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  4. 第3回 安倍晴明のルーツも感じる、陰陽道と古天文学資料

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大将軍八神社

陰陽道・古天文学資料

方徳殿の二階では、大将軍八神社の歴史を伝える資料や、神社とは切っても切れない関係にある、陰陽道、古天文学にまつわる歴史資料の数々が展示されています。
どれも他ではなかなか見ることのできない、ユニークで貴重な資料ばかりです。
特に陰陽道・古天文学関連の資料は、あの陰陽師・安倍晴明にも繋がるもの(!)京都府の指定文化財になっています。

2階展示室。右手前はお祭りの際に宮司さんが使っていた神馬用の鞍。漆塗り、蒔絵の施された立派なものです。


天球儀と資料が伝える、リアルな陰陽師の世界。

日本最古クラスの天球儀



二階の展示品のなかで、特に目を引くもののひとつが、天球儀。
天球儀とは、天空を地球儀のように球面に見立てて、その表面に天空上の星、星座、赤道、両極などを描いたもの。
ちょうど、球の中心から見た空の姿を球に書き表した形になります(そのため、本来の星の配置とは左右が逆転した状態になっています)

大将軍八神社にある天球儀は、江戸時代につくられたもので、現在日本に残る天球儀では最も古いもののひとつです。(最も古いものは伊勢神宮に収められている1673年製のものだそうですが、ほぼ同時期の作だそうです)
木製で、球体の上に星が小さな丸い点で表されています。星座は中国から伝えられた天文学に基づくものに作者の春海が新設したものが加えられており、星の数は全部で1763あるそうです。

作者は、江戸時代に活躍した天文学者、渋川春海(しぶかわ・しゅんかい)。
最近では本屋大賞を受賞した沖方汀さんのベストセラー小説『天地明察』の主人公としても知られています。
彼の最もよく知られた功績は、「貞享暦」という暦を作ったこと。江戸時代の中ごろまで、日本では奈良時代に中国・唐からもたらされた暦が使われていました。しかし中国と日本では場所が離れていることもあって、そのまま使っているとかなりの誤差が生じていました。そこで春海はその原因を研究、当時西洋から伝えられたばかりの世界地図(マテオ・リッチのもの)を確認しながら中国と京都間の距離を計算し、地道に天体観測を重ね、日本に合った国産の暦を作成しました。これは日本人が日本のために作った、初めての暦でした。

さて、「貞享暦」を作る際、春海が頼りにした人物がいます。その名は、土御門泰福(つちみかど・やすとみ)。
彼は、あの誰もが知る平安時代の陰陽師・安倍晴明の子孫にあたる人でした。

土御門家(安倍家)の天文学資料


平安時代に活躍した安倍晴明の一族、安倍家は、代々陰陽師として朝廷に仕えてきましたが、晴明数えて14代目の子孫のころ、室町時代には功績を評価されて高い位を与えられます。その際に当主の屋敷が「土御門」という場所にあったことから「土御門家」の姓を名乗るようになったそうです。
その後も土御門家は朝廷の「陰陽頭」として、陰陽道・天文学・暦の第一人者となってきました。
渋川春海が自分の研究して作った暦に改めるように朝廷に主張した際、その後ろ盾となって支援をしたのが、当時の土御門家当主・土御門秦福でした。二人はもともと同じ先生に学んでいたこともある知り合いで、春海の暦の方が優れていると朝廷に訴えて、その採用への道を作ったのです。

その土御門家に関する資料(古天文暦資料)も、大将軍八神社には多数所蔵され、展示されています。
これらは「皆川家文書」とも呼ばれ、京都府指定文化財にもなっています。
皆川家とは土御門家に代々仕えてきた家柄で、娘が土御門家に嫁ぐなど親戚関係でもありました。
明治維新後、土御門家も東京へ移ることになり、その際に大量に京都に残された資料を皆川家が引き取りました。その後、大将軍八神社の先々代の宮司さんが皆川家と親交があった関係で、これらの資料が大将軍八神社にもたらされたそうです。渋川春海の天球儀もそのうちのひとつとのこと。
(ちなみに、土御門家が東京へ移った時の当主の妹さんは、あの皇女和宮と行動を共にしていた「土御門藤子」という方で、江戸城無血開場の際に名代をされていたのだそうです)

