京遊×橋本関雪記念館 白沙村荘の庭から 第十五回
京都には大小さまざまなミュージアムがありますが、その中には現在も人が暮らしている家の一部をそのまま公開しているようなところもあります。そんなミュージアムのひとつが、日本画家・橋本関雪の建てた邸宅である白沙村荘 橋本関雪記念館。その副館長で関雪の曾孫である橋本眞次様に、普段はちょっと分からない、美術館での日々を徒然と綴っていただくコラムです。
橋本関雪が20歳で入洛してから、今年は111年目の年にあたります。当初は岡崎の徳成橋畔に居り、その後に東京の谷中清水町や南禅寺金地院に住まったりしていました。
ちょうどその頃、関雪は結婚して子を設けています。子の名前は節哉。彼は父がそうであったように画家への道を進みました。
少し略歴のような感じで彼の生涯を書き綴って行くと以下のようになります。
1905年 | 京都にて橋本関雪、ヨネの嫡子として生まれる |
1921年 | 東京川端画学校終了後渡仏、パリ アカデミー・ランソンに入学モーリス・ドニに師事し洋画を本格的に学ぶ |
1928年 | 帰国し東京池袋に住む 春陽会において活動する |
1934年 | 青山義雄、田中万吉と共に春陽会を脱会する |
1945年 | 父 橋本関雪の逝去に伴い京都に戻る白沙村荘の保存活動、大津走井居の宗教法人化などを行う |
1965年 | 10月27日 すい臓がんにより逝去 遺作は「カーネーション」戒名 天真院節堂良哉居士 大津走井月心寺に葬られる |
細かなことは割愛するとして、現在行い続けている白沙村荘や大津月心寺の保存維持や改修、関雪コレクションや作品・作品資料の公開などの基礎となる活動は概ねこの節哉が行い始めたものでした。
もし彼がそういった事について苦労を厭い全てを売り払っていたなら、現在の白沙村荘や橋本家の在り方は随分と変わってしまっていた事でしょう。
「絶対にそのままに遺すべし」という他者にとっては些細に感じるような拘りは、関雪が庭園を営なむ様子を間近で見ていたからに他なりません。
1916年の白沙村荘上棟式写真には、節哉と思しき幼子が関雪に抱かれて写っています。彼は広がり続ける庭とともに育った存在なのでした。本来ならばそういったノスタルジーでは乗り切れないような強烈な相続が戦後の悪状況に加えて橋本家の周辺にあった事も忘れてはいけません。
1971年に「橋本節哉遺作展」を開催してから早45年が経ち、それからまとまった数の展示などは行われていませんでした。なので丁度50回忌にあたる今年に、白沙村荘の洋館でちょっとした遺作展でもしようかと思います。静物画を中心に展示しますが、この中に描かれている鉢などは全部関雪の古美術コレクションなのですよね。もちろん今も現物がありますが無いものも幾つか描かれています。この遺作小品展の期間中はお互い苦労が多いことですなぁ、お疲れ様でしたと、洋館に掛けられた画としばし語り合う心づもりです。
《 橋本節哉遺作小品展 》
日時:2014年 2月 6日(木)〜 2 月 26日(水)
11 : 00〜15 : 00まで開催
◎入場無料◎
場所:白沙村荘洋館( レストランNOANOA )
2階にて
著者プロフィール
橋本眞次(はしもと・しんじ)
1973年、京都生まれ。
大正・昭和にかけて活躍した日本画家、橋本関雪の曾孫にあたる。
23歳の頃、関雪に興味を持ち父の仕事を手伝いながら資料編纂などに携わる。
現在は白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長として活動中。
公式ブログ「京都の庭ブログ」はこちら↓
http://hakusasonso.kyo2.jp/