→ 前回より
堂本印象美術館は、私、あれだと思うんですよ。お菓子の家。金銀を使った立体が、チョコレートの包み紙みたいに見えるんですね…。なんでかなぁ。ステンドグラスも飴細工のような…。木の椅子もクッキーみたい。夢みたい。
堂本印象の紹介映像が流れる部屋では、アンティークなソファに座って見ることができます。この部屋の調度品は、作家が使っていたものなのでしょうか。随分古びています。ここでお昼寝、なんてことになると、魔女につかまってしまいそうです。
この日の展示は「京のうつろい―春から夏へ」です。
春から夏。目を閉じると浮かぶ、そんな絵が並んでいます。とはいえ、私の作り出せる絵ではないです。誰かの、作家さんの、見たり知ったりしている風景を、自分が想像したかのように感じるのです。図々しいですが、こんな気持ちは懐かしさと言えるのでしょうか。全然知らないのに知っているような感じです。
いい絵が並んでいて、だけど、作家の名前を憶えられません。私が知らないだけで、有名な方たちなのかもしれません。
うんと有名な作家になると、学校のテストで問われたりしますが、「何さんの何とかという絵」が「社会の常識」という、そんな必要があるのかどうなのか、私はよくわからないです。
いいものを見たら人に薦めたくなる、その連鎖によって作家は有名になっていくのでしょうか?それなら、人のために描いた絵が有名になるのが道筋なので、自分のために描いた絵は、(例えば、この景色を残したいとか描きたいとか)上手にできても、無名にひっそりしてくるのかなあと、思ったりしました。(いやいやでもでも…とかも思ったり。)
私は市民展とか一般公募の作品展にも行くのですが、プロは絶対にプロだなと思います。だけど見る人にとっては、結局好きかどうかというだけの単純な評価が先立つわけです。絵画鑑賞は自分自身との対話でもあるので、描く人は描く人自身と、見る人は見る人自身との世界に引きこもって、描く人と見る人が離れ離れになることもよくありますね。そんな中、今回の展示はいい塩梅にシンクロ出来たなあと思います。
同時開催展は、印象さんの襖絵の下絵です。
ダメージパンツってありますよね、ジーンズをわざとあちこち破って履く。そんな襖絵がありました。どこかにダメージ(太い線だったり)を入れることで、ぐっと格好をつけるやり方です。どこに入れたらカッコいいのか!?印象さんはハイセンスだと思います。今の時代に生まれたら、何の仕事をしていたのだろう?私の生まれる前にはもう亡くなっている作家さんです。外にある彼の作品を見に、浅草寺へ行ってみようと思いました。
最後に、この美術館周辺には日本画家が多く住んでいたそうです。京都を賃貸住宅に例えると、時代時代にアーティストが入れ替わり住んだ、「京都」というお部屋なわけです。何とも魅力的。ノックをすれば、アーティストが出てくる、京都。ドキドキしますね。