宝物館
以前より収蔵庫は設けられていましたが、手狭になっていたこともあり、2008年に約30年ぶりのリニューアルが行われました。
施設自体はさほど大きくはありませんが、木のぬくもりも感じられる展示室内には平安から鎌倉時代を中心とした国宝・重要文化財の木像の数々が安置されており、間近に鑑賞することができます。それも、歴史の教科書にも登場するような有名な品、日本の文化史・美術史の上でも重要な意味を持つ名宝ばかりです。
六波羅蜜寺の宝物館。本堂からは通路で繋がっています。入場の際は、事前に境内入口の受付にてお声かけを。
息遣いも今に伝える、六波羅蜜寺ゆかりの人物の像
空也上人立像(重要文化財)
六波羅蜜寺のシンボル的な存在といえば、お寺の開祖であるこの空也上人の像でしょう。
鎌倉時代の木彫像で、作者は、奈良の東大寺南大門・金剛力士像などで知られる仏師・運慶の四男にあたる康勝です。
歴史や美術にさほど詳しくない方でも、口から小さな仏様が出てきている特徴的な姿は、一度は教科書などで目にした覚えがあるのではないでしょうか。
口から小さな仏様が6体出てくるというこのユニークな表現は、空也上人が疫病を治めようと京都市内を回った際、念仏を唱えたその瞬間を表したもの。空也上人が念仏を唱えると、それが一音ずつ仏様の姿に変わった、という伝承を立体的に表現しています。6体の仏様は「南無阿弥陀仏」を表しているのです。ある意味、マンガの吹き出しにも似たものを感じます。
また、鎌倉時代の彫刻らしく、表情や細かなところの表現までも大変写実的で、今にも本当に動き出しそうなリアル感があります。
また、服装も、この像は空也上人の姿そのものを再現しています。胸に着けた金鼓は念仏を唱える際にリズムを取る楽器で、右手にはそれを打ち鳴らす木の棒を持ち、左手には鹿の角のついた立派な杖。膝丈程度の衣をまとい、足元は草鞋履き。これも伝承の空也上人の姿そのままです。
鹿の角は、かつて空也上人が可愛がっていた鹿を漁師に射殺されてしまったため、悲しんだ上人がその角を杖にし、皮を衣にして生涯身につけたというエピソードにも基づいています。
平清盛坐像(重要文化財)
六波羅蜜寺の宝物を挙げるなら、この平清盛像も外すことはできません。こちらも歴史の教科書などによく登場している作品です。
剃髪し、ゆったりとした衣をまとった僧侶姿で、経巻を手にし、すこし上目遣いでこちらを見ています。その表情は見ている私たちに向かって、清盛が話しかけてきているようです。
この像は、平家一門の武運長久を祈願するために、血をほんの少し混ぜた朱墨で写経を行った頃、太政大臣となると同時に既に仏門に入っていた頃の清盛の姿だそう。「平家物語」などでは、清盛は傲慢で非道・非情な悪役として描かれているのですが、この像からはそんな印象は感じられません。むしろ、位の高い人らしい上品さ、穏やかさを感じさせます。
「平家物語」は平家が破れ、源氏の世となってから成立した物語ですから、平家の頭領として源氏と争った清盛が悪役となってしまうことは仕方のないことでしょう。しかし実際の清盛は、京都に拠点を置き、みやこの公家・貴族たちとも親しい関係を築くことで権力を維持していました。その際、貴族たちとも文化的に交流をきちんとできなければなりません。おのずと、上流階級の人々と渡り合う気品も備えていただろうことは想像できます。
この像は、「平清盛」という人物の本来の姿を、リアルに今の私たちに伝えてくれているのかもしれません。
空也上人立像(鎌倉時代・重要文化財)
空也上人は醍醐天皇の第二皇子という高貴な身分に生まれながら、権威に染まらず、あくまで市井の人々、庶民のために説法を行い、活動した人でした。「市聖(いちのひじり)」の別名もそれ故です。
画像提供:六波羅蜜寺
平清盛坐像(鎌倉時代・重要文化財)
2012年の大河ドラマは「平清盛」ということで、主演の松山ケンイチさんもこの像に会いに寺院を訪れたそう。服のひだや動き、表情は写実性に富みとてもリアルです。
