本堂(重要文化財)
何度か補修は行われていますが、京都では応仁の乱(1464~)以前の建物は戦火の影響もあってほとんど残っていないため、その点において大変貴重な建物であるといえます。
現在の目にも鮮やかな極彩色の色合いは、昭和44年(1969)の解体修理の際に合わせて彩色しなおされたものです。通常、寺院というとつい地味な色合いを思い浮かべてしまいますが、六波羅蜜寺の本堂は、平安、鎌倉時代の絢爛豪華な寺院の姿を今に伝えています。
現在は建物外側のみが彩色されていますが、本堂内部の柱などは彩色されずそのままの状態になっています。ここをよく見ると彩色の跡らしきものが若干残っている場所もあることから、昔は外と同じように建物の中も極彩色に彩られていたと考えられています。
建物のつくりは、日本の寺院建築でも古い様式が踏襲されており、屋根は4方向に傾斜した形の寄棟造。壁は漆喰、これまた朱塗りの大きな板扉が目を引きます。この板扉は、室町時代の建物ではあまり見られないそう。
また、六波羅蜜寺のたどった歴史も、この建物には刻まれています。
本堂の内部は、参拝に来た人々が入ることができる「外陣」(げじん)と、ご本尊や須弥壇(しゅみだん)が置かれている「内陣」(ないじん)というエリアがあります。「外陣」は多くの人が入りやすいようにと柱が少なめに設計されており、中に入るとかなり広々とした感じを受けます。
「外陣」「内陣」の境目は内柱や跳ね上げ式の扉で区切られているのですが、見ると、奥の「内陣」の方が「外陣」よりも一段低めに作られています。
これは、天台宗の寺院の特徴だそう。現在六波羅蜜寺は真言宗のお寺ですが、創建されたころは天台宗のお寺でした。その頃の名残が、現在も残されています。
なお、内陣にある三つの厨子には、仏像が納められています。
このうちひとつはご本尊で、空也上人が自ら彫ったとされる十一面観音像。
こちらは普段は秘仏のため公開はされていませんが、12年に一度、辰年のご開帳の際にお姿を拝むことができます。
六波羅蜜寺のおみくじ
本堂の左側には、お守りやおみくじなどが販売されている受付があります。
実はこの六波羅蜜寺のおみくじは、他とは違う個性派。
普通「おみくじ」というと、ランダムに自分でくじを引き、中には大吉、末吉などの全体運が書いてあって…というかたちをイメージするものですが、六波羅蜜寺のおみくじは、それとは全く異なります。
その名も「開運推命おみくじ」。おみくじというよりは占いのようなもので、中国が起源とされている方法でその年の運勢を示したものです。受付で自分の生年月日と性別を申請すると、それに見合ったくじを係の方が棚から出し、授与してくださいます。あらかじめその人によって与えられるくじは決まっているのです。
内容も通常のおみくじとは全く違い、ここ十年ほどの運を示す大運とその年一年の運を示す年運、総合的なその年の運勢、気をつけるべきことが細かく書かれています。しかも一種類ずつ全て丁寧に手書き!
30年以上前から授与されているそうですが、毎年旧正月に当たる節分の日(2月3日)に新しいくじに変わるため、この日にくじをいただこうと毎年400人以上もの行列ができるほど、多くの方が訪れるそうです。リピーターも多く、しかもよく当たると評判。お立ち寄りの際は、一度試してみてはいかがでしょうか。
鮮やかな色合いが青空によく映えます。色彩が復元されてから40年ほど経過していることもあり、朱色も落ち着いてちょうどよい色合いになっています。
柱の上部分を拡大。極彩色で細かな文様が描かれています。中国の影響を感じられるデザインです。
正面の軒下部分を拡大。飾り彫りと共に、勇壮な竜の姿が描かれています。よく寺院の天井に雷や火事避けとして雨・水の化身である竜が描かれることがありますが、これも同じ意味があるのでしょうか。
六波羅弁才天-みやこの七福神
七福神の紅一点であり、水を司る弁天様は、学問・技芸・雄弁を司る智恵の神として信仰されてきました。また、神仏習合によって仏教に取り入れられた後は、人々に財を与え、障害となるものを取り除いてくれるとされました。また、別れの悲しみや嫌なこと・つらいことも、水に流し清めてくださるともいわれ、現在も多くの人が参拝に訪れています。
この六波羅弁才天の歴史も古く、六波羅探題がここに設けられたころから、幕府の歴代の将軍がここを祈願所として参拝に訪れていたそうです。
また、ここは京都の七福神を祀る七箇所の寺社「都七福神」のひとつにも数えられています。七福神巡りの巡礼は室町時代ごろから既におこっており、京都はその発祥の地といわれています。
境内の右手奥にも建物があり、そこにもいくつか仏像などが安置されているのですが、そこにも弁天様がいます。こちらは「銭洗い弁財天」。ここで手持ちのお金を清めていただくと、金運が良くなるお守りになるのだそうですよ。
「六波羅弁才天」。お正月には参詣者に稲穂が配られ、絵馬や福飾りなどを付けて持ち帰るという行事も行われます。
六波羅の地の意味を伝える、お地蔵様たち
目を引くのは、山のように積み重なった小さなお地蔵様たちと、そこに寄り添う大きな石仏。
山積みになったお地蔵様は、赤い前掛けをしているのと、顔らしい凹凸がついているのでかろうじてお地蔵様だとはわかるのですが、風化が激しいのか、表情は全くわかりません。
これは、本堂が解体修理された際に境内の発掘調査で発見されたものだそうです。
いったい何故、こんなに多くのお地蔵様が地面に埋まっていたのでしょうか。
これは、六波羅の地が葬送の地、鳥辺野への入口であった、そのことに関係していると考えられます。
あの世とこの世の境にあたるこの場所で、先祖の供養のために、人々は石を刻んで作った仏様をお寺に収めていったのかもしれません。
すぐ隣には、大きな石仏が寄り添うように座しています。こちらも鎌倉時代の作といわれ、大きな石をまるごと刻んで作られています。丸顔でどこか素朴さを感じさせる仏様です。
<つづく>
小さなお地蔵さんが沢山!実はこのすぐ近くにもまた別にお地蔵様があります。また、宝物館の中にも有名な地蔵尊像も収められているなど、六波羅蜜寺にはお地蔵様が沢山あることも特徴的です。