金比羅絵馬館の絵馬たち
主に一階には江戸時代から明治時代の、神社に伝わる貴重な絵馬や大型の絵馬(大絵馬)、二階には昭和から現代にかけての有名人・芸能人による小型の絵馬(小絵馬)が中心に展示されています。
絵馬館一階の内部。大小さまざまな絵馬と共に、囲炉裏や休憩にちょうどいいスペースもあります。全体的に、どこか懐かしい民芸調の雰囲気。
祈りに潜む庶民の暮らしとユーモア―江戸時代からの奉納絵馬たち
本当はもっと沢山の作品があるそうなのですが、やはり長い間雨ざらしになっていて絵が消えてしまっているものも多いそう。ここに展示されているのは特に状態がよく貴重なものが選ばれています。
大絵馬のサイズは、大体一辺が60cm以上。特に大きなものだと一辺が1mを超え、150~160cmほどにもなります。ここまでくるともはや立派な芸術作品の域です。
小さな絵馬の場合は、「絵馬売り」と呼ばれる人が自分が絵を描いた絵馬を神社の近くで売ったり、願い事の代筆業を行っていたといいます。しかしこれだけの大きさになるとさすがに町の絵馬売りがその場で絵を描いて売れるようなものではありません。
大絵馬のほとんどは財力のある商人や権力者層、または団体で人々がお金を出し合って、専門の絵師に依頼して描かせたオーダーメイドのもの。当時の人気・有名絵師が請け負うことも珍しくなかったそうです。
また、中には絵師自身がオーダーとは関係なく自ら大絵馬を描いて、作品を奉納した例もあります。これは絵師が自らの願いを祈願するのはもちろん、昔の絵馬堂は公共の絵画ギャラリーの性格も持っていたことを考えれば、目に触れる場所に自分の大作の絵馬を掲げて自分の仕事のPRをする、という意味も込められていたのかもしれません。
また、他にもわざわざ絵馬に大きく注文主や商店の名前を書いたものも見受けられます。これはまさしく広告看板。人目に触れる場所に飾られるものだったからこその絵馬の利用の仕方です。
ちょっと俗っぽい印象も受けますが、描かれた当時の人々の暮らしが、絵馬からはよく伝わってきます。
馬から武者絵へ…バラエティ豊かな絵馬の世界
《意馬心猿図》(江村春甫筆・寛政4年(1792)
これは金比羅絵馬館の中でも、奉納された年代が確認できるものでは一番古い作品です。
右へ進もうとする白い馬と、左へ進もうとする小さな猿。馬の手綱と猿をつなぐ紐は、「心」と漢字が書かれた錠前で地面に留められてしまっています。
「意馬心猿」とは、人間の意志を、奔走する馬と心を騒ぎ立てる猿に例えた仏教用語で、「人間の煩悩は制しがたい」という意味があります。そして勝手に動こうとする双方を戒める意味で、「心」の錠前がおろされています。
絵馬では文字の代わりに絵で意味を伝える必要があるため、このような「絵解き」(寓意)の絵がよく用いられました。
《牛若弁慶図》(江村春甫筆)
「意馬心猿図」を描いたのと同じ作者による作品。金比羅絵馬館では特に古く、かつ最大サイズの絵馬です。
モチーフは文字通り、牛若丸と弁慶。五条大橋の上で出会い、対決する二人の有名なシーンが勇壮に描かれています。
当初は生きた馬の代用品だった絵馬ですが、安土桃山時代よりも前から既に、馬以外のものを題材にした作品も描かれるようになりました。特に、近世中ごろ以降は、人々がよく知っている物語の主人公や英雄が好んで絵馬に描かれました。絵馬館にはこの「牛若弁慶図」のほかにも、馬上で長刀を振りかざす勇壮な巴御前の図など、武者絵をモチーフにしたものがいくつか見られます。
他にも、柔術の技のかけ方を図解した絵馬(「関口信心流柔術図」文化九年・1812、狩野派の絵師らによる合作)や、彫り物を板に貼り付けた立体的な絵馬、三国志など中国の物語を主題としたものもあります。
作者は分かるものもあれば署名が消えてしまっていてわからないものもありますが、どれも力量のある絵師の手によるものだろうことは感じ取れます。
算術の問題を絵馬に書いた「算額」
江戸後期、日本ではなぜか算数(和算)がブームとなり、人々はパズルかクイズのような感覚で算数の問題に取り組み、熱心に勉強していたといいます。「算額」は17世紀ごろから一般に奉納されるようになったそうで、当初はより上達するようにという学力向上の願いや感謝の意を込めたものだったそうですが、後になると「自分はここまで難しい問題が解けるようになったんだ」と見た人に自慢しようとしてわざわざ難問を絵馬に書いたり、問題だけを絵馬に書いて置いておき、解けた人が解答をまた絵馬に書いてかけておく、ということもあったそうです。