画像提供:六波羅蜜寺
二つの地蔵菩薩―地蔵菩薩立像と地蔵菩薩坐像(重要文化財)
地蔵菩薩立像(平安時代・需要文化財)
そのうちのひとつ、地蔵菩薩立像は、かつて境内にあった「六波羅地蔵堂」という建物の本尊とされていたもので、平安時代の仏師・定朝(じょうちょう)の作といわれています。定朝は平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像の作者で、「定朝様(じょうちょうよう)」と呼ばれる仏像のスタイルは当時の理想・主流となるほどの、巨匠でした。
どこかあどけなさも感じる穏やかでやさしい表情に、丁寧に施された切金(平安時代に主に用いられた装飾技法。金箔を小さく切って貼り付け模様を描く)、彩色(よく見ると残っているのがわかります)など、大変繊細で完成度が高いお地蔵様です。「今昔物語集」にも、六波羅蜜寺の名前と共に、この像を指すと思われる記述が残されているそう。
また、このお地蔵様、なぜか左手には毛束のようなものを持っています。
これはなんと髪の毛!このため、「鬘掛地蔵(かつらかけじぞう)」の別名も持っています。
何故髪の毛を持っているのかというと、「母親を亡くしたものの葬式の費用が工面できず途方にくれていた娘の下に、一人の僧侶が現れて親切にも母の弔いと埋葬を引き受けてくれました。しかしお布施も用意できない状態だったため、その代わりに売って費用にと娘は自分の見事な黒髪を切って僧侶に渡します。後日母と熱心に拝んでいた六波羅蜜寺に赴くと、お地蔵様の片手には自分が僧侶に託したはずの髪毛の束が握られておりました。あの僧侶はこのお地蔵様の化身だったのです」という言い伝えがあり、これに基づいています。
昔から人々に六波羅蜜寺が親しまれ、信仰を集めていた様子が伝わってきますね。
地蔵菩薩坐像(鎌倉時代・重要文化財)
もうひとつのお地蔵様は坐っている姿のもの。
こちの「地蔵菩薩坐像」は、鎌倉時代のもので、名仏師・運慶の作です。元々は六波羅蜜寺の塔頭だった十輪院というお寺の本尊だったのですが、そこが焼けてしまった際に救出され、六波羅蜜寺に移されたのだそう。
前述した地蔵菩薩立像と比べると表情は比較的男性的な感じ。服のひだがより彫りがふかく、躍動感が感じられるのは運慶らしさ、鎌倉時代の作風の特徴が出ています。
このすぐ近くには運慶とその長男の湛慶の像も展示されています。十輪院は元々運慶の一族の菩提寺だったお寺なのだそうで、以前は地蔵菩薩坐像をはさむ様に、まるでお供のように安置されていたのとか。
優れた仏師だったご先祖様に、ご本尊と一緒に護ってもらおう、という思いから、そのように置かれていたのかもしれませんね。
また、奥には薬師如来坐像と、それを護るように四天王立像が安置されています。
これらは六波羅蜜寺の仏像の中でも最も古いものです(平安時代。ただし四天王像のうち一体(増長天)のみ鎌倉時代の作)。
以前は四天王像の一部は京都国立博物館に寄託され、離れ離れになっていたのですが、宝物館のリニューアルにともない里帰り。現在は全員が揃った状態で鑑賞することができます。
ほかにも、様々な仏像に六波羅蜜寺では出会うことができます。
仏像と聞くと少し難しく感じられるかもしれませんが、どこかで出会ったことがあるような作品、歴史やエピソードのある作品なら、より親しみを持ってみることができるのではないでしょうか。
ぜひ、お馴染みのあの仏様、そして日本の歴史の一端に、出会いに行ってみてください。
<この記事の取材・執筆に際しましては、六波羅蜜寺の皆様・山主の川崎様に多大なご協力を頂きました。この場をお借りして厚く御礼を申し上げます>
宝物館の展示風景。空也上人像と平清盛坐像が目立ちますが、ほかにも実に様々な仏像・木彫像が並びます。かなりの至近距離で味わえるので、仏像や歴史好きにはきっと垂涎!