京遊×橋本関雪記念館 白沙村荘の庭から 第十四回
京都には大小さまざまなミュージアムがありますが、その中には現在も人が暮らしている家の一部をそのまま公開しているようなところもあります。そんなミュージアムのひとつが、日本画家・橋本関雪の建てた邸宅である白沙村荘 橋本関雪記念館。その副館長で関雪の曾孫である橋本眞次様に、普段はちょっと分からない、美術館での日々を徒然と綴っていただくコラムです。
白沙村荘では2008年から建物の改修工事が間断なく行われています。画室 懶雲洞(らんらんどう)から始まり、渡り廊下、茶室 倚翠亭(いすいてい)・憩寂庵(けいじゃくあん)と次々と手が入り永年の劣化や損傷箇所が直されています。目に見えない基礎の部分や、柱の強度保全などの工事も随分と進んでいます。
現在は橋本関雪が文展や帝展などの官展に出品する屏風作品を制作していた大画室 存古楼(ぞんころう)の全体改修工事が行われています。沈み込んでいた建物自体をジャッキアップで持ち上げ、上げたぶんを補うように柱に下駄をはかせて持ち上げる工事が先月に行われました。その後は檜皮葺(ひわだぶき)、瓦葺が行われておりそれらに並行して壁の左官工事も順調に進んでいます。
・・と、いつもは私がアレコレと書いて終わりなのですが、たまには工事の設計監理を行なっている人に色々と聞いてみるのも良いかと思い質問をしてみました。以下、Q&A。
Q1 工事に関わる以前に白沙村荘を知っていましたか?
初めて白沙村荘を訪れたのは、1994年1月でした。今から約20年前になります。当時建築学生だった私は幾度か京都の古建築を見て廻りました。その年は特に数寄屋や茶室に興味があった時期でしたので、白沙村荘も見学させて頂きました。当時は、今よりもっと樹木が生い茂り鬱蒼とした雰囲気で、林の中に建物が点在している印象でした。
Q2 白沙村荘内の一番好きな建物と部分は?
一つに絞れません。ごめんなさい・・・。
白沙村荘は様々な建物が一つの敷地に一体となって納まっているところに魅力を感じます。書院、数寄屋、土蔵、茶室、仏堂から洋館まで、本当に盛り沢山です。しかもそれぞれに橋本関雪の感性が注がれているところも見ていておもしろいです。
存古楼の池に面した東側の軒内空間。軒の出が深いので庭と建物の中間的領域が体感できる。
瑞米山1階の庭に面した南側の縁側。縁側の巾がゆったりと造られていて落ち着きます。
Q3 それぞれの建物の改修の中で印象深かった事はありますか?
・渡り廊下
屋根の解体を行ったところ、銅板葺の下から当初のこけら葺の一部が出てきたことです。屋根が重なる部分でもあり、状態がよかったのでしょう。建設時の姿を想像し当時の職人の想いを感じながら、後世に銅板を葺いた職人に「よくぞ残してくれました。」と感謝しました。
・茶室「倚翠亭・憩寂庵」
加工された部材が現場に搬入され、礎石と土間だけだったところに柱が建ち、桁や足固が組まれていくとき、木槌の音が一定のリズムで響くのを聞きながら、建設当時もこれとまったく同じ音が響いていたんだと想像し、胸が熱くなるのを感じました。
Q4 白沙村荘の見どころとは?
茶室「倚翠亭・憩寂庵」と寄付「如舫亭」(問魚亭)が池を挟んで向かい合う配置や、それぞれ建物の一部を池に張り出しているところ。
また、渡り廊下の一部が小川に架かる橋になっているなど、庭と建物が一体となっているところです。
Q5 白沙村荘について何か一言
白沙村荘は庭と建物がとても調和し融合していて、自然の中で生活していることを実感させられます。日本人の自然観がそのまま芸術的な領域まで高められ表現されていると感じます。
自然と共に生き、その恩恵を頂きながら環境に順応していくといった日本人の生き方そのものが形となって現れているように思えるのです。
工事の設計監理は京都伝統建築保存協会の方がされていて、工事自体は山本興業株式会社が施工されています。
工事現場では今日も若い職人さん達が汗を流しながら、建物に手を入れ続けています。まだこれから持仏堂、正門・茅門・中門などの門、そして一番大きな建造物となる主家の工事が残されています。100年前に関雪らが造営工事を行なっていた頃の気持ちというのはこういう感じなのでしょう。日毎に出来上がり、仕上がりゆく様を心待ちに見ながら昔に想いを馳せるのは、こちらも他の方も多分同じなのでしょうね。
著者プロフィール
橋本眞次(はしもと・しんじ)
1973年、京都生まれ。
大正・昭和にかけて活躍した日本画家、橋本関雪の曾孫にあたる。
23歳の頃、関雪に興味を持ち父の仕事を手伝いながら資料編纂などに携わる。
現在は白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長として活動中。
公式ブログ「京都の庭ブログ」はこちら↓
http://hakusasonso.kyo2.jp/