他の神社やお寺にもこの「算額」は収められているそうですが、安井金比羅宮所蔵のものには、フランスの雑誌の記事で紹介されたものもあるそう。絵馬館で見られる1834年奉納のものは割と分かりやすい問題だそうなので(近くに見やすいように問題を模写したものがあります)、自信のある方はぜひ挑戦してみてはいかがでしょうか。
安井金比羅宮らしい「悪縁絶ち」の絵馬
悪い縁を絶ち、良縁へ導く、安井金比羅宮のご利益を反映したような絵馬も多く見られます。
大絵馬の中に通称「男断ちの絵馬」というものがあるのですが、これは次々に旦那や恋人を乗り換えてきただろう女性が、奔放な男性関係を断つ意味で奉納したと思われる祈願絵馬。明治22年(1889)に54歳の女性が奉納したという記録が残っているそうです。左手には髪を短く切り、法衣を身につけたの願主であろう女性が描かれ、右手にはこれまで彼女が関係した相手と思われる男性たちの姿が十数人。これだけの数の男たちとお付き合いしたとは、どれほどの魅力的な女性だったのでしょうか。そんな彼女も色々と苦労もあり、反省の念も込めて絵馬を神社に納めたのでしょう。しかし、よく見ると願い事を書いた文の中に「但し三ケ年のこと」と期限が…今後もずっと、というところではないところが、なんとも人間くさいユーモアを感じさせます。
このほかにも、一階入口横には普通の庶民が納めた「小絵馬」のコーナーがあり、こちらにも悪縁断ち祈願の絵馬を多く見ることができます。「女房以外の女性関係は三年断つ」といった男女関係のほか、酒、病気や怪我、悪癖など、人々が縁を断とうと願ったものは様々です。面白いのが、ここでも「絵解き」が用いられていること。花札とさいころに鍵をかけてギャンブル断ちを示したものや、「逆さまの松」=「逆さまつ(げ)」といった洒落のきいたものも。昔の人のユーモアのセンスに、思わずにやりとしてしまいます。
一階は大型の絵馬が多く展示されています。特に大きなものは壁ひとつを覆ってしまうほど。普段見慣れた絵馬とは違う迫力を間近に楽しむことができます。
《意馬心猿図》。金比羅絵馬館の所蔵品で最古の絵馬です。例えを使って絵馬に意味をこめる手法はよく用いられています。ほかの作品にもそれらしい表現があるので、考えながら見るとより楽しめます。
右手に見えるのが《牛若弁慶図》。壁一面が覆われるほどの大きさです。牛若丸と弁慶は人気のある題材だったようで、ほかの絵馬にも描かれています。
巴御前が描かれた絵馬。勇壮な武者絵は民衆からも人気のある題材で、日本の武人だけでなく中国の三国志の武将なども描かれました。
「男絶ちの絵馬」。右側の行列のように並ぶ人々は、左手の女性がいままでお付き合いをした男性たちのようです。安井金比羅宮は花街・祇園にほど近い場所であるため、彼女も祇園界隈で生活していた芸妓さんだったのかもしれません。
あの人、この人の作品も!個性派ぞろいの二階展示室。
ラインナップを見ると、マンガの神様・手塚治虫をはじめ、「ドカベン」の水島新司、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるなどの有名漫画家の作品から(こちらは「鉄腕アトム」などお馴染みのキャラクターが描かれているので分かりやすいです)、落語家で人間国宝の桂米朝師匠、「笑天」でお馴染みの林家木久扇師匠(絵馬は木久蔵時代のもの)、人気漫才師の横山やすし、作曲家のキダタロー、女優の藤山寛美さんや、歌舞伎役者の面々など芸能人まで実に多彩。棟方志功や小島功など、画壇で活躍した画家の作品もあります。
これらは先代の宮司さんが、実際にご本人に絵馬をお渡しして描いてもらったものがベースだそうですが、何回もご自身で絵馬を納めている方や、京都でのドラマの撮影に合わせて立ち寄っている方もいらっしゃるそうです。
書かれている内容も、書いた方の意外な一面が見えるものもあり、楽しめますよ。
また、海外の方が描いた絵馬
このほかにも、江戸時代に活躍した日本画家・山口素絢による馬の絵画も展示されていたり、二階奥の部屋には文楽をテーマにした絵画作品も展示されています。
規模は決して大きくはありませんが、見所もいっぱい、とても「アート」にあふれている神社です。
(取材に関しては、安井金比羅宮・宮司の鳥居様に多大なご協力をいただきました。この場をお借りして、御礼を申し上げます。
二階展示室はこんな感じ。所狭しと並べられた沢山の絵馬で壁が覆われています。
手塚治虫先生と水木しげる先生による絵馬。おなじみのキャラクターが描かれています。もちろん直筆!
大変古い、初期の素朴な絵馬も見ることができます(左)。真ん中あたりの足の絵が描かれた絵馬は「しもの病気」、足下の冷えや下半身に起因する病気を治すことを願ったもの。