京遊×橋本関雪記念館 白沙村荘の庭から 第三回
京都には大小さまざまなミュージアムがありますが、その中には現在も人が暮らしている家の一部をそのまま公開しているようなところもあります。そんなミュージアムのひとつが、日本画家・橋本関雪の建てた邸宅である白沙村荘 橋本関雪記念館。その副館長で関雪の曾孫である橋本眞次様に、普段はちょっと分からない、美術館での日々を徒然と綴っていただくコラムです。
最近は「和」がブームであるようで、その一端として芸術文化の次世代の担い手達が高く評価され、注目を集めています。それらの文化には、それぞれに多大な功績を遺した先人達が居ます。そういった芸術の分野において、その子孫が注目されやすい存在であるのは、そられの諸流派が基本的には世襲制であったことに由来するのでしょうか。
絵画の分野においては明治に入ってからのフェノロサ来日以降に、既存の流派が廃れ始めて逆に個人画家の台頭が始まりました。白沙村荘を造った橋本関雪も、その潮流の中で画家として功を成した一人でした。
ですから何代も続く由緒或る画家の家系というわけではないのですが、遺された庭園などが個人のレベルを遥かに越える規模であった上に、銀閣寺、明石、宝塚、大津に在るそれらの邸が関雪自身の設計によるものであったため、容易に手放すことも出来ず色々と方策しているうちに今の形になっています。
そうして関雪の名前と、白沙村荘という拠点が遺されたわけです。そしてそこに関雪の子孫が居るとなれば、下手でも良いから絵の一つでもサラサラと描いている方が格好もつくのだろうかと考えなくもありません。実際よく聞かれる質問のナンバーワンでもありますし。とりあえずは今抱えている諸々が落ち着いたころに、もう一度そういった事を考えても良いかなと今は思っています。
先人達のことはさておいて自分自身が不勉強な未熟者であるのは明白なので、あれこれと考える前にまずは目の前の事を頑張らなければいけません。半人前くらいになったかと思えるあたりでもう一度、このテーマについて考え直してみたいと思います。子孫である事がどうかというのは、色々な事が出来てる人間にしか言えないと思いますので。
生きてるうちに子孫である事の何かが解ればいいのですが。
著者プロフィール
橋本眞次(はしもと・しんじ)
1973年、京都生まれ。
大正・昭和にかけて活躍した日本画家、橋本関雪の曾孫にあたる。
23歳の頃、関雪に興味を持ち父の仕事を手伝いながら資料編纂などに携わる。
現在は白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長として活動中。
公式ブログ「京都の庭ブログ」はこちら↓
http://hakusasonso.kyo2.jp/