資料の内容は、安倍晴明が著したとされる占いの専門書「簠簋内伝(ほきないでん)」、安倍家の代から伝えられてきた暦について学ぶ際に用いた私的なテキスト「符天暦」や、星にまつわる言い伝えなどをまとめた「天文書口伝」、陰陽道の儀式に用いた「式盤」や、和算を記した数学資料、お札の書き方のお手本集のほか、西洋の暦学を漢訳したテキスト「暦象考成」、西洋の天文図といった海外の学問を積極的に取り入れようとした姿勢がうかがえるものもあり、その内容は実に多彩かつ面白いものばかりです。
謎に包まれた、ちょっとミステリアスな陰陽師の世界が、よりリアルに、親しみやすく感じられるのではないでしょうか。

渋川春海作の天球儀。安倍晴明も同じようなものを使っていたのだとか。

土御門家(安倍家)に伝えられてきた貴重な古天文学の資料(古天文暦道資料・京都府指定文化財)の数々。どれも状態がよく、なかには書込みが残され実際に使われていたころをうかがわせる資料もあります。

西洋から輸入された天文図。アルファベット表記で明らかに西洋のものとわかります。江戸時代、八代将軍吉宗のころ移行、禁書政策が緩められ西洋の資料も日本に流入するようになります。日本の学者たちが海外の文化も積極的に取り入れ自らのものにしようとしたその姿勢が伝わってきます。


神社の歴史を感じる資料

この他にも、大将軍八神社自身に纏わる資料もいくつか展示されていました。
神社の祭事に用いていた諸道具類―例えば、お祭りの際に宮司さんが乗る神馬に乗せる鞍や、祈祷の際に用いる御幣、などをはじめ、神社周辺の変化がよくわかる古地図、古文書、などなど。
その中に、肖像画が置かれていました。これはどなたかとご案内くださった宮司の生島さんにお尋ねすると、「ご先祖様です」とのこと。実は元々宮司さんのご先祖はあの平家一門に連なる人物。後に武士から神職に就かれて苗字を改めたそうで、現在の代で28代目になるとのこと。平家を示す揚羽蝶の家紋をあしらった品も展示されていました。
大将軍八神社自体も、平家一門が清盛の娘・建礼門院 の安産祈願に訪れた場所でもあります。長い歴史の縁を、感じずにはいられません。

(取材においては、大将軍八神社宮司の生嶌様にご協力を頂きました。この場を借りて御礼を申し上げます。)

神社の祭事で用いられる道具や、昔の神社の建物に用いられた鬼瓦など、大将軍八神社の歴史を伝える品々も。
下の写真左端の人物図は、宮司さんのご先祖様にあたる「平盛勝」。地図の下の木箱には平家を示す揚羽蝶の紋が描かれています。


大将軍八神社

大将軍八神社

所在地

〒602-8374
京都府京都市上京区一条御前西入ル3西48
http://www.daishogun.or.jp/

時間

開門 6:00~閉門 18:00

【授与所】9:00~17:00
【方徳殿】10:00~16:00(特別拝観日のみ)

休館

境内は無休

【方徳殿】
特別拝観日以外は休館
(その期間以外の拝観は予約制です。電話・はがき・FAXにてご連絡下さい)
※特別拝観日:5月1日~5日/11月1日~5日(年二回)

お問い合わせ

電話番号: 075-461-0694

FAX番号: 075-461-0684

メールアドレス: daishogun@daishogun.or.jp

■料金

【方徳殿】500円

■交通のご案内

【京福電車】
「北野白梅町」駅下車、徒歩約7分 

【市バス】
26系統または205系統にて「北野白梅町」下車、南東へ徒歩300m
50系統にて「北野天満宮前」下車、南西へ徒歩200m


協力:京博連



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