくことも多いです。

一番多いのは、好きな映画を見ているときですね。私、映画が大好きで。ジャンルはアクションからホラーまで色々なんですが、絵のイメージやモチーフ選びは好きな映画から影響を受けている部分はかなりあると思います。とにかくジャンル問わずいろんなものを見て、感じて、吸収して、自分の中で発展させていきたいですね。
 

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開け心|2007

 

―― モチーフといえば、渡邊さんの作品には人物と一緒によく足のついた折鶴が登場していますね。こちらは何かきっかけはあったのですか?

折鶴を描いたのは2007年くらいからなんですが、折紙のモチーフはそれよりも前、2006年ごろから描き始めていました。折紙って、それ自体は四角い紙ですし、どちらかというとシャープなイメージなのですが、これを折ると生き物の形になって、印象がやわらかくなる。無機物が有機物に、モノがイキモノになる、とても不思議な存在だと思うんです。
普通の折鶴じゃなくて足つきの鶴にしているのも、その方が生き物っぽく見える気がするから。足がある方が今にも動き出しそうじゃないですか。しかもガニ股だし。そういうところも何だか生き物っぽいでしょう。

そんな折紙と人間を組み合わせると、物が生き物の形をとったものと元々生き物であるものが並ぶ。生き物っぽいモノと生き物、人外と人間、その境界が曖昧になる感じが出て好きなんです。無機性と有機性、両方を絶妙なバランスで持っている折紙だからこそ描ける面白さだと思います。
 

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秘密のデバイス|2012



―― 渡邊さんは色も特に赤と白をメインに使った作品を多く描かれていらっしゃいますが、こちらについては如何でしょうか。

赤色は、生き物の血の色や、火、高温のイメージです。地球上のほとんどの生き物の血は赤ですし、外国においても赤色は激しさとか情熱とか、大きな情動をイメージさせる色とされているところが多いようなので。誰もが自分の内側に持っている、血や大きな情動を赤に象徴させています。

白は、何かに染まっていない無垢な感じのイメージでした。特に白い服って、神社の宮司さんとか、病院のお医者さんや看護師さんが着ていることが多い印象がありますし、クールで無菌室的な感じを受けるので、そんな雰囲気を描きたかった。
あと、細かい模様を描くのにはちょっと抵抗があって…着物の模様って、何かしら意味があったりするじゃないですか。特に能衣装とかは模様で役柄を示したりしますし。そこを考えると、模様はとても組み合わせ方が難しいし、どういうものがいいのか思いつかなかったんですよね。


―― でも最近の作品では、舞妓さんをモチーフにしたものや着物姿の女性像なども発表されていらっしゃいますね。

 

watanabekaori09.JPG舞妓さんや芸妓さんにモデルになっていただいてのスケッチは、ここ数年ずっと続けていたんです。そのストックもだいぶ溜まってきていたので、どこかで形にしなければとは思っていました。

そんなときに、仕事で神像の復元模写に携わる機会がありまして。これが頭から足の先までびっしり彩色されていて…それこそ装束の隅々にまで模様が描かれているんですよね。なので、これの修復作業では模様をひたすら描きまくることになりました。すごく大変な作業でしたが、やっているうちに段々、着物の柄の組み合わせ方やそこに込められた意味などもわかるようになっていったんです。何より「ああ、模様って綺麗だなぁ」と思うようになって、自分の作品でも着物に模様を描くことに抵抗がなくなったんですよね。それで最近の作品は着物姿の絵が多くなったと思います。

 

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理論のドレス|2016|Photo: Hajime Nishide


―― 作品制作と仕事を平行して続けられていたからこその心境の変化があったのですね。
作品制作において、他に心がけられていることなどはおありですか?


作品にのめり込みすぎないように、と思っています。描いたものにのめり込み過ぎると、独りよがりになってしまう気がするんですよね。もちろん、作者の思いと作品が一体化したような作品って、描く人はすごいエネルギーの持ち主だと思うし、私も見るのは好きなんです。でも自分ではそれができない。一定のところまでいくと自分から引いてしまったり、心の中で議論が始まってしまうんです。冷静な自分が顔を出すというか。あくまで、どこかに客観的な視点を残しておきたい、作品との間にいい距離感を保ちたいと思うんです。
それに、作者で作品全てを埋めてしまうと、見る人はその作品にちょっと入り込みにくくなる気がして。見る人が自分の視点や感情を入れられる、そういう余地を残しておきたいなと思っています。
 

 

伝えたいこと、描きたいこと。そんな要点を凝縮した絵を描いていきたい。

―― 6月からは京都では久々の大きな規模の個展(「大いなる幻影」京都髙島屋)を予定されていらっしゃいますが、こちらはどのような展覧会を考えていらっしゃいますか。
 

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注連縄切り(しめなわきり)|2017


今回の展覧会は「大いなる幻影」というタイトルなんですが、開催時期はちょうど祇園祭が近いんですよね。なので、これに合わせて祇園祭をモチーフにした作品を出そうと思っています。
ちょうど昨年、祇園祭を取材したんですが、祇園祭って昔から続いているしきたりがたくさんあって、独特の空気がある。お祭り特有のいつもと違う非日常性があるんですよね。例えば、山鉾に乗るお稚児さんは、7月13日の「社参の儀」から17日の「お位返し」*1 まで、地面を足につけてはいけないという決まりがあるので、車に乗り降りするときも強力(ごうりき)という男の人たちがその子を抱え上げて移動したりするんです。あと、山鉾巡行前にお稚児さんは鉾の上で注連縄切をしますが、そのときの舞(太平の舞)だって、まず普段からするものではないでしょう。お祭りにはそういう、非日常性、非現実性がある。一種のファンタジー世界ですよね。そういうお祭りならではの普段と違う空気を絵に描き出せたら、と思っています。

*1)山鉾の稚児が八坂神社に詣で、神の使いとしての位を与えられる儀式。その後お位返しにて位を神社に返還し、稚児としての役目を終える。
 

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プライベート・ヒロイン|2016|Photo: Hajime Nishide


あとは、昨年発表した『プライベート・ヒロイン」(※堂島リバーアワード2016受賞作品)』という作品があります。こちらは昔話の「羽衣伝説」、天女が人間の男に羽衣を奪われたことで天に帰ることができなくなり、男の妻になるというお話を題材にしています。結末は天女が羽衣を取り返して天に帰ったり、そのまま男と暮らしていたりとさまざまですが、意に沿わずにある場所に置かれるという展開は一緒です。そこからイメージを膨らませて描いたものですが、今回の展覧会にあたって、こちらの続きを描いてみたいと思っています。前の作品ではソファの上に立っていた天女が、ソファの外に出て行ったらどうなったのか、自分なりにこの物語の顛末を描きたいですね。

―― 絵を通して語る物語ですね。どのようなストーリーになるか楽しみです。

まだまだ準備段階なので多くはお話できないのですが、いい展示にできたらいいなと思っています。いろんな方にご覧いただけたらうれしいです。

―― 展覧会のほかに、今後、新たに取り組んでみたいことはおありですか。

特別ガラッと違うことをしたい、というわけではないのですが、これからも自分の表現の仕方については追求していきたいなと思っています。伝えたいこと、描きたいこと、そういう要点をぎゅっと凝縮した絵を描いていけたらいいですね。

watanabekaori07.JPGあと、個人的にちょっとやってみたいこととしては、着物を作ってみたいと思っています。ここ10年ほど日常的に和服も着て生活しているのですが、折角なら今度は自分で作ってみたい。普段はなかなか店を探しても自分で欲しい!と思えるものに行き当たらなくて、代わりに自分の絵のなかで自分の着たい着物を描いてみたりしていたんです。でも、最近機会があって帯作りに挑戦してみたら、これが楽しくて。実は今日つけてきている帯がそうなんですよ。これは大好きなデビッド・リンチの映画のモチーフからイメージしたんです。
こういう、好きな映画のイメージや、自分で考えたデザインの着物を実際に作って、それを描いた絵と一緒に並べて展示したり、なんてことができたらいいなと思っています。

―― 夢が広がりますね。渡邉さんの新しいチャレンジが実現する日を楽しみにしています!

 

 


 

Creator's Profile:渡邊佳織

1984年 静岡県生まれ
2007年 京都嵯峨芸術大学卒業
2009年 京都嵯峨芸術大学大学院芸術研究科修了

作家ホームページ:https://watanabekaori.tumblr.com/
 

■ 主な個展

2007年  「諸諸始末総覧」石田大成社 ICB(京都)
2008年  「祈り紙 -inOrigami-」イムラアートギャラリー(京都)
2011年  「朝のグッドニュース」イムラアートギャラリー(京都)
2012年  「朝のグッドニュース」イムラアートギャラリー(東京)
2015年  「冬よ、来い」日本橋髙島屋(東京)、大阪髙島屋(大阪)、京都髙島屋(京都)
2016年  「プライベート・ヒロイン」イムラアートギャラリー(京都)

■ 主なグループ展

2011年 「まなざしの哲学−京都嵯峨芸術大学の40年」京都市美術館別館(京都)
      「ZIPANGU展−31人の気鋭作家が切り拓く、現代日本のアートシーン。」日本橋髙島屋(東京)、大阪髙島屋(大阪)、京都髙島屋(京都)
      「ジパング展関連企画 -上田順平・染谷聡・渡邊佳織 グループ展-」 イムラアートギャラリー(東京・京都)
2012年 「タカシマヤのばらアートセッション出品作家作品展」 新宿髙島屋(東京)
      「ジパング展-沸騰する日本の現代アート」 新潟県立万代島美術館(新潟)
2013年 「京都美術ビエンナーレ」 京都文化博物館(京都)
      「Yamato Dynamics」MIZUMA GALLERY(ギルマンバラックス・シンガポール)
      「ジパング展 −沸騰する日本の現代アート」高崎市美術館(群馬)、八戸市美術館(青森)、秋田県立近代美術館(秋田)
2014年 「Japon」 Abbaye Saint Andre, Meymac(フランス)
2016年 「琳派400年記念 新鋭選抜展」 京都文化博物館(京都)
      「現代日本画の挑戦」中津万象園・丸亀美術館(京都)
2017年 「ART STAGE SINGAPORE 2017」(シンガポール)
      「アートフェア東京2017」(東京)
※その他展覧会多数
 

■ 受賞

2005年 「第2回サムホールワールド展」入選
2009年 「平成20年度京都嵯峨芸術大学卒業制作展」卒業生特別賞
2016年 「堂島リバーアワード2016」特別賞

 


 

関連展覧会

2017年6月28日(水)~7月4日(火) 個展「大いなる幻影」(髙島屋京都店 美術画廊)

※関連展覧会情報は取材・記事掲載時のものとなります。


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京都にゆかりのある今注目のアーティストさん・クリエイターさんに毎回お話をうかがっていくインタビュー連載です。京都から生まれた作り手の生の声をぜひご覧ください。 (協力:imura art gallery)

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